3日の日曜日、もう終わっちゃうというので慌てて見にいった。『よりよき人生』。英語題は"A Better Life"
邦題はたぶんそのままで、でもこれならよいかも。 なんといってもセドリック・カーンだし。
ヤンは、学生食堂の料理担当をしながら自分のレストランを作るのを夢みてて、ある日採用してもらいに行ったレストランで給仕をしていたナディアと出会って恋におちて、彼女には前の旦那との間に息子スリマンがいたのだが、かまわない、って一緒になってレストランをやろう、て引っぱる。
で、ある日見つけた物件をここだ、って決めて、結構ぎりぎりの借金をして購入して開店準備をしていくのだが、最後の消防点検でひっかかって、検査をパスするには追加であと数万、て言われてどん詰まりになる。
で、そこからどんどん苦しくなっていって、ナディアはお金を求めてカナダに渡ったきり音信不通になるし(息子はヤンの手元にいる)、借金は火だるまでなにもかも手放さないといけなくなる、でも子供には万引きするな、て叱らなきゃいけないし。
「よりよき人生」、そりゃわかるけど、なんだよそれ、って。
万策尽きて宙ぶらりんになったヤンとスリマンが最後の金づるを求めて海辺をうろうろするところがとってもよい。
ふたりとも、こんなところで何してるんだろ、赤の他人同士なのに、みたいな顔で所在なげにほっつき歩くの。 このうろうろがラストのあれに繋がっていく。
なにもかも失って、でもなついてくれない子供がいて、というとアサイヤスの"Clean"に少し似ている (あっちは母と子、血の繋がった)。
そして、安易に再生の物語、みたいなところに向かわないところも似ている。 そう簡単に再生も更生もしない。やれることを手探りでやって、それでも、という地を這うようなじたばたを少し離れたところでカメラが追う。 そうやって溜まっていったなにかが最後のほう、ヤンの捨て身の行動につながっていく。 正しい正しくないはあるかもしれないが、見ているほうは、やったねえ、ておもう。
爽快感、ていうのとはちょっとちがっていて、そのときに「よりよき」ていうのはこういうことかもしれない、と。 今よりひどくも悪くもないけど、とってもよい、とも言えない。
『リグレット』のときにも思ったが、ほんとに見ていてしっくりくるふつうの大人のドラマで、そこから更にドラマにおける「ふつう」とか「大人」とかってなんなのかを考えさせてくれる。 更に更に、それはすぐ絆だの幸せだの再生だの安っぽいお涙ちょうだいに走る日本のドラマなんかを遥か彼方に蹴っとばして、自分のぼろぼろの毎日もちゃんと振り返って俯瞰してくれるものなの。
ほんとになんとかしないとこれ。
3.12.2013
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