22日の日曜日の夕方、六本木で見ました。
おおもとは86年初演(ブロードウェイでは87年)のStephen Sondheimによる舞台ミュージカル。舞台版は見ていない。
子供を望んでいるけどなかなかできないパン屋の夫婦(James Corden + Emily Blunt)のところに魔女 (Meryl Streep)がびゅうんて現れて、それは呪いなのじゃ、と言って、それを解くには森に行ってミルクのように白い牛と、赤いずきんと、コーンのように金色の髪と、金の靴を持ってくるのじゃ、と言って、でもそれぞれの持ち主たち - Jack (Daniel Huttlestone)、赤ずきん (Lilla Crawford)、Cinderella (Anna Kendrick)、Rapunzel (Mackenzie Mauzy) - もそれぞれに願いとか養うべき家族とか人生の問題とかストーリーとか抱えてそれぞれ忙しくて、そもそもの魔女だって別の呪いを解くために動かされていて、こんなふうにそれぞれの願いだの思惑だのがこんがらがってそれ自体が森みたいになってて、みんな大変なんだねえ、ておもうの。
人々の欲望や願いが入れ子のように構造化されていて、それらは等価で、それらの集約された場が「森」で、人々はそこに行けば願いが叶うと根拠なしに思いこんでいるのでそこに向かう。 ポストモダンの時代に書かれた「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」のとってもわかりやすい翻案。 森にいけばあたしの願いは叶うはずなんだ、あたしはこんなによいこでまじめなんだし、報われないわけがないんだからって。 でも物事はそんなにうまくは運ばなくて、叶うひともいれば叶わないひともいる。 食い合いによる環境破壊とか森の外からの報復 - テロの連鎖みたいなことまで起こって、万人にとってのHapily Ever Afterなんてありえないことがわかるのだが、でも、それでも/それだからひとは森に向かう、森と共生しようとする。それが幸せに通じる道。
これなんじゃろ? て思った。
ポストモダンの時代の物語を、スーパーキャピタリズムとグローバリゼーションの時代に、その突端でぐいぐい「勝ち」にいこうとするWalt Disney Picturesが映画化する。 どこにどんな思惑が企てが、て思わないほうが無理というもの。
おとぎ噺のキャラクター達を総動員/再利用して物語をエコに再生する、というと“Shrek” (2001)が思い浮かぶが、あれがものすごくシンプルなメッセージに回帰しようとしたのに比べると、こっちのは複雑怪奇すぎてあんまよくわかんないのね。
辛い時代だけどみんながんばれ ? ... まさかー。
俳優さんたちはみんな何とも言えない説明不能な暗さを湛えつつも無邪気に一生懸命歌っているのでそれでよかったのかしら。
あと、Chris Pineさんは、こないだ見た“Horrible Bosses 2”もそうだったけど、どんどんろくでなしが似合う風体に錆びれてきていて、これから楽しみかも。
というわけで当面はKenneth Branaghの”Cinderella"に期待することにしたい。(←さいてー)
もう3月終りってひどす..
3.31.2015
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