14日の土曜日の午後、カイエ週間の「少女と川」に続けてみました。
『メルキュリアル』104分。 英語字幕。 「少女と川」とおなじく、すばらしい出会いでしたわ。
メルキュリアル、ていうのはパリ郊外のパニョレていう町に立っているツインタワーで、地方でも羽振りのよかった時代にNYのそれを真似して作られた、けど作られた、ていうだけで、町には商売になりそうなものは他になにもない。 大昔の遺跡みたいのはところどころある。 郊外によくあるパターンのやつ。ここには都会のドラマに出てくるような華やかな人たちはいない。 移民もいればシングルマザーもいればムスリムもいれば昼も夜もなにをやっているのかわからない若者たちもいる。
そこで警備員をしている(でもころころ職場を変える)Tonyとか、メルキュリアルの展望台で出会ったLisa (Ana Neborac)とJoane (Philippine Stindel)のふたりの女の子とかの日々を中心に追っていく。 モルドヴァからやってきたふわふわしたLisaと友人Zouzouの家に住み込み子守りをして暮らしているきつめのJoaneは親友という程の仲ではないけど、会うとおしゃべりしたり散歩したりパーティやったり。
それだけといえばそれだけで、女の子ふたりが町のいろんな場所、いろんな人たちの現在や過去を、自分たちの(先の見えない)将来を睨みつつ彷徨うドキュメンタリーのようなフィクションのような。
エピソードをぽつぽつ置いていくところはJacques RozierのようでもあるしEric Rohmer(レネットとミラベル、あたりね)のようでもあるのだが、RozierほどおおらかでもないしRohmerほどファンタジーしていない。 現在の - 舞台になった2013年当時の、成熟しようのない - そもそも成熟ってなんだ? - 郊外のどん詰まり感があって、でもタフでつーんとサバサバした女の子の目つきとか態度とかがすばらしいの。じゃあどうしろっていうのさ。
こないだNYで見た”Girlhood” (2014)もそうだったが、なんでフランスの少女映画ってこんなにも大人で素敵なんだろうか。(日本のって、なんであんなにぎゃーぎゃー泣いたり叫んだり幼稚でしょうもないのか)
やがてLisaはモルドヴァに帰ることになるし、Zouzouのアパートは解体されていくのだが、それがなにか? と誰かがいう。誰が - ?
最後のほう、Joaneの祖父の家でふたりが過ごしたバカンス、その家のなかにいきなり座っていたでっかい梟のシーンがほんとうによくて、なんか泣きそうだったの。
あのシーンだけでも、あと10回みたい。
追記;
Film Society+MOMAの”New Directors/New Films”の特集でも丁度これからかかるの。
http://newdirectors.org/film/mercuriales
あと、音楽はCANの”Alice”が流れます。
3.21.2015
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