9.30.2016

[film] 秋日和 (1960)

25日、日曜日の午後、ようやく秋日和みたいのが出てきたし、原節子さんの追悼もちゃんとしていなかったので、1本くらいは、と、神保町の特集『一周忌追悼企画 伝説の女優・原節子』で。
でもチケット買ってから、川崎でオリヴェイラをやっているのを知って泣き崩れた。

結婚ロマコメの古典、何回も見ているけど、ほんとにおもしろいわ。
どたぱた展開していく四角いコマのなかでいろんな人たちがいろんなことを言う。 それだけなんだけど。

亡くなった夫であり父である男の7回忌に大学時代の友人3人 - 佐分利信、中村伸郎、北龍二 - それぞれ会社や大学でそれなりの地位を得ているやらしいおやじ共 - が集まって、喪主で未亡人の秋子(原節子)とその娘のアヤ子(司葉子)を見ていやあ美しい、て褒めたたえて、アヤ子の24という年齢を聞いたら、そろそろ決めないといかんな、と勝手に決めつけて、候補を立てていってひとりよさそうなの(佐田啓二)が見つかるのだが、彼女からまだ結婚するつもりありませんお母さんひとりになっちゃうし、と言われると、じゃあお母さんのほうからだな、と親友のうちで妻を亡くしている奴を勝手に起動して、そのシナリオを得意気にアヤ子に告げたら、彼女は取り乱して母親にも親友の百合子(岡田茉莉子)にもつんけん当たるようになって、その事情を聞いた百合子は怒髪天で佐分利信の会社に殴り込みにいって、おやじ共は全員しゅんとなるのだが、まあまあまあみたいな不思議な愛の力が働いてアヤ子は結婚することになって、なんだその生ぬるい水は、みたいな。

「しょうがないじゃないか。そういうもんなんだから」ていう勢力と「そんなのおかしいわ。ちぇ。」ていう勢力のせめぎ合いが中心で、枠の外/水面下で起こっているいろんな工作は画面には出てこなくて、そのたびごとの結果 - そうなっちゃったから・しょうがない - ばかりが(場合によっては突然)表に出てきて、その結果であたふたしたりむくれたり。 そのへんのじたばた、とか、がちょーん、とかが四角四面の画面に端正に切り取られてお澄まし状態で流れていくのがたまんない。

「しょうがないじゃないか」の与党は安定していて強くて、「そんなのおかしいわ」は革命とか具体的な行動に出ない限り覆されることはなくて、ここのもまたそんなふうなのだが、そうしている限りそれもまたずるずると「しょうがないじゃないか」に回収されてしまう。てごわい。

結婚しないと幸せになれない ていう(強迫)観念のしぶとさ。 自身の結婚に抵抗するアヤ子にしても、未亡人となった母はひとりでかわいそうだからあたしがいてあげないと、て思いこんでいる、という点ではこの線上にいて(or いると思われてしまうので)難しくて、さらに、親友だから共闘してくれそうな百合子も実のところは大阪のおばちゃんみたいなメンタリティの持ち主でいちばんしぶとかったりする。 こんなにも結婚に対するイメージとかスタンスは個々ばらけていて、でもおっさん共は基本おやじ脂でやーらしく凝り固まっている。 やらしい、ていうのは自分が正しいって信じて疑わない - 反論の余地をまったく与えないのをあたりまえに思いこんでる - ってことなの。

ほんとにみんな大きなお世話すぎ。 ひとりで生きてひとりで死んでなにがわるいんだよ!
ていっつも思うのだが、最近の邦画のタイトル(気持ちわるいので書きたくない)なんか見ても、結婚=幸せと考える勢力は変わらずしぶとくて、これはもう百年戦争だよな、ておもう。 
くーだらない、としか言いようがないけど。

最後のふたりの周遊の場面、あのまんまるい山の形とゆで小豆の思い出、だけがきらきら輝いている映画、として見るのがよいの。

そしてろくでもなかった9月はあ … 

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。