9日、水曜日の晩、Picturehouse Centralで見ました。
ナイトの称号を叙任され、”Dame”を付けて呼ばれる4名の英国女優 – 誰もが映画とかで見たことはあるはず - Judi Dench, Maggie Smith, Eileen Atkins, Joan Plowrightがテーブルを囲んだりソファに座ったりして、ただ昔のことを喋っているだけのドキュメンタリー(90分)なのだが、おもしろくてしょうがないのはなんでだろうか。
4人が集って撮影が行われた場所は、Joan Plowrightさんが後夫のLaurence Olivierと暮らしていたカントリーハウスで、始めは屋外の庭で、やがて雨が降ってきたので屋内に移動する。 特にシナリオはないようで、監督と思われる男性がなにかきっかけの質問を投げると、それについて思い出話が始まり、当時のアーカイブ映像(どれも一瞬だけど、すごくよいの)が流れて、そこから更に話が広がっていって止まらない。
なぜ女優を志したのか、はそれぞれだけど、彼女たちにとって女優とは舞台女優のことで、そこの舞台で演じるのはまずシェイクスピアでありチェーホフであり、だからクレオパトラやオテロのこと、”The Winter’s Tale”や”The Cherry Orchard”とか”A Midsummer Night’s Dream”の話が出てきて、でも演技論というよりも、あの時あんなことがあってね、とか相手役の男優とか演出家のこととか舞台の上で張り手が当たって気を失ってとか、んで、そこに出て来る名前ときたらLaurence OlivierとかAlan BatesとかPeter Hallとか。あとはベトナム戦争反対のデモに行ったらVanessa (Redgrave) は逮捕されちゃったのよね、とか。そういうのを茶飲み話みたい(というより実際に茶飲み話よ)にぺちゃくちゃお喋りしているだけで、なんでこんなに楽しい、和めるものになってしまうのか、不思議ったらない。
鷹揚で適当でいいかげんな発音してもそれなりに受けとめてくれるアメリカ英語(特にがばがばNYの)で自分の英語力は育まれたので(それを言い訳にするつもりはぜんぜんないけど)英国の英語というのには所々本当に難儀してなんじゃろこれ、なることが多いから練習と精進は続けていて、たまに語尾とかを英国ふうに出来ると嬉しかったりするのだが、そういうのとは別に英国の英語を聞くのは何言ってるのかぜんぜんわからなくなることがあるものの、単におもしろいので好きで(英国の映画を多く見るのもそういう理由がある)、特におばあちゃんとかがやや高めの声でくちゃくちゃ魔女みたいに喋り散らしているのって音楽聴いているみたいで楽しくてしょうがない(音楽にしたらあかんだろ、だけど)。この映画の快楽もそういうのによるところが大きい気がする。舞台で歌っていた歌とかを歌いだしてみんなが唱和して「あたしなんでこんなの憶えてるのかしらやーね」てけらけらしていたり。
こういうドキュメンタリーにありがちな苦労話修行話とか女優になりたいのだったら、みたいな若いひとに向けての教訓ぽいとこは一切なくて、年取っちゃったよねえ、って互いに笑っていて、かっこいいな、こういうふうに年とらなきゃいかんな、てしみじみおもった。
昨年のBFIでMaggie Smithさんがトークで言ってたDownton Abbeyの件、Judi Denchさんに対しても改めてぶちぶち言ってた。
「箱が多すぎるのよ… どこまで行ったかわかんないし、多すぎるから見てないのよ…」
日本の女優さんでも同様のをやればいいのにな。あのひととあのひととあのひととあのひとで。
5.22.2018
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