日曜日の夕方に六本木で見ました。
なにがなんでも、というわけではなくて、見ておかないとな、程度で。
あそこのでっかい7番スクリーンで、オケがうなりをあげるでっかい音で見る、これだけでじゅうぶん。
サイレントをこんなふうに見る快感も、あるところにはあるのだという発見もある。
この作品をなんで今、モノクロのサイレントで撮ったのか、その理由とか必然性とかトレンドのようなもんについては、わかんないこともないけど、あんまし興味を持てなくて、だから米国で騒がれだした頃もなんとなく足を運ぶかんじにはならなかった。
でもまさかオスカーをあそこまでさらってしまうとは思わないよね。 Weinsteinおそるべし。
よいお話、としか言いようがない。
サイレントからトーキーへの変遷をふたつの時代のスターの台頭と凋落の波線上に、ふたりの恋と復活、そしてダンスを絡めて描く。
このよいお話が、サイレントというフォーマットのなかでものすごく活きるかというと、たぶんそんなでもなくて、でもべつにいいかも、程度の。
でも完全にサイレントでもなくて、音楽以外の音とか台詞もいくつかは入ってくる。 そのタイミングと出し方はちょっとだけすてきかも。
サイレントを見る快楽、というのは確かにあって、でもそれが具体的にどう、というのを言えるほど見ていないのだが、これ見たからもっと見よう、見たい! になるかというとそうでもないかも。 どちらかというとGuy Maddinとかの、現代のサイレントの流れのほうに近いかも。
淀川長治さんがいたら、どう見たかなあ、とか。
主演のふたりはそんなでも、だったがJohn GoodmanとJames Cromwellは文句なし。
それと、わんわんに関していうと、スコセッシが吠えたって、パルムドッグは異議なし。
とにかく、この作品に関していうと、あのでっかい画面で見ることが全てなので、見ませう。
4.11.2012
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