3.25.2015

[film] The Imitation Game (2014)

15日の晩、六本木で見ました。 映画館、リフォームしてラグジュアリーなボックス席とかが増えていた。こんなところに自分の居場所はない。映画館がどんどん遠くなる。

Alan Turing (Benedict Cumberbatch)の評伝映画。 映画的な興味というよりたんなる評伝とか大河ドラマ的な関心から。 コニー・ウィリスの『オール・クリア』にも出ていたしね。

戦後のロンドンで、なにをしでかしたのか少しやつれて取り調べ室にいる彼、まだ寄宿学校でもじもじ羽化前だった頃の彼、ブレッチリー・パークでドイツの暗号化装置エニグマの解読に取り組んでいた彼、3つの時代それぞれで展開していく、自身のPredestinationへと向かう旅。 暗号を解いて歴史を動かすことはできてもやはり自分を変えることはできなくて、しかもその自分ときたら1024bitの強度で暗号化されていてしょうもなかったの。 だれかぼくを復号化して。

だれにも解読できない自我の強靭さの裏側にいる、なにかどこかの箍が外れたら崩れてしまいそうな「心に茨を持つ少年」、そして同様にいつドイツに占領されてもおかしくない危うい戦局、この三者が織りなすはらはらのドラマを”Imitation Game”として囲いこんでしまうのは果たして正しかったのかどうか。 ちょっと弱くなっちゃたのではないか、とか。 一気に見れるし、つまんなくはないのだけど。

取り調べ官に彼が問う、”Am I a machine? Am I a human? Am I a war hero? or am I a criminal?” のとこ。ちがうんだよ、こいつはただの変人なの、変態なの。 て正面から言って語ってほしかったのになー。 本人もそう願ったと思うよ。

理想をいうとね、David Fincherの”The Social Network" (2010)のあの地を這うような語り口がほしかったんだけど。(このふたつの映画のポスター、似ているの)
それか思い切って、ブレッチリー・パークの仲間たち、のような青春群像劇にしてしまうとか。

それにしても、こいつがいなかったら、こいつがどうかなっていたら、ノルマンディーはあんなふうにはならなかったかもしれないし、ITだって今とは違っていたかもしれないし、そしたらいまのこんなくそみたいな仕事だって、仕事だって ...とか思うとこのやろおー、とついその馬面をじっと睨んでしまうのだった。

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