12.31.2017

[art] Viennaそのた -- December 2017

27日のウィーンはVienna Passていう、大抵の施設に並ばなくてもさっさか入れて貰えるパスと、交通機関も1日券を事前に買っておいて、とにかく見れるのを見れるだけ作戦で突撃しようとしていて、先にベルヴェデーレ宮殿行って、そこからシェーンブルン宮殿行って、これらを午前中にやっつけられればあとは楽勝、とか思っていたのだが、死ぬほどどうしようもなく甘いことがわかった。

Belvedere

朝9時に開くベルヴェデーレ宮殿に9時過ぎに着いて、その頃は霧で下宮の方があまり見えなかったのだが、だんだん日が昇ってくると見渡せるようになった。でっかい。
上の宮の見どころはなんといってもKlimtの”Kuss” - 「接吻」で、その部屋だけ人だかりができていたが、絵自体はどうかしら? なのだった。やたら豪勢だし国宝なのだろうが琳派の絵を見るときに感じる、ふうん〜、がやってきてしまうのはなんでか?
Klimtの絵だったらここに沢山展示されている初期の作品群もすばらしいし、Neue Galerieの”.. Adele Bloch-Bauer” (1907) とかいまSFに行っているプラハの”The Maiden” (1913)とかのほうが...とかつい。

あと、やはり地元だからかどこに行ってもOskar KokoschkaとかついこないだNYで見たRichard Gerstlがあるのもよかった。 Kokoschka、動物や風景を描いたすごくよいのがいくつか。

The Challenge of Modernism: Vienna and Zagreb around 1900
https://www.belvedere.at/exhibition/viennaandzagreb

Belvedereの下宮でやっていた展示。
1900年当時のウィーンとクロアチアのザグレブとの間の交流・交易(というのがあったらし)がもたらした文化面の相互影響を絵画(肖像画)、彫刻、建築、インテリア、服飾に宝飾、様々な角度から掘り下げてみる。作品としてKlimt, Koloman Moser, Robert Auerなどなど。そもそもNeue Galerieあたりが得意としてきた展示の凝縮版のような、でも個々の作品の粒は素敵で。

面白過ぎてカタログ買わないわけにはいかず。

Die Kraft des Alters - Aging Pride
https://www.belvedere.at/aging_pride

その名の通り、歳を取る、重ねることをテーマとした絵画、写真、ビデオ、などなどの包括的な展示。 KlimtにSchiele、PicassoにPina Bausch(”Kontakthof”ね),  Juergen TellerにIshiuchi Miyakoに、モデルや被写体は老人ばかり、新旧アーティストの幅は凄まじく広くておもしろいのだが、時間がない中ではもったいないよう、だった。
Agingのテーマって、常に死と隣り合わせのところに来てしまうので、そことの時間的な、空間的な折り合いとか関係性をどうつけるか、どう見せるかなんだなー、って。 時間かけてみたかった。

あと、少し離れた昔の厩(馬小屋)のところで”Medieval Treasury”って、中世のキリスト教美術の小展示をやっていて、(かつての)馬小屋のなかに朴訥なキリストさんがいっぱいいて、なんかよかった。

Schönbrunn Palace

シェーンブルン宮殿に行ってGrand Tourていう宮殿内の40くらいの部屋をAudio Guideで巡るのに入ろうとしたら時間制なので門のとこの窓口でチケットに替えておいで、と言われて、替えてみたらエントリーの時刻まで1時間半くらいあった、のでその時間で宮殿敷地内のZooに行こう、どっちみち行くつもりだったし、と向かってみたらとんでもなく遠くて、すみません馬車ください、になった。
Belvedereもそうだったがとにかく全体がばか広く見渡すことができて、そこをてくてく歩いているだけで自らの平民ぽさにうんざりしてきて、これこそがMaria Theresiaの狙いなんだわ、て思うのだったがもうなに言ってもおそすぎる。

Zooは、パンダとかクマとかペンギンとか見れればいいや、楽勝だわ、だったのだが、寒いので動物たちはあんま外にいなくて、ああこれが静物と動物の違いなんだわ、で、おまえどこに隠れてんだよ、そっちに行くんじゃねえよ、とか追っかけるのが大変であっという間に時間が過ぎてしまった。絵と生き物はちがう。 パンダ(2頭いた)は笹むしりでご機嫌でよかったけど、それにしても、こんなとこにZooをつくってしまうとはMaria Theresiaのやろうめー、だった。

打刻された予定時間より30分遅れて入ることになった宮殿のなかは、そりゃ凄いわよね、としか言いようのないやつだった。 これまでにChatsworth House見て、Buckingham Palace見て、さっきのBelvedereも見て、ヨーロッパの宮殿(みたいなの)の大筋はわかったつもりになっていたが、ここの各部屋ごとの練り上げかたはちょっと異様なかんじがした。Maria Theresiaの念 - Audio guideでは、彼女はたくさんたくさん子供を作りました、ばっかり強調されていた - だろうか。

次はヴェルサイユ宮殿待ってろ、としか言わない。

Leopold Museum
Museumsquartierていういろんな中小の美術館が固まっている一角(なにあれ?)にある美術館で展示ふたつ。

Vienna 1900: Art from the Leopold Collection

ここの収蔵品から、KlimtにHoffmannにKokoschkaにAlfred Kubin(わーぅ)に。Belvedereの特集展示も1900年だったけど、この時期、ほんとぐじゃぐじゃだよね。 ものすごく洗練されたところと魂が溶けだしたみたいに泥臭いところと、両者が当たり前のように共存していて、そこに「世紀末」なかんじが漂わない(ように見える)のはなんでか。

Egon Schiele: Self-Abandonment and Self-Assertion

最近、ロンドンの地下鉄のホームに少し早過ぎました今でもまだ、て局部を隠したSchieleのかくかく大判絵が貼ってあったりするのだが、それってこの展示と関係あるのかしら?

2014年の秋にNeue Galerieで見た “Egon Schiele: Portraits”ほどの迫力とどぎつい感じはなくて、タイトルの「自我の遺棄、自我の誇示」が示すように彼の視野・視界が捉えた世界を割とストレートに、わかりやすく伝えようとしているかのようなセレクション。
Schieleの絵って、暗いようでいて、実はそんなでもないことが見たあとのかんじも含めてよくわかる構成になっていた。

これを見て外に出ると、もう真っ暗でぐったりしたので一旦宿に戻って仮眠を取って再び外に出る。

Albertina
宿の近所でやっていたので行ってみるか、程度で展示をみっつ。 晩9時までやっているし。

Monet to Picasso

MonetとPicassoの間になんかあったのかしら、と思ったらそういうのではなくて、単に収蔵作品からこの二人の活躍した時代の作品たちを作家別にざーっと並べているだけなのだった。 しかも本当にただ並べているだけかのような雑駁感がすごかった。 デパートの展示即売会かよ、みたいな。
(日本の「特別展」にありがちなやつね)

Raphael

ここで見たかったのはこれで、なのに上の階でやっていた↑があんなだったので大丈夫かしら? だったのだが、これはよかった。 夏にOxfordのAshmoleanで見たRaphaelのドローイング展がなかなかの衝撃で、ここのはあそこでの展示も一部取り入れつつ、”Portrait of Bindo Altoviti” (1514/15)とか、”The Virgin with the Blue Diadem” (1511) とか、”The Virgin and Child” (1508)とか、”The Madonna and Child with the Infant Saint John” (1508)、といった世界中からかき集められたぴっかぴかの油彩群が見事な光を放つ。 ドローイングの間に置かれたそれらの眩しさときたら発掘品がいきなり4Kリストアされてびっくり、のようなかんじで、でももちろんリストアなんかではなくて、こいつらは500年前からずっとこうなんだわ。 神さまが宿っているんだわ、としかー。

Robert Frank

彼の最初期の作品から“The Americans”を経て最近のまで、一挙に並べてあった。
Viennaの人たちに、これら50年代のAmericansはどんなふうに映った/映るのかしら? て少し思った。


Kaiserliche Schatzkammer

28日の朝、9時オープンと書いてあった国立図書館に行ったら10時からと言われて、その横でやっていた美術史美術館の分館のImperial Treasury - 王室宝物館? に入った。 王室の王冠とか宝石とか刀剣とかケープとか燭台とか、王様たちを王様たちたらしめていたじゃらじゃら群がこれでもか、と並んできらきらしてて圧巻だった。こういうのはあんまわからないので、このなかで、王様からひとつ貰えるとしたらなにを貰うか、とか考えながら見たりする。 
いっこ、「ユニコーンの角」ていうのがあって、そいつは欲しいと思った。

Spanish Riding School

ウィーンでなにを見るべきか、を会社のひととかに聞いてみたら、これを教えてくれたひとがいて、お馬さんによるパフォーマンスなのだが、むかしZingaroとか見たし、むかしマラケシュで騎馬のショーも見たし、映画で走る馬を見るのも好きなので、行くことにした。 11時からで、専用の縦長長方形の競技場があって、正面の貴族連中が座るぽい指定席のチケットは€300くらい、立ち見でも€38くらいして、伝統的なものらしい。
なんで”Spanish”かというと15-16世紀頃、スペインの統治下だった頃にスペインの馬と共にその独特な調教法も持ち込まれて、そのメソッドを使って調教の成果を(王様たちの前に)披露した、というのが発端らしい。

ドイツ語と英語で解説してくれるMCのひとの説明の後に、ものすごく毛並みと体躯のしっかりした白く輝くお馬さんが列をつくって現れて、立ち上がったりスキップしたり斜め走りしたり、いろんな技を見せてくれる。 曲芸、というほどアクロバティックではなくて、あくまでも軍隊式の統制を効かせた、調教するライダーとされるお馬の一体感を強調するようなやつ、つまり儀式に近いかんじのあれだった。 お馬さん、たいへんだねえ。

Österreichische Nationalbibliothek

Spanish Riding Schoolの会場の横にあるオーストリア国立図書館、ここのState Hall(大広間)。
でっかい空間に古本がいっぱい並んでいるだけでわーわー嬉しいので静かに狂喜しながら見た。
ちょうど、フリーメーソン300年の展示、ていうのをやっていたが、はまると1時間くらいかかりそうだったので横目で図面とか文書とか眺めた程度にした。

Haus Wittgenstein

ウィーンに来てから、「ウィーン」で頭の奥になんか引っかかり続けるのがあって、そうだ『ウィトゲンシュタインのウィーン』を学校の頃ずっと読んでいたではないか(今の平凡社ライブラリーの前のやつね)、と2日目の昼間に思い出し、そこからそういえばアール・ヴィヴァン(ていう雑誌があったの)の『ウィトゲンシュタインの建築』ていう特集もあったよね、と思い出し、あの建物は見れないのか、と探してみたら車で10分くらいで行けることがわかったので、国立図書館の後に行った。

着いたらドアは鍵がかかってて、ベルを鳴らしても反応なくて、でも負けるもんかと何回かやっていたら鍵が解かれて管理人らしきひとが出てきて握手してくれて、入場料(€5.3)払ったら地下から上まで好きに見ていいから、て言われる。 他には誰もいない。

なんかキッチンとか寝室とか、ふつうの人の家として使われているふうだったのだが、窓の高さとか錠前のデザインとかは昔読んだかんじのままだったので満足した。外はものすごくかんかんに寒くて、そのかんじもぴったりはまっていた。


ここから地下鉄で中心部に戻って、出たところにSt. Stephen's Cathedralがあったので、中に入って神さまにいろいろ感謝して懺悔したお祈りして、ウィーンの旅はおわり。

クリスマスマーケットもいろいろ出ていたけど、あんまなかったのが残念だったねえ。
食べ物は気がむいたらそのうちにー。

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