12.20.2017

[film] Lady Bird (2017)

16日土曜日の昼、WilliamsburgのNitehawk Cinemaで見ました。
お食事しながら映画を見れるここにはずっと行かなきゃと思っていたし、この映画についてはLFFの最終日、Greta Gerwigさんの登場と共にいきなりシークレット上映されるし、2週間前のGreta GerwigさんのトークもあるPrivate Screeningの抽選にも外れるし、ずっと泣かされ続けていたのでLondon公開を待たずに見ちまえで、どっちにしても見る、だったの。

久々にWilliamsburgに行ったらきれいな住宅はいっぱいできてるし、Whole Foodsはあるわ小綺麗なスポーツジムはあるわApple Storeはあるわの別世界になっていた。 なんか捨て台詞を考えていたのだが、もういいわ。

上映前には本編に関係しそうな過去の映画 – “Maggies Plan”とか”Frances Ha”とか”The Meyerowitz Stories (New and Selected)” - ピアノ連弾のとこ - とか - をコラージュして開始まであと何分、とか手作りで楽しくやってくれて飽きさせない。つまんないCMなんて流れないの。
食べ物は初めてだし外れたらかなしーので、念のため近所の(これも久々の)eggでパンケーキ食べてから行って、飲み物だけオーダーした。 上映中にも運んでくれるので便利なのだが、映画に没入したいひとにはちょっとうざいかもしれない。

Lady Bird、当然のようにすばらしかった。2013年のNew Yorker FestivalでのNoah Baumbachとのトークで、やがて自身で監督する可能性についても語っていたが、ここまで見事なものになるとは。

見事といってもストーリーテリングとか編集とか画面構成が巧み、とかそういうことではなくて(いやでも、撮影のSam Levyの柔らかなフィルム撮影のような色味とかすばらしいのよ)、”Greenberg”でも”Lola Versus”でも”Frances Ha”でも”Mistress America”でも”Maggie’s Plan”でも、彼女がこれまで書いたり演じたりしてきたちょっと変わったクセのある女性の像が悩み苦しみあたまをかきむしるひとりの高校生の外観と魂に集約されて統合されて、なおかつそれが高校のときってあんなふうだったよね、とかあんな変わった子いたよね、にきれいに繋がっていって、つまりこの映画のなかにはなんとしても”Lady Bird”と呼ばれたかった02年のサクラメントに暮らすひとりの女の子がくっきりと存在していて、そのポートレートが青春映画の無欠の輝きを運んできてくれて、それを見る我々は彼女のことを畏敬の念をこめて”Lady Bird”と呼ばないわけにはいかない。

冒頭にJoan Didionの引用 - “Anybody who talks about California hedonism has never spent a Christmas in Sacramento.”が出てきて、つまり、Sacramentoで暮らす、というのはそういうことで、そこから出さえすれば、どこにだって行けるしなんにだってなれるんだから、目ん玉ひんむいてようく見ておけ、と。

02年のアメリカ、まだ911の余波で世界がどこに行っちゃうのか誰にも予測がつかなかった頃、Christine “Lady Bird” McPherson (Saoirse Ronan)の家でパパは失職していてママは病院で働いていて家計は苦しいから奨学金とか進学先は悩ましくて、うちのお財布状態でNYの学校なんて行けるわけないでしょ、だし、女子同士のつきあいもいろいろ面倒だし、ボーイフレンドとのつきあい(演劇やっているDanny (Lucas Hedges) – でもゲイだった → バンドやってるKyle (Timothée Chalamet) – でも遊び人だった)もなにをどうしたらよいのかわからんし、煩悶したり衝突したり格闘したり発見したり転落したりアップダウンが激しくて、でも白旗あげたくないので歯をくいしばってやけくそにつっこんでいって、でもどっちにしたって先は見えんし、なの。

全編を通してあはは、って笑って見ていられるのだが、個々のエピソードの内側にどれだけきつい地獄があったか、両親との確執や別れがどれだけしんどいものだったか、じゅうぶん想像できるので胸がいたくなる。(年齢的には親側の目線でも見ることができるはずなのだが、そんな度胸も余裕もないわ)

少女が大人になる話ね、て簡単に言いたいひとは言うのだろうが、「大人」ってなんだよこの糞豚野郎、なにがどうなったら大人になるんだか言ってみろおら、ていう世間との闘いは今もえんえん続いている、その限りにおいてこの映画で描かれた歯を食いしばる彼女の面構えは『大人は判ってくれない』のJean-Pierre Léaudとおなじ普遍不倒の強さを湛えていて、すばらしいったらない。

音楽はAlanis Morissetteの”Hand in My Pocket”とDave Matthews Bandの”Crash into Me”。この2曲が沁みてたまんないというひとは絶対見にいったほうがいい。
彼女の部屋に貼ってあったのはBikini Kill とSleater-Kinney “Dig Me Out” - だったけど..

Saoirse Ronanさんは”Brooklyn” (2015)に続いてまたしても。彼女にしかできない代表作が。

今年はこないだの”Call Me by Your Name”といいこれ – “Call me Lady Bird”といい、すばらしい青春映画と出会えた一年だった。同時に”Lady Macbeth”といいこれといい、すばらしく強い女性映画もいっぱいあった。

そろそろベストを考え始める季節かあ。

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