9.19.2016

[film] La Batalla de Chile: La lucha de un pueblo sin armas (1975 - 79)

16日の土曜日の午前から午後にかけて、ついに、ようやく見ることができた。
今年の映画の大きな目標のひとつは達成。もういっこは「アウト・ワン」だったが、これは来年になるもよう。

『チリの闘い  武器なき民衆の闘争』 モノクロ。計263分。

75年から79年にかけて製作された3部構成のドキュメンタリーで、クーデターの前から現地で撮影され、クーデター後に逮捕・監禁された後に国外に亡命した監督パトリシオ・グスマンと共にフィルムは奇跡的に持ち出され、Chris Markerらの協力を得て完成された。  映画を捧げられたカメラマンのホルヘ・ミューラー・シルバは逮捕 - 尋問 - 拷問ののち「行方不明」となる。

第一部『ブルジョワジーの叛乱』の冒頭で炎に包まれていた大統領官邸、第二部で細かに描かれる1973年9月11日、軍の起こしたクーデターは「成功」し、アジェンデは亡くなり、ピノチェトによる軍事政権はその後90年まで続き、そのピノチェトは病気を理由に罪を逃れたままに亡くなってしまったので、もういいじゃないかというかもしれない(どっかの島国みたいに、な)、でも断じてそうではないのだ。 昨年の夏、国会前で怒りをこめて拳を振りあげていた人にとっては。まるでいまの腐れたにっぽんを見るかのように(も)見れる。

農民や労働者たちの圧倒的支持のもとに誕生したアジェンデ政権、でも中間層やミイラと呼ばれる旧体制を支持基盤とする野党が過半数を占める議会は政権の転覆を狙ってあらゆる手を繰り出してくる。
大統領の弾劾権をもてる議員数を確保できなかった議会選挙が野党側にもたらした動揺が第一部の最初にあって、以降、デモやストライキを扇動して物流を絶って国政混乱の責任を負わせ、なんとか政権退陣に追い込もうとするブルジョワ勢力 - 野党と、そのやり口を見抜いて自前のネットワークを構築して持ちこたえ、アジェンデを信じて支えようとする労働者たちの攻防。 その過程でアメリカ政府による野党や軍部の抱きこみやメディア統制のカラクリが明らかにされ、軍の一部が暴走してカメラに銃を向けるに至るまで、が第一部。

第二部『クーデター』は、誰もがクーデターの予感に脅えつつあらゆる手を尽くして国を建て直し持ちこたえようとするが、アジェンデが最後の手段として用意した国民投票に向かおうとしたそのときに、堤防が決壊したかのようにクーデターが勃発する。
グスマンのカメラも我々も、ただその映像を見ていることしかできない無念と絶望で真っ暗になるなか、アジェンデの最後のラジオ演説 - 「歴史は人民のものであり、労働者のものである」でおわる。

第三部は、クーデターが起こる前の72年に巻き戻って、ブルジョワが起こしたトラック運転手組合のストライキを巡る攻防に焦点を当て、沢山の労働者 - 当事者の証言を繋ぎながら彼らはどう闘ったのか、を詳細に追っていく。
それは、なぜクーデターを防げなかったのかでも、そもそもどう闘うべきだったのか、の反省でもないの。闘った民衆は、誰ひとり間違ったことは言っていない、ひとりひとりの決意と覚醒と団結しかなかったし、そこにしか未来はないのだ、ということを再確認して、大地を踏みしめておわる。

すべては軍と共産主義を病的に嫌うアメリカによって資金援助も含めて周到に準備・計画されていたという、どす黒い、滅入るしかない史実だし、ぶんなぐりたくなるような顔もいっぱい並ぶのだが、めちゃくちゃおもしろくて、拳を思いっきり握りしめてしまう。なんでなのかうまく説明できない。

そしてその渦の余りのすごさに、自分の足元を見てしまう、そういう見方や思考を強いる映画だとおもう。

政界と財界の癒着とブラック化の進行、おかしいことを追求しない(させない)メディアへの介入、暗躍する不可視の勢力に陰謀、アメリカ大好き/共産主義大嫌い、共通するところだらけだし。いやそれらに加えてこっちは、悪賢い与党の圧倒的多数、くそみたいな迎合・多数派工作、メディアに加えて教育への関与と干渉、ポピュリズムの嵐に幼児化、なにもかも絶望的でしょうもないんですけど。

アジェンデのお話しでも軍やピノチェトの話しでもなく、これの主人公は「武器なき民衆」で、すべては規模や経済や軍部の力が決するのではない - 政治的な闘争なのだと、自分たちがアジェンデを生産や流通を支えるのだと、この映画はそこに突破口があると、「あったはず」ではなく「ある」とそれだけを力強く言っている。
だからこれは、わたしの、あなたの話でもあるの。 必見なの。

昨年のラテンピート映画祭でかかった”Allende, mi abuelo Allende” - 『アジェンデ』をもういっかいやってくれないかしら。 アジェンデの孫娘がまだ存命だった祖母に当時のことを聞いてみようとするお話し。 家族にとって、あの政変、あの一日はなんだったのか、を追うの。

あと、8月にアテネでやった「パトリシオ・グスマン監督特集」もお願いだからもういちど。


一年前。 忘れてないから。

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