4.29.2012

[film] 地獄門 (1953)

連休の初日は目覚めたらもう昼で、なんかやらなきゃと思っていまやってる映画を探していったのだが、新作はびっくりするくらいなんもないのであきれた。 

(ていうか、なんで映画なの? なんでお片づけとかしないの?)

んで、京橋で「『地獄門』デジタル復元版特別上映会」ていうのがあったのでそれにした。
トークは時間的に無理そうだったので、4:30からの。

大映初のカラー映画で、イーストマン・カラーを採用してて、カンヌでグランプリを獲った、くらいのことは知っていたが見たことなかった。

とにかく色彩は断然すばらしくてすんごいので必見。サントリー美術館とか根津美術館とか婦人雑誌(最近のって、なんなのあれ?)とかで和の、雅の美を追っかけているひととかは絶対。 それだけでええ。筋なんてどうでもええのや。
着物の橙とか桃色、蚊帳の向こうで滲む月、夜露に光る笹の葉、コトが起こる夜の描写はどこを切り取ってもひれ伏してしまうくらいに美しい。 これが日本の夏の夜の色なの。惨劇すらも慎ましく寡黙に盛りさがる。

この色彩と構図の前に人物はどれも書割りのなかにきっちりと納まっていて、悶々とおとなしい。
全ての毒と泥をひっかぶって静かに殺されてしまう袈裟(京マチ子)も、その夫の生真面目なサラリーマン(山形勲 - なんて長い顔だろう)も、ひとり欲望のままにひっかきまわして大騒ぎした挙げ句に全てを失う(でも仏の道に向かうから救われるんだよねきっと)迷惑男 - 盛遠(長谷川一夫)も、どれもなんとなく輪郭がはっきりしてなくて、よくわかならい。

すんごく昔のお話なので、当時はそういうものだったのかもしれないし、原作の菊池寛がそうしたかったのかもしれない、どっちでもいいんだけどさ、でもなんで袈裟は黙ってなんも言わなかったのかしら(ひとの身替わりになるのが好きなのね)?、なんで夫は繊細ふうなくせに、あの晩の妻の挙動を見てもくうくう寝ることができたのかしら、盛遠はちょんまげ切れば済むと思っているのかおまえが切るべきなのはその男根だろ、とか、いろいろ、いろいろ考えてああ地獄門はじぶんのあたまんなかにあるんだわ、というのを思い知るのだった。

でもきれいだからいいことにするの。

4.28.2012

[film] Don Hertzfeldt

金曜日の晩、連休前だというのに低気圧であたまも体もぼろかす。 天候ひどすぎる。
吉祥寺の爆音イギーとどっちにするか、だったのだが、体力的にはこっちしかなかったの。

イメージフォーラムで、『メランコリックな宇宙 ドン・ハーツフェルト作品集』。
上映されたのは以下。

- "Wisdom Teeth" (2010)  「オヤシラズ」
- "Meaning of Life" (2005)  「人生の意味」
- "Rejected" (2000)  「リジェクテッド」
- "Billy's Balloon" (1998)  「ビリーの風船」
- "Everything Will Be OK" (2006)  「きっと全て大丈夫」
- "Intermission in The Third Dimension" (2003)  「休憩3D」
- "I Am So Proud of You" (2008)  「あなたは私の誇り」

本人のサイトはここ。
http://www.bitterfilms.com/

線描されたへなへなとかふわふわのキャラクターが世界のなかであれこれ動く。
その「世界」は場合によってものすごく深かったり重かったり軽かったりして、その上をその下をぺなぺなのキャラクター達が立ち向かったりやられたりやりかえしたりあれこれあって、それは見たひとがそれぞれに考えればよいふうにできている。 そういう風通しのよさと懐の深さとかいろんなポケットとかがあって、そこはほんとにすばらしい。 ぜひ見て、いろいろ考えようー。

PCとか一切使わず、広告収入も一切取らず、たったひとりでぜんぶ考えて、ひとりでこまこま描き描きしていくなかで絞りだされてきたものだ、ということが容易にわかるの。
でもだからこそ、"Everything Will Be OK" とか "I Am So Proud of You"のシリーズは逆に心配になってしまったりする。そんなに考えこまないで、とか。「きっと全て大丈夫」なのはわかるけどね。 (でも若い子は、みんな見るといいよ)

よく見てみれば、そんなに痛くも苦しくも暗くもないよ。 どちらかというと、痛いということ、苦しいということ、暗いというのがどういうことなのか、生きていく上でどういう状態にあることをいうのか、を図像として、安全標識のようにやさしく指し示してくれているようにも見える。
だから、だいじょうぶなんだよ。 たぶん。

というわけで、一番いかったのは"Rejected"かなあ。あのバカなかんじがとにかくすばらし。
「休憩3D」のバカな説明もいいよねえ。だいすき。

連休前にこういうのを見てしまったおかげで、どう過ごすべきなのか、まだうじうじ定まらない。
ビリーの風船でどっかに飛んでいってしまいたい。


4.27.2012

[log] NYそのた - Apr.2012

NYでのそのたあれこれ。

行きの飛行機は食事しながらMI4見て、それから『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』、てのをみた。
80年代初に英国の音楽を聴いていた、深く深く聴いていた人にとって、サッチャーは、はっきりと敵だった。
その政権の政策が具体的にどうとか、どこの何が悪いとか、とかそういうのは考えずに、自分の聴いている音楽を作っている連中が、彼女を敵とするのであれば、友達の敵は自分の、という論理で自分にとっても敵なのだった。
それを若さゆえの、とはおもわない。 自分のすきなミュージシャンが彼らの声音、彼らの目でえんえん彼女の政策を糾弾していた、それだけで十分だったの。

そういうわけで、映画は映画だから、とか、オスカー獲ったメリル・ストリープの演技に見るべきものがある、とかそういうのをわかったうえでも、でも映画にお金を払う気にはなれなかった。 (ブッシュの映画も同様 - おもしろいのはわかるけどさ)
メリル・ストリープはもちろん妖怪みたいにすごいし、正しいと信じた道を歩む鉄の女の道行きを、老境の、よろよろの彼女の姿と交互に描く - 誰にも訪れる老いは鉄の女をもふにゃふにゃにする - というのはわかるし、割とふつうの英国映画として見れた。

でもやっぱし、正しいことを、正しいと信じることをやるのです、それがなぜ悪いのか? できないのか? というごりごりしたあれらは、保守系の政治家に共通したトーンなのだろうけど、だめだわ。 連中が拠って立つところの正しさを、その確かさを持ち出してくるたびに感じる言いようのない気持ち悪さ、徒労感あれこれがずるずる襲ってきて、なかなかうんざりした。 いまの東京と大阪の首長に対してかんじるげんなりとまったく同じなんだけどね。 ああいう信念とか自信みたいのって、どっから湧いて、どこでどうやって醸成されるのかね。(他人事)

あとはプログラムに"Babe"(1995)があったので久々に見た。 Airline上映版、て冒頭にでたのだが、どこが違うのかしら。 ただのブタのはなしなのに。 相変わらず食べちゃいたいくらいキュートだねえ、とおもった。
Babeを演じた豚さんももうこの世にはいないのだろうなー。

ぜんぜん関係ないけど、飛行機に乗って最初にスポーツ新聞読むおやじって(なんで飛行機でそんなもん読みたいのかね?)、機内映画だとまちがいなく「釣りバカ日誌」のシリーズ見るよね。 機内映画に必ず「釣りバカ...」が常備されているのも謎だけど。

MOMAは仕事の休憩時間に抜けて行った。 進行中(滞在時)のKraftwerkのライブに併せてPS1のほうは展示もやっているのだが、行けるのは本館のほうだけ。 で、目的は今回のイベントにあわせて出た彼らの箱を買うことだったのだが、なんと売ってなかった。 (しょうがないので戻ってからネットで買った)

    











MOMAからの戻りみちにRizzoriとBergdorf Goodmanの7階もざーっと見た。(買わなかった。えらい)
Bergdorf Goodmanの7階、古本コーナーは更に小さく、John Derianは売り場がなくなっていた(がーん。 皿は少し置いてあったけど)。
あと、寄らなかったけど、SAKS 5thのインテリアコーナーがリニューアルされて、そこにRizzoriが入った、とか。

レコード関係も、Record Store Day直前だったせいかどこも静かで、あんまなかった。 例によってアナログのみ。
Other Musicの新しいToteができた、ということでその中に入れるものを買わなければいけなかったの。
Mark Lanegan Bandのとか、つまみ食いでてきとーに選んでカウンターのとこに持っていったらそこにThe Crampsの初期の7inch 10枚まとめた箱があったので、買ってしまった。 「これがなくなっているのを見たら号泣するひとなんにんかいるのよ(わかってるのあなた?)」てカウンターのお姉さんに冷たくいわれた。 

Academy Recordsでは、"Dawn of the Dead"のOST(by Goblin)とか。 1月に来たときにケースのなかにあったPere Ubuの"Final Solution"のオリジナルの7inch ($150)はやっぱしなくなっていた。 ちっ。

McNally Jacksonは、いつもの雑誌とか、程度、かな。  復活したDominoはもちろん買う。

お食事関係はほとんどなし。
日曜の夕方、BrooklynのBattersbyにサラダを食べにいったのだが、満員で入れず、そのまま流れてButtermilk Channelでフライドチキンたべた。 おいしいったら。
あと、お仕事の会食で、天気のよかった火曜日の夕方、Inside Park at St.Bart'sのテラスにいった。Park Aveの古い教会にできたレストランで、こないだCloseしたSavoyのシェフがやってる。おつまみ系がほとんどで、まあまあだったけど、それ以上に外が気持ちいかった。

帰りの飛行機はすでに十分へろへろでほとんどねてた。
お食事しながら"The Descendants"を見て、ハワイつながり、というかんじでそのまま"50 First Dates"(2004)に流れる。
どちらも共有されるはずの記憶の喪失、途絶という事態にめげずに立ち向かおうとする男のおはなし。
前者は先祖からの血をよりどころに、後者はきらきらの愛を支えに、とにかくへこたれないの。
これらがなんでハワイなのかはよくわかんないけど。

あと半分眠りながらこないだ見たシャーロック・ホームズとか。 あのコマおとしみたいな映像がそのまま夢のなかに入ってきた。

帰国したら21日の夕方で、Record Store Dayだったのだが、行けるわけもなく、あーあ、なのだった。
翌日曜日の早い時間に行ってみたが、ぜんぜんだった。 アメリカはあんなに盛り上がるのに、なーんで日本て...


4.26.2012

[music] Morrissey - Apr.24

Zeppがあるあの辺はできれば立ち入りたくないエリアで(Zeppも10年くらい行っていない)、しかも開始が7時だし、ものすごおーくだるいし、最終で恵比寿のが出たのでそっちにすべきだったのかもしれないが、もうチケットを買ってしまっていたのだった。 

この人のライブはもういいか、というかんじもしていた。
91年の初来日のに2回行って、97年のCentral ParkのSummerStageに行って、04年のApollo Theaterのに2回行っている。(キャンセルになったCarnegie Hallのもあった)

だいたい6年おきくらい、20年に渡ってこのひとを見ている(Smithからだと30年聴いている)のだが、今やこのひとは大英帝国の大スターで、むかしみたいな不謹慎破廉恥極まりない毛玉下司おかま野郎ではなくなってしまった。 だれもが彼のことを、Smithの頃も含めた彼の曲を大好きだ、愛してる、とおおっぴらに言える時代になってしまった。
それがいけないというのではない。 彼はすばらしい人で、詩人でシンガーで、ライブだって何回行っても魂をぶいぶい揺さぶってくれる。
でもね、なんかね、みんなが彼のことを、彼の歌をほんとにそんなに愛しているのなら、大切に歌っているのなら、なんで世の中はこんなに糞で腐れたまんまなのか、ひどくなっていくばかりなのか、ということなの。 

それこそが彼のかけた呪いなのだ、とか、それが彼の契った世界なのだ、とか、この人を見よ、とか、わけわかんないRO的なレトリックで盛りあがることも、若い頃だったらできたのかもしれないが、なんか虚しいばかりだ。

というわけで今回はチケット1枚しか取らなかった。 彼の頭の上にのっかった猫一匹分、というかんじよ。

ほぼ7時きっかりに、"How Soon Is Now"から。ストロボライトがんがんで、あれを受け付けられない目なのでずっと下向いてた。久々の再会なのに。 この曲って、自分のなかではストロボじゃないんだけど。闇のなかでゆらゆらなんだけど。

メンバーは"Assad is Shit"て大書きされた赤のTシャツでお揃い、大番頭のギターおじさんだけ緑のラメで女装してて、Alison Moyetかと思った。 Morrissey本人はずいぶんふっくらして、シルエットだけだとBill Murrayみたいな。 終始ご機嫌で、客席にマイクを渡し、彼への愛と忠誠を誓わせる。英語しゃべれるひとにしかマイク渡さない。うーんやらしいよねそういうとこ。

ほとんどが中~後期から最近のソロからだった、気がした。(ちゃんとチェックしてない)
このひとのライブは、わいわいしにくい最新のレパートリーを連続で流していって、飽きてきたころに昔のクラシックを出してわーっとアゲる、というのが基本で今回もそうだった。

いちばんいかったのは背後のスクリーンに屠殺前の畜獣たちを延々映しつつやった"Meat is Murder"かな。
ご機嫌だけど同時になかなか殺伐ともしていて、「シリアはもうどうしようもないな」「どうすることもできないんだ」「国連なんてぜんぜんだめだし」などなどつーんとシニカルに言っていた。それで本当に悲しんでいるんだなとおもった。

最後のほうの"Last Night I Dreamt…"から"Please,Please,Please…"のとこは、流れはよいのだが、"Please,Please,Please…"のアレンジがなあ。
このひとのバンドはロカビリーやろうがベースなので、アレンジとか言ってもしょうがないのだが、でもなあ。

これでアンコールが"There is a Light.."だったりしたら中指突っ立てて帰ろうと思ったのだが、"Still Ill"だったのでいいかあ、と。 こうして、またなんとなくやられてしまうのだった。



4.25.2012

[film] The Hunger Games (2012)

Lambchopのライブ終わって外に出たのが22時。 でもこれで終わるわけにはいかないのだった。

これにするか、"The Three Stooges"にするかで、すんごく、まじで悩んだ。
"The Three Stooges"を切るのはほんとうに辛い選択だった。 でもこっちにしたほうがまだ、明日を生きる意欲みたいのがわいてくるかもしれない、とか前向きに思ったわけさ。

Times SquareのAMCで22:50の回があったのでそこを目がけて行って、こっちにきてまだハンバーガーを食べていなかったのでShake Shackで買っていった。 22時過ぎているのにあの行列はしんじらんない。

映画はぜんぜん筋とか頭に入れてなくて、でも先週の時点で4週連続Topで、海外版の「バトル・ロワイアル」だと。  でも「バトル・ロワイアル」なんか見たことないし。

予告で見た限りでは、支配者階級のバカみたいなファッションとか髪型から、Tim Burtonがやるようなおちゃらけ近未来ものかと思っていた。
でもちがった。 そういうとこもないことはないけど、全体としては強い緊張関係に置かれて、そのなかを生き抜かなければならない子供たちの目が世界の過去と現在を照らし、未来を揺らそうとする、そのでっかい動きと風呂敷がところどころに見える、そんな作品だった。

Jennifer Lawrenceさんは、なんというか、"Winter's Bone"の世界から来たあの娘そのまま。 父親捜しこそないが、お姉ちゃんがなんとかするから & あたしがなんとかしなきゃ、というトーンが全面に出ていてしみじみ頼もしい。 ヴァンパイヤもオオカミも誰も助けてくれない世界で、すごい身体能力があるわけでもなく、特技は弓矢くらいで、運命は受け入れる、でも殺られるもんか、という割とありそうな役どころをふんわり、どっしりと演じている。
これはわたしの物語だ、と誰もが感じられる、そういう身体(立っているだけでなんかよいの)と目でもってこちらに迫ってくる。

"Seabuiscuit"(2003) もそういうお話だったよね。あの小さな馬の奮闘に、なんであんなに熱くぎうぅーってなってしまったのか謎なのだが、そういうところに物語を寄せていくのがうまい監督だなあ、と。
カメラはところどころ変な動きをするのでなんだろ、と思ったのだが、撮影はTom Sternだし、音楽のExecutive ProducerはT-Bone Burnett(音楽はJames Newton Howard)と、なにげに豪華。

子供たちの周りの人々(打ちひしがれていて沸騰寸前)とか過去にあったらしい戦争とか、そういう場面の切り取りかたはさすがで、この辺の経緯はこの後の数作で明らかになっていくのだろうが、それにしても、少女革命ものがこんなにもヒットしてしまうというのは、米国も来るとこまで来たのかなあ、という気がした。

今回のNYのはここまで。 これ以外のあれこれはそのうちまた。

4.23.2012

[music] Lambchop - Apr.19

さいごの木曜日の晩に見ました。

場所はBleekerのLe Poisson Rouge。
最近のBowery系列のライブハウスでやっているライブは、プランニングとかマーケティングが優れているせいかなんなのか、とにかくあっという間に売り切れてしまうのであきれるしかなくて、そうするとこういう系列から外れた地味な小屋でやっているライブを漁ることになる。
今の先端の音楽シーンはきっとすごいエキサイティングなんだろうなー、とチケットの売れっぷりを見ていると思うのだが、そうなの?

開場が6:30で前座の開始が7:30、会社の打合せがだらだら終わらず7:00迄続いたので、現地に着いたのが7:30、でもその近所のGeneration Recordsに寄り道しないわけにはいかなくて(Melvinsの7inchが3枚置いてあった。問答無用)、小屋に入ったのは8:00くらいだった。

前座はCharlie Horseといって、それって誰よ?というのがBrooklynVeganのサイトにもあったような気がして、でも時間もないのでよく見ないでパスしていた。 中に入ると、ステージを椅子が囲んでて、でも椅子はもういっぱいで立ってみるしかない。 
ステージの奥で人参みたいな顔の男が座ってギター弾いてて、まんなかでこざっぱりした女のひとが立って太鼓叩きながら静かに歌っていて、手前でメガネかけたでっかいのがぼーっと突っ立ってベースを弾いている。

  








なんかYo La Tengoみたい、というのが最初の印象で、じーっと見れば見るほど彼らはヨラテンに見えてきて、うーんやっぱしこれはYo La Tengoだろう、だよね? という結論に至るまでに約5分くらい。 なかなかスリリングな時間であった。
ていうのと、こんなとこでなにしてんのあんたら? とか思った。
音は彼ら3人にLambchopのピアノのひとを加えた4人編成で、ほんとに静かなカントリーフォークで、音の切れめのとこでひきつったり震えたり、その辺の具合が、Yo La Tengoのかんじだったの。

Lamchopが出てきたのは8:30くらいから。 彼らを見るのは3回目くらいだが、今回のもいかった。
新譜の"Mr.M"は、ミニマルでかっちりした音構成を最大限に活かすような曲とヴォーカルの息づかいが素敵に煮詰まってて何度たべてもおいしいの。

ステージをぐるっと囲むかたちで端からドラムス、ベース、オルガン/ギター、ピアノ、ギター/ヴォーカル(Kurt Wagner)の5人。
音はやや小さめで、天井から垂直に落ちてくる澄んだ音の粒が真ん中でゆっくりとぶつかったり交錯したりしつつ、緩やかに流れを作っていく、そんなかんじ。 所謂カントリーにあるような、スインギーでシンガロングな親密さからはほど遠い。 インストパートだけだったらミニマルなジャズのようにも、ヴォーカルパートだけだったらブルースのようにも、ポエトリーリーディングのようにも聴こえる。 静かではあるが、集中して聴くことを強いるような、そういう磁場を持った音。

最初はぜんぜん喋らないので不機嫌なのかと思ったが、曲に集中していただけだったみたい。途中から女性をステージにあげたり、いろいろサービスをやりだして、アンコールもやりそうになかったのに3曲もやった。
アンコールの最初がアナログのボーナストラックに入っていたBrian Wilson - Glen Campbellの"Guess I'm Dumb"。(わーい)
"The Gateway to all mid-Western Rock"て紹介していた。 そうだよねー。

最後はヨラテンのIraさんとJamesさんをステージにあげて、7人でじっくり。
Kurtさんが、「Ira, ようやく一緒にやれるねー」とにこにこしていたので、共演は初めてだった模様。
このふたつのバンド、音は違うけど、バンドのありようはなんか似ているかも、と少し思った。 紙やすりみたいなとことか。

おみあげにKurtさんの別プロジェクト(?) のアナログ2枚買った。
 
  

4.22.2012

[theater] Death of a Salesman - Apr. 18

水曜日の晩に見ました。これと、木曜日のライブは出る前にチケット取っておいた。

演劇もミュージカルもあんまし見ないのだが(際限ないから。お金もないし)、これは別かも、と。
ブロードウェイで演劇を見たのは2003年の"Long Day's Journey Into Night"以来、ということになる。 場所はEthel Barrymore Theatre。 がちがちにSold Outしてた。

"Long Day's…" にもPhilip Seymour Hoffmanは出ていて、この舞台で彼の父親を演じていたBrian Dennehyは99年の"Death of a Salesman"(Robert Falls演出、初演から50周年記念公演)でWillyを演じている。

ブロードウェイの上演としては、1949年の初演(演出はElia Kazan)から数えて4回目のもの。
今回のは、演出がMike Nichols、WillyがPhilip Seymour Hoffman、BiffがAndrew Garfieldで、これだけでも見なくては、というかんじにはなる。
そして、戦後の倦怠と徒労が見え始めた時期のアメリカの家族を描いたこのドラマが、いま必要とされている、ということも十分にわかる。(音楽は初演時のAlex Northのものを、セットデザインも同様にJo Mielzinerのものを再現している)

Willyの最期の二日間に彼の頭に去来したあれこれと家族とのやりとり、それを通してアメリカの、アメリカの仕事や家族のありようの凋落に向かう約30年間を、描く。もちろん、すごくダークで重くて、やりきれなくなる。
なんでこんなに辛いのか、なんで思ったとおりにいかないのか、わかってくれないのか、わかりあえないのか、幸せになれないのか、誰も、なにも悪くないのに。 といった悶々、延々とつづく問いのぶつかり合い、ぶつけ合いの果てに、それでも浮かびあがってくる夫婦の愛、父子の愛。 
でも、それでも彼は死んでしまうだろう。あまりぱっとしなかったセールスマンとして。 成功を、尊敬される父親を夢見て前へ前へと進んできたセールスマンのなれの果てとして。

いま、我々はみんな、我々の99%がそんなセールスマンとして生きなければいけないこと(なんでだ?)をはっきりと知っているの。(→ Occupy !)

そして、Philip Seymour Hoffmanという役者が、そういう激昂と煩悶、逡巡と自棄とをそのむっちりした体型とちょっとした目の動きだけで体現できるひとであることは、映画のスクリーンだけでも十分わかる。
生PSHを見るのはこれが4回め。  最初のは2003年、BAMのイベントで"Punch-Drunk Love"のあとにPTAと一緒のトークがあったの。ぐいぐいしゃべりまくるPTAの横でぶかぶかの短パンをはいてこたつ猫みたいにもじもじしながら、たまに下向いて"Fuck…" とか呟くPSHはとってもチャーミングだった。  2回目が"Long Days …"で、3回目は2010年、Jonas MekasとKenneth Angerにお金をあげるイベントのゲストで出てきて、にこにこ笑いながら寄付を強要する素敵な役だった。
要するに、スクリーン上の彼もすばらしいが、生も本当に見事で、今回のはとくに飛び抜けていたと思う。

一幕の終わり、台所でガスパイプを発見して呆然とするBiffの横でひっそりと寄り添うWillyとLinda(ここは原作とちょっと違うね)とか、二幕の終わりのほうの修羅場で荒れ狂うBiffの頭をWillyの白くてふっくらした腕が包んでしまうとこが、ほんとにいかった。

これがブロードウェイデビューとなるAndrew Garfieldくんも勢いで突っ走っていて(でもちゃんとコントロールはできていて)素晴らしい。よい役者さんに育っていくことでせう。

全体にじとーっと暗い作品と思っていたのだが、ところどころヒステリックに笑えてしまうとこもあり、でもその直後に急落下、という緩急の激しく、畳み掛ける勢いで流れていく演出、でもラストはみんなずるずるに泣いてしまうのだった。

終って外に出たらすんごく冷たい雨が降っていたので続けて映画を見るのはやめたの。

 

4.20.2012

[log] Apr.20 2012

帰りのJFKに来ました。
のこり、あと3つくらい書くのがあるのだが、帰国してから。

水曜日の夕方から晩にかけて雨が降って寒くなっただけで、それ以外はよい天気でした。
そして、とにかく、文句言ってもしょうがないのだが、滞在4.5日は短すぎる。
映画は5、演劇1、ライブ1、これでいっぱいいっぱい。
お食事系はほぼぜんぶ、諦めるしかなかった。

来週だったらあれとあれもあるのに、さ来週だったら…  えんえん。

ではひこうきに。 ねむすぎる。

4.19.2012

[film] American Reunion (2012)

月曜の晩のJimmy Fallon ShowにStiflerが出ていて、見ろよな! と言っていたので黙って見るしかない。
どっちみちぜったい見るリストにはあったから。  火曜の晩の9時過ぎにTimes Squareに行った。

前作の"American Wedding"(2003) - もう10年前かよ...  ですら日本では公開されなかったので、これも公開は無理だろうけど。
こーんなにおもしろいのにな。 かわいそうに。

バンドのリユニオンにあたりがないこと、ドラマの後日譚みたいのがつまんないことは承知のうえで、でもこれは大丈夫だし、見るべきものがあるはず、と思っていた。 
もともとの話がしょうもない、たわいもないエロ話がほとんどで、そのしょうもなさをリアルなほんもんにするために、登場するキャラのぼんくら度合とか、なんともいえない臭みをしっかりと定着させることに、これまでのシリーズは注力してきた。
そして、だからこそ我々は、今作が発表になったときに胸が躍ったのだし、劇場に喜んで足を運ぶのである。 昔の友達に再会するのと同じようにね。

"Class of 1999"の同窓会が地元であるから、その前に会って楽しもうぜ、ということになっていつものメンバーがやってくる。
勿論、みんな仕事とか家族があって、いろいろあって境遇は変わっているのだが、でもやっぱり変わんないじゃん、という。
そういう剥げ落ち、みたいのが同窓会前の、同窓会の最中のじたばたでいろいろ浮かびあがってくる。 
で、ほうら、ってみんな言うの。

監督はHarold & Kumar シリーズを作ってきたコンビなので、外れない。
とにかく、出てくる全員、出てきたキャラクター全部がちゃんと活きてて、過去のシリーズ、エピソードへの愛とリスペクトがこれでもかと詰まっている。
それは、たぶん、このシリーズを初めて見るひとにも伝わるし、楽しめるのではないか。
彼らはずうっとそういうキャラで、ずうっとそこにいて、それぞれに生きてきたことがわかる、そしてひとりとひとりとひとりが再会して、肩を叩きあうだけで、お互いにあった過去のいろんなことがふんわりと目のなかに現れることがわかる、そういう安心感というか安定感というかがこちらにも伝播してくるの。 

今回は、JimのパパとStiflerが特によい。 泣きたくなるくらいにいいの。 ほんとよ。

音楽は、なつかしいのがいっぱい。 Third Eye Blindとか、Semisonicとか、Litとか、ああいうのがうじゃうじゃ。
あと、Spice Girlsとかは、もうクラシカル・ロック なのだそうです。 (最近の若い娘さんによると)

[film] 21 Jump Street (2012)

月曜日の晩、9時過ぎ、Union Squareで見ました。
基本Jonah Hillものは見ることにしていて、この作品ではストーリー作って(共作)、プロデュースまでやってる。
予告だけで十分おもしろかったし、見るしかないよね。

高校時代(2005年)、Jonah Hillが(エミネムのかっこしてる)Dorkで、Channing TatumがJockで、ふたりでポリスアカデミーに入って卒業して、公園まわりの自転車警備隊をやっていたのだが、へまをした罰で高校で流行っているドラッグ販売網への潜入捜査を命じられる。(それを命じるのが上司のIce Cube)。

んで、ふたりは高校生活をもう一回やることになって、こっから先は誰でもわかるわ。

基本トーンは学園モノで、プロムねたとかもあって、同時にバディの刑事モノでもあって、これらに求められるあれこれがぜんぶ入っている。 で、これらのこまこましたネタが全部きちんと絡みあってクライマックスになだれこんでいくとこはえらい。よく練ってあるねえ。
追体験のようでいて、卒業してたった数年しか経っていないのにまるでカルチャーが変わってしまった学園生活のあれこれとか、なるほどなー、というとこも多い。

Jonah Hillが運動神経ゼロだけど変なとこに頭のまわるバカ、Channing Tatumが運動神経だけはすごいけど、あとはぜんぶバカ、というこのコンビがなかなかすごくて、なにやらせてもおかしい。 ふたりでドラッグにはまって騒ぐとこなんておかしすぎ。
刑事コンビものとしては、"The Other Guys" (2010)以来のヒット、と言えよう。
映画版のスタハチよか、おもしろかったかも。

このために40ポンド減量したらしいJonah Hillは、それでもぜんぜん持ち味が変わっていないとこがすばらしい。  車に轢かれようが背中になんか刺さっていようが。

Channing Tatumは、朴訥で誠実で忠実で体力だけはたっぷりあるでっかい犬みたいな(キャラクターを演じる)ひとだと思っていたが、コメディもなかなかいけることがわかった。 今後に期待したい。

カメオで、オリジナルのTVシリーズ(見てないけど)のふたりもちゃんと出てくる。 つまりはあのひととか。

音楽はいっぱいいろいろ鳴っているがオリジナルのはMark Mothersbaughさんだった。

映画の前に少しだけ時間があいたので、WilliamsburgのAcademy RecordsとSpoonbill and Sugartownに行って少し買った。
どっちの店の猫も元気でした。

[film] Damsels In Distress (2011)

"Turn Me On, Dammit!"の後で、そのまま横に流れて、SunshineでWhit Stillmanの10数年ぶりの新作を見る。  女の子映画つづき。

大学にいる仲良し3人組の娘さんがいて、そこに新入生 (Analeigh Tipton - "Crazy, Stupid, Love."のJessicaさん) がきて、彼女に自分たちのサークルに入りましょう!ていうの。 
彼女たちは自殺防止サークルみたいのをやっていて、自殺防止にはドーナツとダンスが有効だと信じていて、ほかにもものすごくいろんな定説とか信条みたいのがあって、べらべらべら止むことなくそういうのをおしゃべりしている。

その内容とかそのもっともらしさとか、そういうのをいちいち言ってもしょうがなくて、彼女たちの高慢ちきで鼻持ちならない話し方とかふるまいとか、同様に彼女たちの周りに出てくる男たちの見栄っ張りでせこくてぼんくらなとことか、そういうのをあれこれつっついてもしょうがなくて、勿論そういう、誰が何を言ってこうなった - みたいのをきちきち紐解いていけば、作品のベースにあるかもしれない世界観みたいのも明らかになるのかもしれないが、そういうのはこの作品のありようとは別のなんかのような気がする。

むしろ、そういうのにいちいち眉間にしわ寄せてきりきりあたふたしている彼女たちの表情とか、そういうのをぶつぶつ言いあいながら緑の光できらきらした小道をすたすた歩いていく4人の眩しさとか、そういう青春のあれこれ、を見るべきなんだろうな。

なかでもとにかく、サークルの真ん中にいるGreta Gerwigのとんでもねえ面白さときたら。
 "Greenberg"でも変な娘さんだったけど、ここでも相当へんなひとをほんとに普通の佇まいで堂々と演じている。
所謂不思議ちゃんとかただのあばずれだったらわかりやすいのに、そういうのではない、単純になにを考えているのか、なにを抱えているのかわからない予測不能な、それこそ女の子としか言いようのない挙動の、(男子からみたときの)勝ち目のない揺るぎなさ - ひとによってはそれをMuseと呼んでくらくらしてしまうかもしれない佇まいに釘づけになる。 よくもわるくも。

で、そんな彼女に踊るのよ! と言われたらもう踊るしかない。 
タップにアステア、最後に出てくるSambola(はやるとはおもえないねえ...)、とかいうよくわかんないやつ。

1937年の"A Damsel in Distress"でアステアとコンビを組んだJoan FontaineとGreta Gerwigて、ちょっとだけかんじが似ているのだが、どうかしら。

とにかくねえ、女の子が素敵なファッションで、おしゃべりしたり、眉をひそめたり、ぞろぞろ歩いたり、怒ったり泣いたり、最後にステップを踏んでくるくる回る、それだけで十分に映画になってしまう、ということの驚異が、単純な驚きがここにはあるの。
そして、ロメールの映画にあった、よくわかんないまま、ずるずる引き摺りまわされてしまう快楽も確かに。 映画観に座って、見て聴いているだけで、ひたすらだらだら心地よいの。

Analeigh Tiptonさんもチャーミングでねえ。 あの目のでっかくて素敵なこと。

音楽は、Mark Suozzo & Adam Schlesinger (FOW) でちょっとレトロなサロンミュージックみたいなのがチャーミングだった。


この後、晩にはHBOの"Girls"のプレミアでも見ればある意味パーフェクトだったのだが、ホテルにはHBOが入っていなかったので、Brooklynにご飯食べにいった。 (で帰りに地下鉄がなくて戻るのに1時間以上かかって - )

[film] Turn Me On, Dammit! (2011)

着いたらもう夏でしたわ。 月曜日なんか27度もあった。 これで仕事しろと。

見なきゃいけないやつの最初のがこれ。 最初がこれかよ、とか言わないこと。
Angelikaまで下りていって見ました。

http://turnmeondammit.com/

2011年のTribeca Film Festival(今年のはこの水曜から始まる、でもぜんぜんむり)で"Best Screenplay"を受賞している。

ノルウェーのSkoddeheimenていうど田舎に暮らす15歳のAlmaと友達ふたり、Trollが出てきそうなほんとしょうもない山奥の田舎、バスで村に入るときはきまって中指を立てることになっているそんなとこで、やらしい妄想ばっかりしてるAlmaの日々と明日はどっちだ。

彼女のエロな妄想と現実がごちゃごちゃに(でも静かな、ほとんど同じトーンで)描かれるのだが、彼女にとってはどちらも同じ日常なので(こんな田舎で他になにしろってんだよ!)どうすることもできないの。

いちばんの事件は、彼女がぼんやり憧れていていつもの妄想の餌食になっているArturがパーティの最中に彼女の横にきて、ちんぽこたててつんつんしてきた、というもので、これの真偽(あるわけねえだろそんなの、でもだって)をめぐって騒ぎが起こって彼女は村八分にされてしまうの。

とにかく、母親とか近所のガキとかに何を言われようとも、仏頂面で動じなくてつーんとしているAlmaの後ろ姿がかっこいい。
強いとか狂ってるとか変な娘とか、そういうのではなくて、そうやってここで生きてるんだけどなにか? みたいな。

でもおもしろくて、なんだかとってもよくて好きなんですが。
全体の落ち着いたトーンはなんとなく、"The Myth of the American Sleepover" (2010) とかに近いかも。

Kings of Convenienceがすごく素敵に流れてきて、この2人組の音の場所はこういうとこにあるのね、とか思った。

あと、予告でWoody Allenの新作"To Rome with Love"がきた。 今度のもおもしろそうだねえ。

4.15.2012

[log] Apr.15 2012

これからひさびさの出張で、New Yorkに飛びます。
これがCoachellaだったらなー(とか言わない)。
金曜の朝までの正味4日間。 スケジュールはぴちぴち、遊ぶ時間なんて、ないの。

ああうー、"Seamonsters" があああ。

ほんとは4月の第一週を狙っていたんだけどなー。
CursiveとThe Magnetic Fieldsのライブがあったし、BAMではLena Dunham Selectsがあったし。

今週はなんだか、ぜんぜんないわ。 
ライブはほとんどSold Out、MOMAのKraftwerkなんていまさら絶対むりだし。
Record Store Dayは21日からだし。

映画も旧作の特集はぜんぜんない。 なんとしても見たい新作は6本くらい。
病み上がりでどこまでいけるか。
滞在を延ばせそうなとこ、ないしなー。

せめて低気圧だけは降ってこないでほしいー。

あと、土曜の晩は、旅から戻って終わってたらやだったので、六本木で『シャーロック・ホームズ シャドウ ゲーム』を見ました。

前作よかおもしろかったかも。
あのストップモーションばりばりのアクションのどこがおもしろいのか、いまだによくわかんないのだが、あれはああいうもんで、あのダイアローグと密連携したパラパラ漫画、みたいなことをやろうとしているのかも、とか。

ホームズは相変わらず推理と調査を重ねて結論を導きだす探偵、というよりは先のことがぜんぶ見えてしまう超能力者で、ホームズとワトソンの関係も、探偵と助手というよりは、はっきりとホモセクシャルのそれなのだが、でもおもしろいからいいや、だったの。

あと、土曜日にMergeから箱が届いた。(アナログを半年に一回くらい束ねて取り寄せている)
M.Wardの"A Wasteland Companion"、すばらしいですね。

[film] The Big Bird Cage (1972)

風邪と低気圧で完全にやられてしまった金曜の晩、見ました。

『夜コーマン』の三つ目、エロ編、『残虐全裸女収容所』。
エロ編だったら這ってでも、だったし、このタイトルならきっと、だったのだが、そんなエロないし、残虐じゃないし、全裸は出てこないの。 ちがうじゃん! なのだが、そういうこと言い出したらきりないのでしない。
映画そのものはじゅうぶんおもしろいし。 

エロというより革命の映画。それも成功したやつじゃなくて、しょぼい形で失敗した、最初からこんなんじゃだめだろ系の「革命」のお話。

アジアのどっかの国で、政治家の彼と一緒にいるとこをゲリラの人達に拉致されて、それでそのまま勘違い投獄されたおねえさんと堀の中の人達とのあれこれがひとつ。

もうひとつが、ゲリラのリーダー(Sid Haig)とPam Grierが、掘ったて小屋をゆさゆさしているのを見た部下が、おれらもあんなことやりたいー、沢山のおねえさんに囲まれて、しかも革命を起こすには…  そうだ女子刑務所を解放しちまえばいいんだ! レッツゴー!  と。

こんなような、ボタンの掛け違い&無謀な企てが、クライマックスで凄絶にスパークして爆発を起こすかというと、そんなでもない微妙なとこがなんかすごい。

極悪看守達の非道な仕打ちに女囚達の怒りが沸騰して一挙に、というよりは、手引きで入獄したPam Grierとリーダーに煽られて火つけてみたら燃えひろがって大変なことになっちまってあーあ、と。

それでもなんかすごいとこは、あんなんだったのに、うん、きっとだいじょうぶだよ、みたいなアジアの笑顔で締め括られてしまうとこで、いやー、アジアはこんなにもアナーキーでわけわかんないのです気をつけよう、というのを訴えたかったのかもしれないの。

4.12.2012

[film] Troll Hunter (2010)

風邪ひいた。さいてー。

火曜日の晩に有楽町で見ました。
あの辺の映画館て、なんでいつもキューピーなのかね。

昨年見た"Monsters" (2010)と同様に、かいじゅうの存在そのもの、その真偽とかリアルさに迫る、というよりはカメラを抱えてその痕跡を追う、記録しようとする人たちの目を通してかいじゅうを追体験する、そういう系の映画。 ほら、だからかいじゅうはいるでしょ、ほんもんでしょ、こうして記録されてるんだし。 で、撮った張本人たちはもう消えてていないのね。 文句言いようがないよね。

"Monsters"は地球外からやってきたやつだったが、こっちのは土着、地場もん、寿命は1000〜1500年だって。 どっちも生息圏があって、そのテリトリーは国によって厳重に管理されているはず、だったのに撮っているうちにそのタガが外れてしまっていることがわかる。 これは大変だ、どうする? と。

たんに好き嫌いでしかないのだが、こっちのが好きかも。
地球外だとキャラ設定はどうにでもなるけど、土着は難しいしね。なんたってトロールだもの。変な設定にしたらムーミンだって黙っちゃいない。
山トロールに森トロール(サンダとガイラと...)がいて、妊娠期間は10〜15年、歳取るにつれて頭が増える、太陽光を浴びせるとビタミンDに過剰反応して爆発する、とか、キリスト教徒がだいっきらい(でもイスラムは可)、とか、考えるの楽しかったろうなー。

政府機関の下請けでトロールの駆除をするハンター(ハンス、かっこいい)をドキュメンタリーを撮っている怖いもの知らずの学生3人組が追っかける、というありがちな設定から入るのに十分おもしろいのは、追っかける対象がゾンビとか幽霊とかそういうのでなくて、でっかくて凶暴な(でも)トロール、だったからだと思うの。

特撮はなかなかしょぼいけど、あのでっかさをうまく表現しようとがんばっているかんじが出ていたので許す。まぬけだけどね。あのベロだした熊とかも。"Bad Bear, Bad Price"...
あとは夜の森の暗さとか怖さ、寒い大地とか冬のびうびうしたかんじもよく出ていて。

続編は、もう引退したハンスの元にフィンが来て、闇でトロールをハンティングしている組織がいるので手を貸してほしい、ていうの。でハンスは過去の償いもあってトロールのために立ち上がって戦うの、そんな話しだよ。 たぶん。

ラストにがーんと流れるKvelertak(てぜんぜん知らないけど)のメタルがなかなかよくて、そういえばブラックメタルの人たちってトロールの仲間なのかも、とか。

4.11.2012

[film] The Artist (2011)

日曜日の夕方に六本木で見ました。
なにがなんでも、というわけではなくて、見ておかないとな、程度で。

あそこのでっかい7番スクリーンで、オケがうなりをあげるでっかい音で見る、これだけでじゅうぶん。
サイレントをこんなふうに見る快感も、あるところにはあるのだという発見もある。

この作品をなんで今、モノクロのサイレントで撮ったのか、その理由とか必然性とかトレンドのようなもんについては、わかんないこともないけど、あんまし興味を持てなくて、だから米国で騒がれだした頃もなんとなく足を運ぶかんじにはならなかった。
でもまさかオスカーをあそこまでさらってしまうとは思わないよね。 Weinsteinおそるべし。

よいお話、としか言いようがない。
サイレントからトーキーへの変遷をふたつの時代のスターの台頭と凋落の波線上に、ふたりの恋と復活、そしてダンスを絡めて描く。
このよいお話が、サイレントというフォーマットのなかでものすごく活きるかというと、たぶんそんなでもなくて、でもべつにいいかも、程度の。

でも完全にサイレントでもなくて、音楽以外の音とか台詞もいくつかは入ってくる。 そのタイミングと出し方はちょっとだけすてきかも。

サイレントを見る快楽、というのは確かにあって、でもそれが具体的にどう、というのを言えるほど見ていないのだが、これ見たからもっと見よう、見たい! になるかというとそうでもないかも。 どちらかというとGuy Maddinとかの、現代のサイレントの流れのほうに近いかも。
淀川長治さんがいたら、どう見たかなあ、とか。

主演のふたりはそんなでも、だったがJohn GoodmanとJames Cromwellは文句なし。
それと、わんわんに関していうと、スコセッシが吠えたって、パルムドッグは異議なし。

とにかく、この作品に関していうと、あのでっかい画面で見ることが全てなので、見ませう。

[film] 恋すれど恋すれど物語 (1956)

『汽車はふたたび故郷へ』の後でなんとなくもう一本、という気がしたのでそのまま神保町シアターに入ってみました。
べつになんでもよかったとか、そんなかんじ。

特集『ひばり・チエミ・いづみ 春爛漫! おてんば娘祭り』の1本なのだが、雪村いづみは最初のお祭りのとこでわーっと歌って盛りあげて、それだけ。

有島一郎と三木のり平がうだつのあがらない町人で、有島一郎のほうが彼女の愛を勝ちとるためにお侍になろうってがんばったらガキの子守をやれって言われて、さらに江戸まで危ない壺を運ぶように言われるの。 その壺の中に入っているのはすごい危険な爆薬で、テストをしようとしたら住民の反対運動が起きて(なんでみんな知ってるんだ?)、実験したらきのこ雲がもわもわで、実験を見ていた家来とかウサギとかはみんな骨になっちゃうの。
んで、それを狙う山賊とかスリとかいっぱい出てきて、『恐怖の報酬』と『太陽を盗んだ男』を掛けあわせて反核のメッセージをこめたスリル満点の娯楽超大作なの。 最後はよくわからんまま怪談にもなって、とにかくてんこもりなの。 

最後はもちろんなるようにしかならなくてめでたしめでたしなのだが、恋すれど恋すれど、のとこだけは変わんないのでかわいそうだった。 ずっと恋しつづけるしかないの。

オールスターの時代劇ミュージカルなので、かわるがわるいろんなひとがいっぱい出てくるので楽しい。
古川縁波とトニー谷のコンビが袖の下とさらりまんの助、だったりとか、大河内傳次郎が怪しい占い師だったりとか、すごい有名な大スター、程度のことしか知らない人たちが、とにかく沢山、でもだれがだれなのかあんまわからず、後から確認したりする。

こういうのを公開当時に見て、50年たってからもういっかい見るって、どんなかんじなのかなあ、て少し思った。

[film] Chantrapas (2010)

土曜日、もう終ってしまいそうなので神保町に行って見ました。
岩波ホール、何年ぶりだか。  どれくらいぶりかというとだな、『ファニーとアレクサンデル』以来 …  たぶん。 おそろしいねえ。

オタール・イオセリアーニの新作。『汽車はふたたび故郷へ』
まだソ連だった時代のグルジアに育って友達と映画を撮っていたニコラスが、検閲されたり投獄されたり、そういうのが嫌になってパリに渡る。 パリに行ったら行ったでプロデューサーだのなんだのがわらわら寄ってきて思うようにやらせてくれない。
で、結局ふたたび故郷に戻ることにする、と。

不自由さのなかで生きる、映画を撮る、というときの「不自由」を強調するのではなく、そこで帰るべき「故郷」をクローズアップするのでもなく、まわりにいたいろんな人たち、友達だったり家族だったりと共に生きる、映画を撮る、ということを静かに追っている。
がむしゃらに生きる、なにがなんでも映画を撮る、ということよりも、それしかできないんだけどなにか? という飄々とした態度が主人公の鰻みたいな顔と調和していておもしろい。 なにされたってぜんぜんめげないんだから。

主人公の顔がクローズアップされることはなく、カメラは常に2人とか3人とかと一緒のとこが入る距離のところにいてじたばたするのを遠巻きで見ている。 更に彼らがカメラのほうに向かって寄ってくることは殆どなく、常にカメラは人たちの背中を見送る位置にあって、この背中がよい。
そして、同様に性急な動きも殆どない。 こういう、ただそこに置いてあるだけのようなカメラの動きと時間がなんともいえなく素敵で。

これだけだったら、別にふつうのよい映画なのだが、それだけではないの。
途中で、なぜか突然アピチャッポンが割入ってきて、最後はSplashになってしまう。 
見てみればわかる。 なかなかびっくりするから。

これに、nobodyのサイトで監督が言っている『故郷にふたたび戻っていく事は不可能なのです』というのを重ねてみよう。

それにしても、汽車のシーンがすばらしすぎる。
あとはスイカを食べる象と、そばにいてもなんもしない熊(あいつだれ?)とか。

主人公を演じた彼は監督の孫だという。 そのせいかおじいちゃんとのエピソードが素敵でねえ。
おじいちゃんの頭突きのシーンは特に痺れた。

ほかに、ビュル・オジェさんもちょっと出てきて、あとフランスのプロデューサーのひとりのハゲは、どっかで見た気がしていたらパスカル・ボニゼールさんだったのかー。

4.07.2012

[film] Rock 'n' Roll High School (1979)

先週は3日の大風であらゆる予定がドミノ倒しでふっとんでしまい、金曜日、やっとの思いでこれだけ見ました。

新宿武蔵野館の『夜コーマン』2週目、ロケンロール篇。日本では劇場未公開だったって本当か?
アメリカだと民放でふつーにやっているスタンダードなの。 でも最後までちゃんと見たことはない、そんなようなやつなの。

これもコーマンはプロデュースのみ、監督はAllan Arkushと、Joe Danteが一部を手伝っている。

Ramones狂いのRiffとか、その友達の真面目なガリ勉Kateとか、スポーツマンでハンサムなのに全くもてないTomとか、TomはRiffが好きで、KateはTomが好きで、そういうのがいる高校に厳格な女校長が入ってきて、Ramonesなんて有害です!Ramonesを聴いたネズミは爆発しちゃうんです! と弾圧を始めるの。

一応、この手の学園モノに定番のキャラもステップも必要なとこはひと揃い出てくるのだが、全体の流れと結末は、真面目に書く気にならないくらいあまりにぐだぐだのぼろぼろで、この辺はコーマンというよりRamonesが持ちこんだもの、という気がしないでもない。 

音はあの通りガバガバえいおーレッツゴーなのだが、ビジュアルに関しては連中が現れた途端にどうしようもないだらだらした胡散臭さが撒き散らされてしまうの。 ライブシーンで着ぐるみのネズミさんが出てくるが、バンドとして映っていあれらもRamonesの着ぐるみを付けたなにかではないか、という気がしてならない。

そして、それはもちろん、ぜんぜんこの映画を貶める要素にはなっていない。"Rock 'n' Roll High School"というタイトル、Ramonesというバンド、の掛け算で我々がイメージして期待するすべてが、あのイントロのドラムスに乗って軽快にとんでくる。

ラストの校長勢力との対決のとこで、Riffは「この学校はあんたのものだ、あんたのいる場所で自分たちのじゃない、だからこうしてやるのさ!」と言って学校をふっとばしてしまう。
そうなんだよねー、80年の頃の高校って、軽蔑と憎悪を込めてぶっこわすものでしかなかったの。
いまの高校、というか教育機関て、あなたのキャリア形成になくてはならないもので、世の中の役に立つ人材を育てるとこで、カレとかカノとか喧嘩相手とかと出会う場所で、だれも組織とか建物をぶっこわしちまえ、みたいなこと言わなくなっている気がするのだが(映画のなかで見る限り、ね)、どうなのかしら。

あと、自分の路上にない組織やルールなんていらねえ、そんなのぶっこわしちまえ、というのはコーマンの論理であり倫理でもあるのね。

ライブシーンの最前列にGermsのDarbyがいたのか。ネズミにばかり気を取られていたわ。

メインのバンドには当初Todd Rundgrenを想定していて、そこからCheap Trick → Devo → Van Halenと移動して、最後にRamonesに落ち着いた、ていうのはちょっと信じられない。
それくらい、Ramonesでしかありえない臭気に満ち満ちた作品なの。

これの撮影当時のRamonesは"End of the Century"を制作中だったと。 自分にとってのRamonesは、このあたりからなの。 新宿のツバキで・・・

そういえば、もうじきのRecord Store Dayでは"The Breakfast Club"と"Pretty in Pink"のサントラが再発される。 前者はWhite Vinyl、後者は、いうまでもない。

4.06.2012

[film] The Help (2011)

日曜日に新宿で見ました。
ここんとこ荒んだお話が続いていたので、少しは暖かめのやつを見ておこうと。
邦題は『ザ・ヘルプ 心がつなぐストーリー』だし、そうこなくちゃね、とか。

前日の"Take Shelter"からだとアメリカ南部つながり、あと、Jessica Chastainつながりでもある。

んでも、あんまし心がつながっていく話しでもなかった気がする。
むしろ、心は思うようにつながっていかなくて、それ故に追い詰められた心と心がぽつんぽつんと立ち上がっていく、そんなお話だった。
主人公は、白人階級のお友達サークルに馴染めないSkeeter(Emma Stone)ではなく、最後にたったひとりで遠くにすたすた歩いていくAibileen (Viola Davis)で、Skeeterはたんに彼女の背中を押してあげただけだったような。

物語も、真面目に深刻に当時の、南部の人種差別問題を抉っていく、というよりは(それがベースにあることはもちろんだが)、どちらかというといくつかの隣同士コミュニティやサークルの間で繰り広げられるやったりやられたりやり返したり、というそのどったんばったんのやりとりとそのおもしろさが中心にあったような気がした。 朝の連続TV小説のようなかんじ、もしないでもない。

こういう、無垢で無邪気な白人が突然黒人コミュニティに入っていったときに巻き起こるあれこれを題材にした映画(或いは、白人社会から落ちこぼれた白人が異人種である黒人のピュアで美しいなにかとか才能とかに触れて救われる、という構図)は、ここ数年でも"The Secret Life of Bees" (2008)とか、(ちょっと違うかもだけど)"Cadillac Records" (2008)とか、いろいろあって、そういうのが映画の題材になる、ということはつまり、まだまだ壁とか溝はあるのかなあ、とかぼんやり思う(まだたった50年くらい前の話なんだよ)。 

と同時に、でも、ここで描かれた不理解や不寛容て、決してあの時代のあの場所に特有のなんかではぜんぜんないよねえ、とかこの国の「一般市民」の被災者の子供たちへの対応とか見ていると思うし、この映画のなかの"The Help"という本ではき出されたなにかは、現在のTwitterに置き換わって、でもやはりはき出されるばかりで結局のとこなんも変わることはない(不寛容なバカの数はへらない)、とか。

でもそんなこと考えなくても俳優さんがみんな素敵なのですいすい見れて楽しい。

善玉と悪玉がちゃんと分かれてて、Emma StoneにJessica ChastainにSissy Spacek、すきな人達はみんなちゃんと善玉側にいて、悪玉の筆頭、Bryce Dallas Howardさんは"50/50"に続いて震えるくらいやな女をつーんと演じていてすごいの。

Emma Stoneさんもよいなあ。おしゃべりで頭もよくて正義感もある、けど周りにはっきりとNoを言えないちょっと入り組んだ役を嫌味なくさらりと演じている。

音楽は地味によくて、Johnny CashにFrankie ValliにBo DiddleyにBob Dylan、などなど。
そしてラストのMary J. Blige 〜 Mavis Staplesがタイトにじーんとはまるの。

あとねえ、おいしいSouthern Fried Chickenて、ほんとにほんとに地獄のようにおいしいんだよ。
KFCのフライドチキンて、あれは日本のだからね。

4.01.2012

[film] Take Shelter (2011)

天気の悪かった(ここんとこずっと悪いねえ)土曜日に新宿で見ました。
『ニーチェの馬』からだと、世界の終わり続き。

土木技師のCurtis(Michael Shannon)は妻のSamantha(Jessica Chastain)と、耳の聞こえない娘と3人で穏やかに暮らしているのだが、オイルの雨が降ってきたり、雲が変な形になったり、鳥が異様に群れていたり、リアルな悪夢を頻繁に見るようになったり、夢と現実の境が揺らいでくるようなあれこれに直面するようになる。

彼の母がいまの自分と同じ30代で統合失調証による過剰行動で病院に隔離されたことがあるので、精神科に相談に行ったりするものの、やがて世界がとんでもないことになってしまうという確信/妄信から目を背けることはできず、ローンで借金したり会社の重機を借りたりして庭先にシェルターを作り始め、当然のように彼は家族からも会社からも孤立していって、やがて。

たんに中年男のメンタルの問題とその行方を描いた、だけではない、それだけとは言い切れない - ほんとうに世界は逝ってしまうのではないか - という可能性と緊張を孕みつつ、じりじりと展開していく映像がすばらしい。 追い詰められているのはCurtisだけなのか? 彼以外の人々には見えていないなにかもあるのではないか? 

シェルターは彼にとって自身と家族を災害から守るもの、という名目以上に、彼の崩壊寸前の自我を維持するために必要であることは明白で、だから見ている我々は彼の家族と同じ目線で呆れたりはらはらしたりしつつもシェルターが彼の望むように機能してくれることを望む。 もしリアルなほんもんの災厄がどーんと落ちてきたら、どっちみちおじゃんになることがわかっていたとしても。

妻との関係、娘への愛、母への想い、職場の同僚や上司、自分が見る悪夢、幻覚に幻聴、これらがシェルターを中心とした磁場のまわりにぐるりと展開され、アメリカ南部の風景と気候の上に配置されることで見事な「世界の終わり」曼荼羅を描いていることがわかる。

『ニーチェの馬』で描かれる極限まで削ぎ落された世界の終わり(閉じていく世界)、ここで描かれる現代の煩雑でこんがらがった世界の終わり(同)、どちらも消失点に向かう抗うことのできない力とその強さは共通している。 そして、これは自分の世界のことである、というところも。

Curtisを演じたMichael Shannonがすばらしい。
南部男の朴訥さと力強さ、その裏で不安に潰され崩れて行く男の彷徨いを一遍に、見事に。 
ちょっと前だったらWillem Dafoeあたりがやったような。

ラストにはBen Nicholsのテーマが力強く流れるのだが、ここはTFFの"Pale Shelter"であってもおかしくなかったねえ。  そういう妙な懐かしさもあるの。

[music] My Morning Jacket - Mar.29

木曜日の晩のShibuya-AX。 
『戦火の馬』からの流れでいうと、梟つながり。『ニーチェの馬』からは… わかんないわ。
4時間やられたりしたときの念のために2階の椅子席にした。 4時間はやってくれなかったし、ほとんど立ってみてたのだが。
前回のDuoのは会場が小さすぎて申し訳ないくらいだった。 Terminal5で、5枚の旧譜を5夜に分けてライブやる、それがあっという間にSold Outしちゃうくらいなのに、日本ではさあ…

昨年でた"Circuital"は変な盤だった。 冒頭のとぅるるっとぅるるっとぅるるーから、不意打ちくらうかんじで、豪快な熊とか恐竜をイメージして待っていたら出てきたそいつはなんか微妙にメカニカルだったりして、でも聴きこんでいくとぜんぜん悪くなくて、いつものMMJでさあ。
でも、MMJのセンスってあんまよくわかんない。前の来日のときにもベースとキーボードはスーツ(+帽子)着てた気がするのだが、あれ本人たちが思ってるほど似合ってないってだれか言ってあげて。

でもライブバンドだからいいの。
いまのアメリカで、Wilcoと並ぶ最強のライブバンドなんだよ。(除. 大御所系)

冒頭から"Circuital"の最初の2曲が。とぅるるっとぅるるっとぅるるー。
しょっぱなからVictory Dance踊っちゃっていいのか? とかいわない。 
ホーンが入って少し音が厚くなっていたが、ぜんぜん大勢に影響していないかんじがすごい。
もともと毛皮の下の肉層が分厚いんだって。

Jim Jamesの声は最初はこわごわ抑えめにしているようだったが、だんだんに解き放たれていく。このひと、顔はまんまるの梟で、髪もしゃもしゃで、足は細めのO脚で、たまに痙攣してて、フライングVで、歌もギターもうまいし、おもしろいよねえ。 
前の来日のときは会場のせいだったのかややもっさりと聴こえたDrumsは十分にぱりぱりクリスピーに全体を揺らしていた。彼の風貌についてはなにもいうまい。
そして、そんな連中が全員でがーん、と鳴らしたときの音が気持ちよいこと。
まんなかのあたりの"Mahgeetah"の(まんなかで弾けるとこの)見事さなんて、うぉおー、でしたわ。

後半はややゆったりめのを余裕で流していって、本編までで2時間弱。
アンコールは4曲、最後からふたつめに"Holdin On to Black Metal"をやる。
あーこのへんでやるのかあ、だった。子供のコーラスがテープだったのが残念かなあ。Yo La Tengoみたいにガキ共を連れこめばよかったのに。
それでも十分たのしく盛りあがって、最後はもちろんみんながわくわく待ちこがれる"One Big Holiday" なのだった。 ほんとに素敵に、なんもしなくてもぐんぐん上がっていくの。

"Careless Whisper"はやってくれなかったねえ。