25日、月曜日の晩、Hollywood Bowlで見ました。 こんどはキャンセルなかった。
7:00pm、てチケットにはあったので、8:00に行けばじゅうぶん、と思って、なにかに引き寄せられるかのようにぞろぞろ歩いていく一団(でぶ、はげ、やせ、びっち、のいづれか)と一緒に山を登っていって、頂上にたどり着いたら、聴こえてきたのが”Spoonman”だったので、自分で自分を思いっきりぶんなぐった。
この、直前までよそ見して遊んでいるバカ、なんとかしろ。
ようやく見ることができたSoundgarden、悪いわけがあろうか。
ドラムスはMatt Chamberlainで、このバンドの渦巻きの核であるMatt Cameron独特の、あの絶妙なタメがないことが懸念されて、それは確かにくっきりと出ていてしまっているのだが、しょうがない。 とりあえず手数の多さで補う、と。
曲でいうと”Badmotorfinger”からのがすばらしく冴えていて、”Outshined”にしても
“Jesus Christ Pose”にしても、最後のほうの”Rusty Cage”はもちろん、みんな天に拳を振りあげて絶叫していた。 聴こえてきた瞬間に絶叫したくなるKim Thayilのギターの太さと強さ。
ハードロックの“正統”であろうとしつつ纏わりついてくる時代のあれこれからどこまでも自由で、勇猛果敢であること、野生を失わないことの奇跡を目の当たりにする。
ラストのシアトルは盛りあがるだろうねえ。
80年代の無邪気な清潔さを嘲笑うかのように泥のなかから現れて、なにもなかったかのようにごりごりとハードロックを鳴らしてみせたSoundgardenと、同様にお前らは既に豚のミンチ以下だ気取ってんじゃねえ、と屍体解剖をしてみせたNINと、このふたつの90年代バンドが一緒にライブをする意味はどこにあるのか。 たぶんどっかにあるのだが、それは、今ここで探してどうなるもんではない、という気がする。 誰もが20年前を回顧したがっている今は特に。
そしてNIN。
なにもないシンプルなステージにむきっとしたおじさんがすたすた歩いてきて新譜の”Copy of A”を始めて、そこから89年の”Sanctified”に行って、また新譜の"Came Back Haunted”へ。このへんに今回のライブは集約されている気がした。
ぼくはコピーのコピーのコピーでなかみはからっぽなんだ、という””Copy of A”と、君の内側でぼくは始めて自分になれるんだ、という”Sanctified”と、でもやっぱしどうしようもないやめられない、という"Came Back Haunted”と。
最初の3曲のあと、”1,000,000”から”March of the Pigs”に入っても、これまでのような大突破とか大爆発とかは起こらない。 メンバーが4人になったから、とかそういうことではなく、Ilan Rubinのドラムスは明らかに自分の内側を、頭蓋骨の内側を蹴っ飛ばしてくる。
それがつまんない、というのでは勿論なくて、電子音のトーンや拡がりも含めておそろしく練りこまれ捩じこんでくる”The Downward Spiral”の頃のスタンダード、そのリリース当初の臭気を(熱気を、ではなく)忠実に再現 - というより再構築しようとしているかのようだった。 まず内側をみっしりと電子音で満たして固めて、それでもそこからうにょうにょとはみ出し漏れだしてくるなにかとは。
そのへんはモノクロでスタイリッシュに構成された冒頭(FRFのときのたどたどしさが懐かし)から次第にコントロールを失って暴走していく(ように見える)ビジュアルからも。
セットリスト全部が使い古されたマテリアルばかりのようで、でもぜんぜんそうではなく聴こえる、そうではないふうに聴こえるように強いてくる、というのはどういうことか、というと、”The Downward Spiral”がリリースされた20年前と今と、なんも変わっていねえじゃねえかバカ、というのもあるのだろうか。
ではこのあと、”The Fragile”方向に向かうか、というとそうでもないことも確か、な気がするのだった。
喋りは一切なし、曲の間に一回”Thanks”と言っただけだったのでご機嫌ななめなのかしらと思ったのだが、終演後のInstagramとかを見ると、寛いでんじゃねえよ、ておもった。
会場のHollywood Bowlは初めてで、到着したときは暗かったのでよくわかんなかったのだが、いちばんん後ろまでびっちり埋まった様はなかなか圧巻だった。 またそのうち、こんどは明るいうちに。
8.27.2014
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。