3.01.2015

[film] Fifty Shades of Grey (2015)

シンガポール2日め、27日金曜の晩の9:30に見ました。Cathay - Cineleisure Orchard ていうとこ。
ホテルの近所に映画館があったわけではないので、自分で探してタクシーで行って戻ってなかなか面倒だった。

この映画、日本でもやっているわけだが、ボカシ問題でたぶん頭きて集中できなくなってしまうだろうから、海外で見ようと - シンガポールではR21指定だし。 座席指定で20分前にいったらほぼ満席でびっくりした。
シアターはTHXとDolbyばりばり、音はすんごくよくて、 お客さんのマナーはあんまし - アメリカとおなじような。

原作は読んでいない、けど"Twilight”からの派生モノならたぶんだいじょうぶ。

ストーリーとかはいいよね。
ぼんやりした英文学専攻女子学生のAnastasia Steele (Dakota Johnson)が大富豪のChristian Grey (Jamie Dornan)と出会って、Greyは不思議とあれこれ寄ってきて、これは愛なのかしら、と思っていたらぼくは恋愛はしない、とか言ってある契約の話を持ち出してくる。

“Twilight”が典型的な少女漫画目線で本来おどろおどろの吸血鬼モノをソフトにドリーミィに再構築してみせたのと同じことを、SMモノに対してやっている。

であるからSMモノで提示されがちの情念とか業とか限界越えみたいなこと(憶測だよ)は、すべて契約条項のなかに明文化されていて、しかもNegotiableであると、さらにDue diligenceまであると。これなら初めての(でも英文学専攻なのよ侮らないで)わたしでもだいじょうぶかも、になるに違いないのだが、こんなの作ったり、部屋とか道具とか用意したりする余力があるなら、そういうサービスのとこ行けば使えば、とは言うまい。

というわけで、“Twilight”に叩き込んだつっこみは殆どそのまま適用可能なのだが、画面も音楽もとっても控えめに綺麗できちんとしているので、ま、いいか、になるの。
特にDakota Johnsonさんは見事で、Jamie Dornanさんはもうちょっと堂々としててもよかったかも -  Ryan Goslingとまでは言わない、Robert Pattinsonでよかったのにな。

でも”Twilight”の世界が実現した怖くない吸血鬼モノ、という建付けが今回の、やらしくないSMポルノというものへの適用において正しく機能しているのかというと、どうなのだろうか。 「血を吸わせろ」はまあ冗談ですんじゃうことが多いけど、「いいからやらせろ!」は「…」になってしまいやしないだろうか、と。 
愛は血(族)を超えられるのか、というテーマはわかりやすいけど、SMて血というより気質みたいなとこだから、難しいよね。(そこでなにが? と聞いてはいけない)

それにしても、この内容と画面でどこをどうボカすというのか? あたまおかしいんじゃないか。

あと、中国語(たぶん)の漢字の字幕が付いてて、日頃の習慣でつい字幕のほうも追ってしまうのでなかなか混乱した。漢字ってところどころわかっちゃうところもあるし。 Mr.Greyは「格雷先生」で、Anastasiaは、「安娜塔希姫」なの。 そこはいいとして、場内爆笑だった契約条項のネゴのシーン、字幕で漢字で出てくるものがなかなかびっくりで集中できなくて困った。

続編(あるかどうかも知らない)は”Twilight”の狼くんに相当する超M男がライバルとして現れるとか、Anastasiaが対案としての「純愛」契約を持ちこんでくるとか。 Greyのすべてを握っているTaylorが実は、とか。

Dakota JohnsonさんのSNL見たかったよう。 ぜったいおもしろかったはず。

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