9.30.2011

[film] The Future (2011)

BAMの後でマンハッタンに戻って、IFCでMiranda Julyの"The Future"をみる。
1日1回の上映になってしまっていたが、見れていかった。
むかしむかし、IFCに始めて行ったのが、彼女の"Me and You and Everyone We Know" (2005)の公開初日で、Q&Aとかがあったのだった。

シェルターで引き取り手を待っている壊れ猫Paw-Pawの独白からはじまる。
子供相手にダンスの先生をしているMiranda Julyと同居している恋人が、Paw-Pawをひきとることにして、Paw-Pawがくるまでの30日間にいろんなことをやってみよう、と彼女はおもうのだが、あんまうまくいかない。

The Future。 Paw-Pawにとっては外にでられるようになる時間、彼女にとっては、彼にとっては-

共有されえない未来、永遠のDay1、どこか遠くの、声が聞こえない、届かない場所。

未来 - The Future - と呼ばれる不確かな時間とその時間が導く、かもしれない不確かな場所に、いろんなひとが、猫までもが、ごにょごにょ言ったりやったりするし、裏切られたりもする。 
未来という概念に、言葉に、そこにこめられたいろんな思いが交錯する様を、他方でそんなのがあるが故に途方に暮れてしまう、情けなくて変なかんじを、時と場合によっては愛と呼んでも許されてしまうようななにかを、ほんわかと描く。

彼も彼女も、内面をがーがー吐いて大騒ぎするようなことはせず、つい踊ってしまったり、ついエコの変な団体に入って木を売ったりとか、その「未来」からひっぱられてひょっこりやってしまう「つい」なかんじがものすごくよくわかって泣ける。
だいじょうぶ、未来はぼくらのものだ。 たぶん。 でも。

それはかつて黒沢清が「アカルイミライ」(2003)で切り取ってみせたような、ざらっとしたコンクリートむきだしの、でも手応えありそうな「ミライ」とは別の、月のように、卵のようにまるくてしろくて危ういなにか、殻のむこう側でなにが動いているのかわからないようななにか、としての、"The Future"。

前作もそうだったように、そこらの映画の空気とはやはりちょっとちがう、アートのひとの作った工作、のかんじはするが、でもこれはやっぱり映画だし、なによりもMiranda Julyだねえ、としか言いようがないのだった。
冷たいところとあったかいところがだんだらの三毛模様になっているところが。

でもほんとに、未来ってなんなんだろうねえ。
どうでもいいけど。

と、ふたたび滞在が延びて、でも風邪ひいて動かなくなった頭でおもうのだった。
 

[film] Two Weeks in Another Town (1962)

BAMの"The Complete Vincente Minnelli", 土曜日の"The Bad and the Beautiful" (1953)は、晩の9:30の回があったのだが、ホテルに着いたのが8:30過ぎで、やっぱし諦めた。

日曜日はなにがなんでも、ということでこれを。

ちなみに朝ご飯は、Carrol GardensのButtermilk Channelで、パンケーキとFried Porkchopをたべた。  ここのは、ほんとになに食べてもおいしい。
Fried Porkchopは、とんかつとはかなり違った。 Fried Chickenがチキンかつとちがうのとおなじか。

Buttermilk ... の待ち時間(45分)に近所のBlack Gold Recordsにいく。
小さくて暗めのお店で、レコード(アナログのみ)と骨董とコーヒーを売っている。 

http://blackgoldbrooklyn.com/

もしたんまりお金があって道楽で店をだせるなら、こういう店作るよねえ、ていうかんじのとこなの。
アナログ、まじめに掘っていたらしぬかも、の予感がしたので、なにも買わずに切りあげました。

Buttermilk... の後で、これもいつものBook Courtに行って、Cousin Corinne's Reminderと、もう1冊、よくわからん独立系地下出版ぶつを買った。

で、そのまま歩いてBAMまで。 日射しが強くて、なんでかセミが鳴いてた。

BAMで見たこれの邦題は、『明日になれば他人』。 よくわからんが。

神経を患って療養中の俳優(Kirk Douglas)が、かつて多くの作品を一緒に作った監督(Edward G. Robinson)からの手紙でローマに呼ばれて、戻ってきたらどうだ、とアテレコのDirectionを任される。 自分が壊れる元をつくった撮影の現場なのでぴりぴりしていたのだが、過去の作品を見返したり(ここで上映されるのが、前の日に上映された"The Bad and the Beautiful"なの)、ローマ娘と会ったりするうちに良くなったり、大金持ちに囲われてぎんぎんのかつての恋人(Cyd Charisse)に会って悪くなったり、そうしているうちに映画監督が心臓発作で倒れたり、いろんなことが起こる。

コスチューム(by Walter Plunkett )もデコールも、なにもかもとてつもなくゴージャスでかっこよくて、溜息しかでない。 出てくる人たちはみんな大人で複雑で、恋の視野外にいるような他人なんてどうでもよくて、Another Townでの2週間の濃厚な時間と感情の揺れ - それは現在の自分を作り支えてきた過去の時間の反射としての濃厚さでもある- をあるときはきめ細やかに、あるときは怒涛の勢いで描きだす。 最後の暴走シーンのとてつもないこと。 
こうして、Kirk Douglasの横にぴったり寄りそうカメラを通して、この時代の大スターがどんなに輝いてて、しかし同時にどんなに壊れていたかを知るの。

LondonのNPGでみたハリウッド黄金期のポートレイトの展示でもおもったが、ぜんぜん別の生き物だよねえ。 実際はどんなにしわとかしみがすごくて、修正まみれだったとしても。

で、こういうの見ると、"Somewhere"がどんだけ浅くてしみったれていたか、それが現代の俳優さんのアトモスフィアに共通したものであるにせよ、ほんとにいつからか、どこからか世界は貧しくなってしまったのだなあ、って。

この特集、しみじみぜんぶ見たいねえ・・・

9.27.2011

[art] John Martin : Apocalypse

NYにおります。 あいかわらず低調。

土曜日、ロンドンのさいごのあがき。 午前中だけ。

21日から始まったこれに行くのは決めていた。

http://www.tate.org.uk/britain/exhibitions/johnmartin/default.shtm

ちなみに、2009年に亡くなったSSWの彼は、John Martynですから。

19世紀初、英国ロマン派を代表する画家の英国過去最大規模の展示。
展覧会のタイトル"Apocalypse"が示すように、主に神話起源の大惨事とか破局とか天地がひっくりかえるような大事を、そのスケールのままで描き続けたへんなひと。

ロックを聴くひとには、Roger Deanの地獄版、というと解りやすいかもしれない。
ハリウッドの大惨事ものでおおー、てなるランドスケープの殆どは、この人の絵筆で19世紀に幻視されていたのよ。

でっかくて、構図がかっこよくて眺めがいい、それだけでうおおーて盛りあがれて楽しいのだが、ようく見てみると前景に描かれた人物とかはわりとへたくそで、苦労の跡がうかがえる。
勿論、いいじゃんそんなの、ちいせえよ、でよいの。
遠くでぴきーんて光る稲妻のシャープなこと。

ポンペイ、バビロン、失楽園、大洪水、と続いていくと、あんまにあんまりなかんじで、このひと普段なに考えて生きていたのかしら、と思いはじめた頃、晩年の最後の審判3部作ががんがんがん、と並ぶので、なにも言えなくなるのだった。

短い時間で見たわりには相当おなかいっぱいになった。 
カタログはあれこれ悩んで、結局やめた。

その後は、いつものように常設のOpheliaのとこに行って、相変わらずずうっと流れているねえ、と挨拶して、Lucian Freudの部屋に行ってご冥福をお祈りしたり。(彼の肖像画にフォーカスした回顧展が、2月からNational Portrait Galleryであるの)

そこを出て、いつもだと船に乗ってTate Modernの方に渡るのだがここは時間がないので、Museum of Natural Historyに行こうと思ってSouth Kensingtonに戻り地下通路を歩いていたらV&Aで今日からこの展示が始まることを知る。

"Postmodernism: Style and Subversion 1970–1990"
http://www.vam.ac.uk/content/exhibitions/postmodernism/

このテーマだと行かないわけにはいかないので、しょうがなくV&Aのほうに行った。

入ってすぐのところに横尾忠則による土方巽の舞踏のポスターがあったりしてふうん、だったが70年代から始まるのだった。 建築からインダストリアルデザインから都市風景まで、盛りだくさん、スタイルの転覆(subversion)とその変奏 - Remix その際限のない反復、ということをきちんと追っかけようとすると、ひとつひとつの領域は必然的に薄くなるよね。

ファッションだと最初に置いてあったのが、83年のVivian、そしてRei Kawakubo。異議無し。

音楽は、それなりにいっぱい。でもやっぱし薄いか。
"I want my MTV"のとこで視聴できるクリップは、Neneh Cherry, Visage, Kraftwerk "Robot", Devo "Whip it"、でした。 David Byrneのあのでっかいスーツの実物とか、Grandmaster Flashが使っていたTechnicsのターンテーブルとか。

あとはGrace Jones, Kraus Nomi, Laurie Andersonあたりは当然。
Robert Longoによる“Bizarre Love Triangle”のクリップとかも。

レコードジャケットだと、当然のようにPeter Saville, あとはXTC,  Buzzcocks, Bauhaus, Elvis Costello (Armed Forcesのオリジナル), それくらい。 まだあるだろうあれもあれもあれも。

日本人でちゃんとコーナーがあったのは大野一雄、そして倉俣 史朗。 このへんは当然。
あと、雑誌コーナーに80年頃の流行通信が展示されていた。

Postmodernismていうのはこういうものですよ、というのを紹介するのが目的なので、その内容としてはそうだろうねえ、としか言いようがないのだが、もうちょっとね、なんでこれらがPostだったのか、90~00年代はどうなっちゃったのか、なんで跡形もなくなってしまったのか、云々がもうちょっとわかるとよかったかもしれない。 よく見ればどこかにあったのかもしれないが。

展示の外にでたところで、ほんものかしらんがObserverの記者だというひとに感想を聞かせてくださいと言われたので、ものすごく適当に答えてしまった。あとでとっても反省した。

カタログもいろいろ考えてやめた。この展示にあわせた2CD+DVDのセットも売っていたが、これも悩んでやめた。

んで、ホテルに戻ってからHeathrowに向かいました。

Heathrowでは、前回と同様、Gordon RamsayのPlane Foodでチーズバーガーたべた。
今回のロンドンでは、到着翌日に近所のAubaineていうカフェで食べたEgg Benedictと最後のこれだけが、まともなお食事のぜんぶ、だった。

Terminal5のPaul Smithの古本屋(自分にとってはブティックではない)は、40分くらい、うんうん悩んでやめた。きわどいのはいっぱいあったんだけどねえ。古雑誌 - 昔のFaceとかは持っているのがほとんどだったし、今回中古レコードのコーナーができてて戦慄したのだが、これもほとんど持っているやつばかりだった。 

Jo Maloneで新しいのがでてて、嫌いじゃなかったのでかった。

機内では2本見ました。

"Paul" (2011)をやっと。
だーかーらー、ぜったいおもしろいってゆったじゃん。
なんでこんなよい映画が、なんとか映画祭とかで一回しか上映されないんだよ。
配給会社の目はくさってるよ。 ちゃんと見てみろよ。 でした。

それから"Win Win" (2011)を。

これも見たかったやつ。    NJのちいさな街で、ちいさな弁護士事務所をやってて、いろんなことに疲れているPaul Giamattiがクライアントの孫を拾って、他にやりようがないので、おうちに置いて面倒をみてあげるの。 その男の子もどこか壊れててぜんぜん笑わなくて、でもレスリングがすごいことがわかって、弁護士がコーチをしている学校に入れて、試合をさせていって、だんだん明るくなっていくの。 でもその男の子のあばずれの母親とかが現れて…と。

すんごい傑作ではないのだが、男の子の寂しそうなかんじがいかった。

弁護士の奥さん(Amy Ryan)が男の子と話しをしてて、彼の背中のTatooの話しになったとこで、自分が昔足首に彫ったちいさなTatooを見せて、これBon Joviなの、だってあたしはJersey Girlだもん、ていうところがなんかよかった。

エンドロールで流れるThe Nationalがすごくよくて、あーこのバンドの場所はこういうところにあるんだなあ、とおもった。

あとは"Bridemaid"をはんぶんくらいまで。

着いたら湿気がすごくてうんざり。

9.24.2011

[film] The Change-up (2011)

仕事は例によってぼろかすでしょうもなくて、これは間違いなくNYにも横滑りで持ち越されるにちがいなくて、そうなるとあっちで自由に使える時間はなくなる。 まちがいなく。

なので、こっちで見れるものは見ておくしかない、よな? と夜中にLeicesterのシネコン(前日とは別の)で見る。

どうしても、なにがなんでも見たい、わけではなくて、でもなんか収まりがつかなくて見ておかないと気がすまねえ、みたいな。 かわいそうに。 ただのバカ映画なのに。

監督は"Wedding Crashers" (2005)のひと。

Jason Batemanがローファームに勤めるばりばりのエリートで、でっかい家に住んで妻がいて、子供が3人いて、仕事も順調で、とくに不自由ない暮らしをしているやつで、(なんでかぜんぜん見る気にならなかったGreen Lanternの)Ryan Reynoldsが役者のバイトみたいのをしつつ日々ふらふら楽しく流している遊び人で、このふたりが幼馴染で、ある晩、酔っ払って互いの境遇のぐちを言い合った後、公園の女神さんがいる噴水のとこで立ちしょんして、お互いに君みたいな生活ができたらどんなによいことかー、て声をあわせていうの。

そして翌朝起きたら入れ替わっていた、と。 体はそれぞれの家にあるままで内側の心が入れ替わっていてさあたいへん。  
パニック起こして、あの噴水の女神だ!と思って公園に戻ったら、なんと噴水は撤去されてて、役所に聞きにいったら調べてみるけど3週間くらいかかるかも、とか言われて唖然。

Jason Batemanの妻のほうに、こういうことになった、と説明するのだが相手にしてもらえない。それぞれの家族とか仕事とか恋人とか、友人の口から聞いていただけのあれこれがぜんぶ目の前に落ちてきて、ちゃんとこなさなきゃいけないし、それぞれの家族から自分がどう思われてるのかもわかっちゃうし、びっくりするわ落ちこむわ、とにかく退屈しない。 
当然のように下ネタいっぱい。 糞尿系もたっぷり。

遊び人が入ってしまったかつての自分の体に会社員の服装とかマナーとかお買いものを仕込んでいくところとか、おもしろかった。 感覚としてはやっぱり自分の体じゃない、かんじなんだろうな。 西洋人にとっては体って、心が乗っかる乗り物なんだろうな、とか。

自分が自分じゃなかったらいいのに、とかって誰もが普通におもうし、でもそんなの起こり得ないことはわかっているところから妄想みたいに拡がっていくネタはいくらでもあるので、こういう入れ替わり映画は過去にもいくらでもあるし、結末もだいたいわかるしおなじだし。 
でも大抵おもしろいよね。 安心して見ていられる。

境遇も容貌もそんなに大差ない、ごく普通の若者ふたりにこれが起こって、最初は慌てるものの、周囲は殆ど気づいてくれないので、まあいいかー、って諦めて、結局その体のままで平々凡々な一生を終える。 みたいな映画、誰か撮らないかしら。もうある?

Jason BatemanとRyan Reynoldsのふたりはなかなかよいコンビだった。
でも、こういうふたり組だと、"Dumb & Dumber" (1994) のJimとJeffにかなうのはないよな。


今日の夕方に大西洋のむこうに渡ります。

[film] 30 Minutes or Less (2011)

水曜日の晩、なにもかもいやになってLeicesterのシネコンに駆け込んで、みました。
そういえば、ここは去年も、なにもかもいやになって駆けこんで、"Predators"(2010)かなんかをみたのだった。

座席は指定(ぜったい意味ないね)なのだが、部屋が屋根裏みたいな変な場所にあって、横長で4列くらいしかなくて、火事になったら確実にいちころ。

夜8時すぎだったからかしらんが、きっぷのもぎりもなにもないの。チケット買わなくてもはいれる。あんなゆるゆるのシネコンはじめてみた。 あれなら毎晩かよって見放題できるわ。

"Zombieland" (2009)のRuben Fleischer & Jesse Eisenberg組の新作。
プロデューサーにはBen Stillerの名前もある。

30分以内に配達できなかったら自分が代金払わなければいけないルールのピザ屋でデリバリーをやっているあんちゃん(Jesse Eisenberg)が悪党(でもぼんくら)の二人組につかまって、爆弾チョッキ着せられて、10時間以内に$100000持ってこい、て言われるの。
で、インド人の友達(こいつも早口、ふたりで言いあいしてると鶏のけんかみたいになる)と一緒に銀行強盗するのだが、当然いろいろあって簡単にはいかない。

83分。 "Zombieland"もそうだったが、ものすごいスピードと落ちつきのなさでちゃかちゃか走っていく。責任とらない、やりっぱなしで放置して、とりあえずカタをつけられそうなところ目指して走って、さあどうだ、みたいな。

ちゃかちゃか具合がTVみたいかというと、そうではなくて、たまにロングの、なかなかかっこいいショットががーんと入ってきて、ふん、とかいう。 "Zombieland"もそうだったけど。

"Zombieland"は、どちらかというとWoody Harrelson(とBill Murray)の映画だったが、これはJesse Eisenberg全開の映画でもある。 "The Social Network"の、あのこずるくて底意地のわるいとこもちらちらしつつ、とりあえず置かれてしまったLimitに向かって全力疾走する。

悪党ふたりと、そのひとりの父親(Fred Ward)とか、悪党のさらに上にいるギャング(Michael Pena)とか、でも悪のピラミッドをつくるわけでもなくて、そこらをうろついている、脇にいるそんな連中もいちいち強烈でおかしいの。

この監督、西部劇とかやらないかなあ。 ぜったいおもしろくなるはず。


REM、解散かあ。
そうだろうなあ、とかぶつぶつかんがえる。

9.23.2011

[music] Brian Wilson - Sept 18

日曜日の続き。
おなじくSouthbank内のRoyal Festival Hallでの、UK公演3日間の最終日(ヨーロッパツアーのまんなかあたり)。 ほんとは到着した日に行こうと思っていたんだが、さすがにしんでてむりでした。

Brian Wilsonは、NYのBB KingでPet Soundsをみて聴いてて(2002年)、おなじくNYのCarnegie HallでSmileをみて聴いてて(2004年)、今回のは、こないだ出た”Brian Wilson Reimagines Gershwin”(まだ聴いていない)をフォローしたもの。

開演は前座なしで7:30きっかり。 バンドは、Brianをのぞいて、でるわでるわの14名。
ストリングスが5人。 ドラムスにパーカッション、ギター2、B、管、Key2、そして、Jeffrey Foskettさん。

最初にオーケストレーションで、"Heros and Villans"とGershwinメロの雑種みたいなやつ - こういうことなんですよ(ネタばらし)みたいなイントロを。 そこから新譜を順に追っていく(たぶん)構成。

音はどこまでも分厚く、でも軽快なBrianの、でもメロは誰もがどこかで聴いたことがあるはずのGershwinで、それはいつもの、どこかで聴いたことがあるはずのBeach Boysとおなじかんじで、どっちがどっちと問うことにさほど意味があるとは思えないし、めんどうなのでアメリカの20世紀の音、とぶちあげてもびくともしない、そういう黄金の音。  
たとえば、正真正銘のアメリカのポップスを、と言われたらこの音を聴かせてあげればいい。

ここで演奏された"It Ain't Necessarily So"とか”I've Got a Crush on You”とかのはんぱない軽さと正体不明のなかみのなさと突き上げてくる、こみあげてくる感傷のような陶酔のような。 
あまりにすばらしすぎて泣きそうになる。

BrianもGershwinも、どっちも不動の、完璧な作曲家だと思ったことはあまりなくて。
それは舌に乗せたら一瞬で溶けて消えてしまう魔法のスイーツで、消えてしまうからもっと食べたいと思うのか、もっと食べたいと思うから消えてしまうのか、ほんの少しジャンキーでドラッギーで、でも、だから、もっと食べたい、ちょうだい、と脳がいう。 だからおてあげ。

45分、ほぼノンストップで走りぬけて、20分間の休憩。
なんでかみんな売店にアイスクリームを買いに走る。(ここのはおいしいんだけど)

第2部、”California Girls”のイントロがふわふわ鳴りだして、それに乗って熊みたいにのっそりつーっとBrianが出てきて、あとはずうっとがんがんのヒットパレード。

ストリングスは基本はひっこんでて、途中の"Surfer Moon"とおわりのほうのPet Sounds ~ Smileのあたりで入ってくる程度。

Pet SoundsとSmileに関していうと、今回のライブのこの編成が、いちばんオリジナルに近い鳴り方をしているように思えた。 "Wouldn't It be nice"のゆったりたのしく馬車が加速していくかんじ、"God Only Knows"の星空がふわっと降ってくると思ったら自分が空に昇っているのだった、ような感覚。 
そして改めて、すごく変で、変なのにきゅんとなるところが不気味で、しみじみ変な音楽だわとおもった。

Pet Soundsのとこでやった"Pet Sounds"がどんなに変てこなものに聴こえたか、うまく説明できない。 夜中に子供とかに聴かせたら、ぜったい泣くとおもうよあれ。

最初のアンコールは、"Johnny B Good"から、”Fun Fun Fun”までてけてけの5曲。
続いてのアンコールは、みんなでしんみり"Love and Mercy"。 はいはい。

終わったら10時を軽くまわっていたので、後半だけで1時間半やってた、と。

しかし、Gershwinを真正面から、堂々と乗っ取ることに成功してしまった先生は、これからどうするんだろう、次になにやるんだろう、と少しだけ心配になってしまった。

9.20.2011

[film] Black Jack (1979)

先に1本書いてしまいましたが、18日の日曜日は、久々のお休みらしいお休みになった、気がした。
映画2本、ギャラリー3つ、レコード屋1軒、ライブ1箱。

”Tinker Tailor...” の前に30分くらい開いていたので、映画館の近所にあったNational Portrait Galleryで、"Glamour of the Gods:  Hollywood portrait" というのを見る。

http://www.npg.org.uk/glamour/index.htm

John Kobal Foundationていうとこがアーカイブしているハリウッドの20年代~60年代までのポートレイトを並べたもの。 有名なのばっかりでしたが、しっとりゴージャスで、堂々としたプリントばかりで、溜息しかでない。
モンローはフルヌード、キャロル・ロンバードはセミヌードだった。
おもしろかったのが、修正(Retouch)はこうやるの、ていう実例展示があって、なるほどねえー、と。
今のデジタルの修正よか、露骨ですごいかも。 でもきれいになるならいいよね。

”Tinker Tailor...” の後は、Rough Trade Shopの東のほうに行って、ざーっと漁った。
けどあんまなかった。 買ったのは7inchを4枚だけ。 TindersticksとかScreaming Jay Hawkinsの"I put a spell..."の別テイクとか、そんなの...

Rough Trade Shopの反対側のスペースで、Nirvanaの"Nevermind" Deluxe版リリース記念、と思われる展示をやってた。 当時のポスターとかちらしとかチケットとか雑誌とか、本物かしらんがドラムキットとか、奥ではライブフィルムの上映もやっていたもよう。 ふんふん、てかんじ。

そのあとで、Southbankに向かう。
今回、ガイドブックとか地図とか持ってくるのを忘れてしまっていて(うん、仕事だしな)、割と好きに動き回れるとしたら、Rough Tradeの東と西のあるあたりか、Southbankくらいなのだなあ、と改めておもったのだった。

晩のライブのチケットを買って、そのあとでBFI。
Ken Loachの回顧上映をずっとやっていて、でもKen Loachはじつは見たことなくて(たぶん)、せっかくイギリスにいるのだし、ということで見ることにしたのがこの作品。

つぎはぎ医者のおはなし、ではなくて。
カンフーパンダの声優、でもなくて。
Leon Garfieldていう英国の児童文学作家の原作をローチ自身が脚色したもの。

18世紀の英国のどこかの村で、でっかくて臭くて悪そうなひとが絞首刑にかけられようとしてて、こいつがBlack Jackらしいのだが、最初のナレーションからして、なに言ってるのかほとんどわからず。
でもこういう、エィとかオィとか、そういうのたくり英語のごにょごにょした物いいがすごく好きなの、むかしから。なんでかわからんが。

で、そのBlack Jackの棺桶がある家に運ばれるのだが、彼はじつは生きてて、そこで見張りをしてたガキ(少しは怖がれよ)を連れて旅にでるの。なんでかわからんが。

その途中で、頭がおかしいという理由で家族から疎まれて矯正院かどこかに送られるとこだった女の子を拾って、市をまわっていく旅芸人の一座に合流して、みんなでわあわあ旅をしていくの。

子供たちはイギリスのガキなので、そんなにかわいくもなくて薄汚れてて、大男Black Jackもそんなに悪でもそんなに善でもなくて、つまりそんな勧善懲悪してなくて、でもよいこは、よいこにしてればなんとかなるから、子供は放っておいても育つもんよ、どこに行くのかしらんが、程度の適当で朗らかなかんじがよかった。

あと、頭のおかしい(実はあとでおかしくなかったことがわかる)女の子が夜中に男の子のとこにきて「あたしのことずっとあいしてくれる?」てじーっと訊くところがすごくいかった。

音楽は、British FolkバンドのMr.FoxにいたBob Peggさんで、ぴーひゃらどかどか系の民謡がずうっと鳴ってて、これもとっても素敵でしたわ。

で、映画終わってからBFIの売店でちょっとだけ本と雑誌買って、ここの上のHayward Galleryがまだ開いていたのでなかで、"John Cage: Every Day is a Good Day" ていうFreeの展示をみた。

John CageのDrawingを集めて展示してて、当然彼の音楽もいろんなのがずうっと鳴ってる。
John Cageなので、圧倒的、というわけでも胸にせまってくるわけでもなくて、きのことかその胞子とかのように散らばって散らしてそこにある、だけの線と点と面の ー。 そして音楽も同様、と。


変なアメリカ人による変な音楽。 それはこのすぐ後にもきた。