5.31.2018

[dance] Elizabeth

19日の晩、Barbicanのシアターで見ました。Barbicanでやるけど、プロダクションはRoyal Opera House。
16-19日の4日間公演の最終日。

昨年の6月、Royal Balletで見た”The Dream / Symphonic Variations / Marguerite and Armand”の短編三本立てのうち、”Marguerite and Armand”での Zenaida Yanowskyさんのダンスはとてもダイナミックで生々しくかっこよくてすごいなこの人、と思っていたら終演後にセレモニーが始まってそれが彼女のFarewellであったことを知ってああなんてこと、と空を仰いだのだったが、この公演に出ていることを知ってチケット取った。 昨年の6月のはRoyal Balletのメンバーとしてのフィナーレだったのね。

ダンサーはZenaida YanowskyとCarlos Acostaのふたりだけ。舞台上には彼女らの他に侍女の恰好をした女性のアクターが3名(うち2名は若くて少し踊れる)と侍従の恰好をした男性 – 演じながらバリトンで朗々と歌う - が一名。あとはチェロ奏者が一名、座って音楽 – Elizabeth調時代の音楽のつぎはぎだという - を。 振付はWill Tuckett。休憩なしの90分。

ElizabethとはQueen Elizabeth Iのことで、当然演じるのはZenaida Yanowskyさんで、彼女のダンスに被せるかたちでElizabethが残した手紙、日記、詩等の断片がアクターによって朗読されたり歌われたりする。男性のダンサーは場面毎にコスチュームも挙動も変えて、Elizabethの生涯のところどころで現れては消えていった男達を代わる代わる演じ、Elizabethの方もそれに合わせてメイクもコスチュームも変えていって、要するにダンスが放出していくエモの奔流を歴史とかも含めて多層の糸で縛ったり解いたり捩じらせたりしてみようか、という試み。

確かに彼女の治世下に現れては消えていったいろんな男達と、それぞれに纏わるそれぞれの思いは時系列であったとしてもダンスとチェロだけで綴って並べていくのは難しいだろうからテキストや歌が絡まったり挟まったりることで彼女の孤独、疲弊、冷たさ、暖かさ、残忍さ、どうしようもなさ、等々はよりくっきりと浮かびあがってくるようだった。
(それにしても、だから英国の歴史をちゃんと… て何回言ったらわかるのか)

で、Elizabethを演じるZenaida Yanowskyさんはアクロバティックな動きこそあまりないものの、もう少しだけ、重心低めにしてゴスで怨が入ってもよかったかも、だけど、声やテキストの底で蠢くElizabethの、他者からみれば解読疎通不能な情念や情欲やうんざり感を凄味たっぷりに演じていて、更には、で? だから? あんたに何がわかるっていうのさ、みたいなところまでぶっちぎって放り投げてきて、すばらしかった。

Elizabeth自身は勿論あんなふうには踊らなかっただろうけど、踊っている – 踊らされている - 踊らせている - 感覚とか痛覚とか陶酔 ... のようなものはあったのだろうか、とか。

終演後、Yanowskyさんがマイクを手にして、「これが自分の声です – ここは自分の声で喋ります」と静かに言って(素敵な声だった)、続けてこれが自分にとって最後のダンス公演となる、だって(以降、いろんな人への謝辞)。 えー。残念だけど、お疲れさまでした。 もっと見たかったなあ、ていうのはいつでもどこでもあることだけど、でもやっぱり。

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