土曜日、もう終ってしまいそうなので神保町に行って見ました。
岩波ホール、何年ぶりだか。 どれくらいぶりかというとだな、『ファニーとアレクサンデル』以来 … たぶん。 おそろしいねえ。
オタール・イオセリアーニの新作。『汽車はふたたび故郷へ』
まだソ連だった時代のグルジアに育って友達と映画を撮っていたニコラスが、検閲されたり投獄されたり、そういうのが嫌になってパリに渡る。 パリに行ったら行ったでプロデューサーだのなんだのがわらわら寄ってきて思うようにやらせてくれない。
で、結局ふたたび故郷に戻ることにする、と。
不自由さのなかで生きる、映画を撮る、というときの「不自由」を強調するのではなく、そこで帰るべき「故郷」をクローズアップするのでもなく、まわりにいたいろんな人たち、友達だったり家族だったりと共に生きる、映画を撮る、ということを静かに追っている。
がむしゃらに生きる、なにがなんでも映画を撮る、ということよりも、それしかできないんだけどなにか? という飄々とした態度が主人公の鰻みたいな顔と調和していておもしろい。 なにされたってぜんぜんめげないんだから。
主人公の顔がクローズアップされることはなく、カメラは常に2人とか3人とかと一緒のとこが入る距離のところにいてじたばたするのを遠巻きで見ている。 更に彼らがカメラのほうに向かって寄ってくることは殆どなく、常にカメラは人たちの背中を見送る位置にあって、この背中がよい。
そして、同様に性急な動きも殆どない。 こういう、ただそこに置いてあるだけのようなカメラの動きと時間がなんともいえなく素敵で。
これだけだったら、別にふつうのよい映画なのだが、それだけではないの。
途中で、なぜか突然アピチャッポンが割入ってきて、最後はSplashになってしまう。
見てみればわかる。 なかなかびっくりするから。
これに、nobodyのサイトで監督が言っている『故郷にふたたび戻っていく事は不可能なのです』というのを重ねてみよう。
それにしても、汽車のシーンがすばらしすぎる。
あとはスイカを食べる象と、そばにいてもなんもしない熊(あいつだれ?)とか。
主人公を演じた彼は監督の孫だという。 そのせいかおじいちゃんとのエピソードが素敵でねえ。
おじいちゃんの頭突きのシーンは特に痺れた。
ほかに、ビュル・オジェさんもちょっと出てきて、あとフランスのプロデューサーのひとりのハゲは、どっかで見た気がしていたらパスカル・ボニゼールさんだったのかー。
4.11.2012
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