もう雪は降っていなくて、道路の両脇にどっさり高く積まれていて、この状態でなにが困るかというと、道路の反対側に渡るパスが信号のところに限定されて、その狭いパスのところに半溶けになった雪が、宇治金時氷の最後のほうのぐじゃぐじゃとか、かき氷雑巾バケツシロップがけ(そんなのないけど)とか、そんなかんじにとぐろを巻いて溜まっていて、ようく見て足を踏みださないと靴下がみるみるうちに雑巾になってしまうことだ。
というわけなので、しょうがないので、火曜日の晩もLincoln Centerに通う。
ここんとこ毎日映画ばっかり見ている気がするが、この年末に
(1)年賀状とかクリスマスカードを書かなくてもいい (←筆と硯がないし...)
(2)大掃除もしなくていい (←どうせ仮住まいだしね)
(3)忘年会とかパーティもない (←友達がいないってことね)
(4)お買いものもできない (←これ以上荷物が増えたら帰国できなくなる)
てなったら、ひとは映画館とライブハウス以外にいくところなんてあるのだろうか?
いやない! (←あるよ...)
見たのは、51年のAlbert Lewin監督作"Pandora and the Flying Dutchman"。
ばりばりに美しいテクニカラー、総天然色の極楽が122分間続く。
内容は、ギリシャ神話のPandoraのおはなしとFlying Dutchman -「さまよえるオランダ人」- の伝説を1930年のスペインの海辺の町を舞台にミックスしてみました、と。
神話とか伝説というのは、例えば愛の究極とか原型とか理想とか、そういうのを純化・抽象化したかたちで我々に教えてくれるものであるが、それを現代のラブストーリーとして再構成してみよう、と。
日本だったら、かぐや姫と好色一代男、みたいなかんじ? ちがうか。
Pandoraはものすごい美人で、男はいっぱい寄ってくるものの愛とか恋とか信じてなくて、ふられた男がやけになって自殺しても眉ひとつ動かさないようなやな女で、どうやって生計を立てているのかしらんが、毎日きれいな服を着てしゃなりしゃなりって歩いているの。
Flying Dutchmanは、ある日突然ヨットで海上に現れて、でも他の乗組員はいないし、どうみても怪しい。
Pandoraはそのヨットを見たとおもったら、突然服脱いでそれに向かって泳ぎだし勝手にヨットに乗りこんで「だれかー?」とかいうの。 おまえこそだれだよ、なのれよ、ってふつうおもう。
Pandoraはその一挙一動があんたなにさまだよ、て癪にさわるし、Flying Dutchmanは一生ひとりでさまよってろ、て思うし、そんなふたりの周りによってくる連中も車きちがいとか、暴力ひとすじ闘牛士とか、そんなのばっかりで、まともなのは語り手の考古学者といけてないその姪くらいなの。
全てがこんなふうで、常軌を逸したありえないようなことだらけなのだが、神話というのはそういうものなのだし、Pandoraを演じるAva Gardnerはまぢで、こりゃ神だわ、と平伏してしまうくらいに美しいし、不死身の(殺されても死なない)Flying Dutchmanを演じるJames Masonも煉獄をしょいこんだような暗い顔とロボットみたいなしゃべりがはまっていて、それが夜の光を多用した夢のなかを漂うような撮影(by Jack Cardiff!)によって、やっぱしこれだ、これしかない、くらいのところまで盛りあがる。 (BGMはRoxy Musicしか思いつかない)
というわけで、普通の愛なんていらない、愛のためなら死ねるような愛だけがほしい、と願うふたりの行く末はもうその最初から見えているのであるが、しかしこのふたりってこの理想を共有しているってだけなのな。
顔が不細工で気にいらなかったり、服のセンスがひどかったりしても、それでも結ばれる、結ばれたいって願うのかな? ....まあ極限の愛とか宗教とかってそんなもんなんだろうな。
だから最後のほうのふたりのダイアログは、そこだけ離れて見るとたぶんああこのふたりは頭がおかしくなっちゃったんだ、と思うにちがいない。 それくらいすさまじいのだが、これこそが監督の描きたかったロマンなのだろうし、"marks a peak in high 1950s romanticism"(←Lincoln Centerの説明文)なのだと思う。
死と隣り合わせの究極の愛、これが100%プラトニックなとこで、エロとかどろどろしたとこ殆どぬきで成立してしまう。 というか成立させるんだ、という強い強い意志がこの仮構の、それこそ神話のような強度をもった物語を成り立たせているように思えて感銘をうけました。
あと、とにかく、Ava Gardnerて、こんなに美しいひとだったんだー、というのを再認識するための映画、です。
この映画のスチールを監督の友人のMan Rayが撮っている(更にDitchmanの描いている絵も彼による)のだが、それがじゅうぶん納得できてしまう、ただただ美しいだけの宝石箱みたいな映画、でもある。
で、そんないろんな美にさんざん痺れたあとで、どぶ川みたいになった歩道をぴょんぴょん跨ぎながら帰ったのだった。
12.30.2010
12.29.2010
[film] The Threepenny Opera (1931)
月曜日、Snow Stormの翌朝、窓のむこうはおっそろしく静かで、雪の朝は大抵外で雪かきのがりがりが聞こえるものなのにこれだけ静かということはつまり、雪がひどすぎて誰もどうすることもできない、ということを意味していて、実際に外に出てみるとどうしようもなくでっかい白のどわどわがそこらじゅうを埋めていた。
これまでに遭遇したいちばんすごかったやつは96年のBlizzard(Blizzard '96と呼ばれた)で、あれほどではなかったものの、じゅうぶん楽しい。 駅までの道のりは勘と三半規管の勝負。
Grand Centralに着いても郊外からの電車が止まっているので、がらーんとだーれもいなくて、気持ちよい。
ただ朝のデニッシュが調達できなかったのがかなしい。 (前の晩からろくなもん食べてなくてさー)
・JoeにおいてあるDoughnut PlantのJelly filled donut.
・FinancierのAlmond Croissant.
・dishesにおいてあるBalthazarのWhole Wheat Croissant.
この三つのどれかひとつでよかったのに、みごとに全滅だったので、もうそのまま帰ろうかとおもった。
オフィスも3割くらいしかひとがいないし、だんだんなにやってんじゃろ状態になってきたので、4時くらいに抜けてそのままMOMAに行きました。
ワイマール映画特集の”The Threepenny Opera” - "Die 3 Groschen-Oper" - 『三文オペラ』ですね。
誰でもしってるブレヒト=ワイルによる演劇の、オリジナルの舞台から3年後に実現した映画化。
でも映画化にあたってはブレヒトと製作側で相当ごたごたがあって訴訟にまで発展した。
のでブレヒトはこの映画を嫌っていた。
そのへんの細かい経緯は、例えばこちら。
でも、ブレヒトの戯曲だってJohn Gayの"Beggar's Opera" (1728)をベースにしているわけだし、これは、ここは、G. W. Pabstの映画作品として、貧富や階級格差や官民癒着やその他社会の毒だの菌だの糞だのを音楽と共に吹きまくる当時の「有害表現」として、しっかりと見ておく必要があるとおもったの。
実際にこの映画はナチスによってオリジナルネガも含めて破棄処分にあって、修復が完了したのは60年代。
まったくブレヒトの手から離れている、というわけでは勿論なくて、音楽はKurt Weillのものだし、オリジナルの舞台に出ていた俳優もふたり参加している。 そしてあの時代の空気だの意識だのみたいなものも、当然共有されているはず。
映画としてみたときは、娼館とか隠れ家とかの屋内の描写と、ロンドンのいりくんだ路地、すべての屋根が繋がっているかんじ、その下でひしめく乞食とかいろんな人たち、そしてクライマックスの乞食のデモ行列とQueenの馬車が睨みあうとことか、すばらしいとしか言いようがないところがいっぱいあった。
登場人物に関していうと、MacheathとかPollyとかPeachumとかJennyとか、それぞれが強烈なキャラをもって暴れまわるというよりは、すべてが同じ世界のそこここにいて、それぞれの(ギャングの、女衆の、乞食の、密告者の)層をそれぞれのファミリーを代表する顔、として現れて、そういう動きをするように撮られている。
そうやっているからこそ、ラストの糞も味噌もいっしょ、というか、豚はやっぱし豚、みたいなとこがよりはっきりと出てきて、「あ~あ」というため息と共にポケットの中に握り拳をつくることができるのであった。
Kurt Weillの音楽もやっぱしすばらしい。 画面の陰影、歌うひとの表情にみごとにはまる恨み節とか艶歌とか。でも湿ってなくて豊かに上り下がりして。
"Mack the Knife"って、ほんとに名曲だとおもうわ。
あと、オリジナルはここまでどんよりと暗く、いかがわしく、毒々しいのに、戦後以降はごく普通のミュージカルになっちゃったのかなあ、と最近の日本の舞台のキャストとかをみておもった(なんだあれ)。
これじゃあどす黒いどっかの都知事なんかには勝てないよねえ。
これまでに遭遇したいちばんすごかったやつは96年のBlizzard(Blizzard '96と呼ばれた)で、あれほどではなかったものの、じゅうぶん楽しい。 駅までの道のりは勘と三半規管の勝負。
Grand Centralに着いても郊外からの電車が止まっているので、がらーんとだーれもいなくて、気持ちよい。
ただ朝のデニッシュが調達できなかったのがかなしい。 (前の晩からろくなもん食べてなくてさー)
・JoeにおいてあるDoughnut PlantのJelly filled donut.
・FinancierのAlmond Croissant.
・dishesにおいてあるBalthazarのWhole Wheat Croissant.
この三つのどれかひとつでよかったのに、みごとに全滅だったので、もうそのまま帰ろうかとおもった。
オフィスも3割くらいしかひとがいないし、だんだんなにやってんじゃろ状態になってきたので、4時くらいに抜けてそのままMOMAに行きました。
ワイマール映画特集の”The Threepenny Opera” - "Die 3 Groschen-Oper" - 『三文オペラ』ですね。
誰でもしってるブレヒト=ワイルによる演劇の、オリジナルの舞台から3年後に実現した映画化。
でも映画化にあたってはブレヒトと製作側で相当ごたごたがあって訴訟にまで発展した。
のでブレヒトはこの映画を嫌っていた。
そのへんの細かい経緯は、例えばこちら。
でも、ブレヒトの戯曲だってJohn Gayの"Beggar's Opera" (1728)をベースにしているわけだし、これは、ここは、G. W. Pabstの映画作品として、貧富や階級格差や官民癒着やその他社会の毒だの菌だの糞だのを音楽と共に吹きまくる当時の「有害表現」として、しっかりと見ておく必要があるとおもったの。
実際にこの映画はナチスによってオリジナルネガも含めて破棄処分にあって、修復が完了したのは60年代。
まったくブレヒトの手から離れている、というわけでは勿論なくて、音楽はKurt Weillのものだし、オリジナルの舞台に出ていた俳優もふたり参加している。 そしてあの時代の空気だの意識だのみたいなものも、当然共有されているはず。
映画としてみたときは、娼館とか隠れ家とかの屋内の描写と、ロンドンのいりくんだ路地、すべての屋根が繋がっているかんじ、その下でひしめく乞食とかいろんな人たち、そしてクライマックスの乞食のデモ行列とQueenの馬車が睨みあうとことか、すばらしいとしか言いようがないところがいっぱいあった。
登場人物に関していうと、MacheathとかPollyとかPeachumとかJennyとか、それぞれが強烈なキャラをもって暴れまわるというよりは、すべてが同じ世界のそこここにいて、それぞれの(ギャングの、女衆の、乞食の、密告者の)層をそれぞれのファミリーを代表する顔、として現れて、そういう動きをするように撮られている。
そうやっているからこそ、ラストの糞も味噌もいっしょ、というか、豚はやっぱし豚、みたいなとこがよりはっきりと出てきて、「あ~あ」というため息と共にポケットの中に握り拳をつくることができるのであった。
Kurt Weillの音楽もやっぱしすばらしい。 画面の陰影、歌うひとの表情にみごとにはまる恨み節とか艶歌とか。でも湿ってなくて豊かに上り下がりして。
"Mack the Knife"って、ほんとに名曲だとおもうわ。
あと、オリジナルはここまでどんよりと暗く、いかがわしく、毒々しいのに、戦後以降はごく普通のミュージカルになっちゃったのかなあ、と最近の日本の舞台のキャストとかをみておもった(なんだあれ)。
これじゃあどす黒いどっかの都知事なんかには勝てないよねえ。
12.28.2010
[film] Once Upon a Time in the West (1968)
というわけで、「八甲田山!」とかひとりでつぶやいてみてもぜんぜんしゃれにならない吹雪のなか、もと来た道をLincoln Centerのほうに戻る。
信号が青に変わって反対側に渡るだけでも戦争してるみたいに難儀で、とつぜん背後から撃たれてしぬんじゃないかとか。 ...つくづくバカだ、とおもった。
で、雪吹雪がびゅうびゅうの日曜の晩8:15から、165分の映画をみる。
頭のはんぶんは凍えてしんでて、あとのはんぶんは疲れてしんでる。 翌日はもちろん会社だ。
邦題は『ウェスタン』。
でも見てよかった。 しみじみ。
全身の力ぬいて、だれだれになって見てた。 これを極楽と呼ばずしてなんと。
この作品は、もともとTechniscopeていう技術で撮られていて、これのリストレーションは大変だった、といろんなところに書いてあるのだが、ほんとに見事な色、そして肌の質感。 とにかくでっかい音。
人やモノの動きは全て、極端に緩慢か、一瞬でカタをつけるか、そのどっちかしかない。
カメラの視野も全体を見渡せるか、極度なクローズアップかの、どっちかしかない。
それは夢のなかで起こること、夢のなかの動きとおなじようで、だからこれはアメリカの西にいっこの町をつくる、家をつくる、そこには美女がいて、食べ物がおいしくて、というイタリア人の(永遠の)夢とか快楽と連動した物語のひとつ、なのだとおもった。
ストーリーはDario Argento & Bernardo Bertolucci & Sergio Leoneによるもの。
この3人を並べてみるとようくわかるかも。 夢とコネクトしたかたちの現実を語る、夢や妄想が現実を侵食し、Overrideしていくさまを語る名手だから。
こうして、夢と共にゆっくりと形作られていく駅と酒場と町をまんなかにでかでかと置いて、そこに善玉と悪玉と美女と金持ちを呼びこんで、惨劇と復讐のものがたりを再生・反復していくこと。
音楽はしぬほどドラマチックに、ダイナミックにけたたましく。
汽車の音、馬の音、鳥の羽音はずっと流しっぱなしでおねがい。
全てが、かんぜんに作りもので人工であることがわかっているのに、なんでここまで魅せられ、そこに留まって凝視せざるを得ないのか。 夢とはそもそもそういうものだからだよ、よい夢も、悪夢もね、て言われている気がした。
そして、強烈な夢がそうであるように、夢のなかで切り取られた一瞬一瞬がいつまでも残る。
それは素晴らしいお食事とか素晴らしいKissとおなじように、たぶん絶対の、究極の快楽への入り口としてあるなにかで、そこに向かってレミングのように突っ込んでいくのがイタリア、なのだとおもう。
なんでこの作品の舞台をアメリカ西部に置いたのか。
それは彼らがイタリア人で、アメリカ人ではないから。
どんなにがんばってもアメリカ人にはなれないから、なんだとおもった。
映画の帰りはなかなか緊張感があって、いかった。
雪の吹きだまりみたいのがあちこちにあって、はまったら抜けない気がした。
で、はまったら誰も助けにきてくれなくて、シャイニングのJackみたいに凍って発見されちゃうんだわ、って。
写真は、今朝の地下鉄のホーム。 「地下鉄」のホームになんで雪がつもるかね。
信号が青に変わって反対側に渡るだけでも戦争してるみたいに難儀で、とつぜん背後から撃たれてしぬんじゃないかとか。 ...つくづくバカだ、とおもった。
で、雪吹雪がびゅうびゅうの日曜の晩8:15から、165分の映画をみる。
頭のはんぶんは凍えてしんでて、あとのはんぶんは疲れてしんでる。 翌日はもちろん会社だ。
邦題は『ウェスタン』。
でも見てよかった。 しみじみ。
全身の力ぬいて、だれだれになって見てた。 これを極楽と呼ばずしてなんと。
この作品は、もともとTechniscopeていう技術で撮られていて、これのリストレーションは大変だった、といろんなところに書いてあるのだが、ほんとに見事な色、そして肌の質感。 とにかくでっかい音。
人やモノの動きは全て、極端に緩慢か、一瞬でカタをつけるか、そのどっちかしかない。
カメラの視野も全体を見渡せるか、極度なクローズアップかの、どっちかしかない。
それは夢のなかで起こること、夢のなかの動きとおなじようで、だからこれはアメリカの西にいっこの町をつくる、家をつくる、そこには美女がいて、食べ物がおいしくて、というイタリア人の(永遠の)夢とか快楽と連動した物語のひとつ、なのだとおもった。
ストーリーはDario Argento & Bernardo Bertolucci & Sergio Leoneによるもの。
この3人を並べてみるとようくわかるかも。 夢とコネクトしたかたちの現実を語る、夢や妄想が現実を侵食し、Overrideしていくさまを語る名手だから。
こうして、夢と共にゆっくりと形作られていく駅と酒場と町をまんなかにでかでかと置いて、そこに善玉と悪玉と美女と金持ちを呼びこんで、惨劇と復讐のものがたりを再生・反復していくこと。
音楽はしぬほどドラマチックに、ダイナミックにけたたましく。
汽車の音、馬の音、鳥の羽音はずっと流しっぱなしでおねがい。
全てが、かんぜんに作りもので人工であることがわかっているのに、なんでここまで魅せられ、そこに留まって凝視せざるを得ないのか。 夢とはそもそもそういうものだからだよ、よい夢も、悪夢もね、て言われている気がした。
そして、強烈な夢がそうであるように、夢のなかで切り取られた一瞬一瞬がいつまでも残る。
それは素晴らしいお食事とか素晴らしいKissとおなじように、たぶん絶対の、究極の快楽への入り口としてあるなにかで、そこに向かってレミングのように突っ込んでいくのがイタリア、なのだとおもう。
なんでこの作品の舞台をアメリカ西部に置いたのか。
それは彼らがイタリア人で、アメリカ人ではないから。
どんなにがんばってもアメリカ人にはなれないから、なんだとおもった。
映画の帰りはなかなか緊張感があって、いかった。
雪の吹きだまりみたいのがあちこちにあって、はまったら抜けない気がした。
で、はまったら誰も助けにきてくれなくて、シャイニングのJackみたいに凍って発見されちゃうんだわ、って。
写真は、今朝の地下鉄のホーム。 「地下鉄」のホームになんで雪がつもるかね。
[film] Congress Dances (1931)
Boetticherの映像にびりびり痺れてから、外に出て吹雪のなか行軍してさらに痺れる(冷たくてさ)。
無理しないで留まって「大いなる西部」でも見ておけばよかったのに、こっちの(MOMAのワイマール映画特集ね)チケットを貰ってしまっていたばっかしに。
だってこないだの"Early to Bed"で、この時期のドイツのラブコメおそるべし、とおもったので。
『会議は踊る』 - Der Kongress Tanzt
ええ、これもすんばらしいラブコメ、の亜種、でしたわ。
MOMAのシアター内はどうやってここまでやってきたのか、ウィーン会議の頃から生き延びてきた(わけないけど)ようなお年寄りばっかし。
雪に埋もれて死にたいのか? せめてこれを見てから、とかいうのか?
ナポレオン・ボナパルト失脚後のヨーロッパをどこがどう統治していくのか、を決めようとしている1814年のウィーン会議、の裏ではこんなことが・・・
国際会議なんてこの頃からろくなもんじゃなかったのね、というのもあるが、それよか、このころから、こんなにあっけらかんと楽しいオペレッタが許されていたのかー、というのにも驚く。(上映の2年後、ヒトラーによって上映禁止となったらしいが)
ロシアの皇帝と町の手袋屋の娘の一瞬燃えてはかなかった恋のおはなし。
会議の主宰者の宰相は、会議をうまく運びたいので秘書を使ってあれこれ画策しようとするのだが、秘書はこの手袋屋の娘が好きでうじうじしてて、皇帝側は皇帝側で替え玉(刺繍が趣味なの)をうまくつかって、適当に遊んだりはぐらかしたりしようとしてて、まあ、そんな駆け引きあれこれで、会議も、会議の外も、踊るわけさ。
手袋屋の町娘をやったLilian Harveyが、すんばらしくよい。
恋して夢見る乙女の挙動、手つき腰つき足のふりを全身で、漫画みたいにパーフェクトに決めまくる。
笑って泣いて意地はって、酔っぱらって歌って、だって相手は皇帝なんだもの、と突進あるのみ。
そう、まちがいなく、Kirsten Dunst の御先祖さんはこいつだ。
彼女が皇帝のVillaに招かれて馬車に揺られていくシークエンスは、夢のようにすごい。
歌があり踊りがあり、それにあわせて道はゆっくりとうねってとてつもない大名行列をつくる。
カメラはCarl Hoffmann、音楽は"Early to Bed"とおなじWerner R. Heymann、てこのひと、ルビッチの代表作の音楽ほとんどやってるのね。
これでハッピーエンドだったら、と誰もが思うにちがいないが、映画の主役はあくまで踊る会議さんだったので、しょうがない。 でもこれのおかげで、だから国際会議なんてくそくらえなんだ、と民衆の脳裏には恨みに近いかたちで擦りこまれてしまったにちがいないから、これはこれでよしとしよう。
いちばん前の席で音楽にあわせて楽しそうに首と指揮棒をふっていた小柄なおばあさんは、無事帰れたのかなあ。
写真はMOMAの中庭にいるピカソやぎ。 本日(12/27)のご様子。
無理しないで留まって「大いなる西部」でも見ておけばよかったのに、こっちの(MOMAのワイマール映画特集ね)チケットを貰ってしまっていたばっかしに。
だってこないだの"Early to Bed"で、この時期のドイツのラブコメおそるべし、とおもったので。
『会議は踊る』 - Der Kongress Tanzt
ええ、これもすんばらしいラブコメ、の亜種、でしたわ。
MOMAのシアター内はどうやってここまでやってきたのか、ウィーン会議の頃から生き延びてきた(わけないけど)ようなお年寄りばっかし。
雪に埋もれて死にたいのか? せめてこれを見てから、とかいうのか?
ナポレオン・ボナパルト失脚後のヨーロッパをどこがどう統治していくのか、を決めようとしている1814年のウィーン会議、の裏ではこんなことが・・・
国際会議なんてこの頃からろくなもんじゃなかったのね、というのもあるが、それよか、このころから、こんなにあっけらかんと楽しいオペレッタが許されていたのかー、というのにも驚く。(上映の2年後、ヒトラーによって上映禁止となったらしいが)
ロシアの皇帝と町の手袋屋の娘の一瞬燃えてはかなかった恋のおはなし。
会議の主宰者の宰相は、会議をうまく運びたいので秘書を使ってあれこれ画策しようとするのだが、秘書はこの手袋屋の娘が好きでうじうじしてて、皇帝側は皇帝側で替え玉(刺繍が趣味なの)をうまくつかって、適当に遊んだりはぐらかしたりしようとしてて、まあ、そんな駆け引きあれこれで、会議も、会議の外も、踊るわけさ。
手袋屋の町娘をやったLilian Harveyが、すんばらしくよい。
恋して夢見る乙女の挙動、手つき腰つき足のふりを全身で、漫画みたいにパーフェクトに決めまくる。
笑って泣いて意地はって、酔っぱらって歌って、だって相手は皇帝なんだもの、と突進あるのみ。
そう、まちがいなく、Kirsten Dunst の御先祖さんはこいつだ。
彼女が皇帝のVillaに招かれて馬車に揺られていくシークエンスは、夢のようにすごい。
歌があり踊りがあり、それにあわせて道はゆっくりとうねってとてつもない大名行列をつくる。
カメラはCarl Hoffmann、音楽は"Early to Bed"とおなじWerner R. Heymann、てこのひと、ルビッチの代表作の音楽ほとんどやってるのね。
これでハッピーエンドだったら、と誰もが思うにちがいないが、映画の主役はあくまで踊る会議さんだったので、しょうがない。 でもこれのおかげで、だから国際会議なんてくそくらえなんだ、と民衆の脳裏には恨みに近いかたちで擦りこまれてしまったにちがいないから、これはこれでよしとしよう。
いちばん前の席で音楽にあわせて楽しそうに首と指揮棒をふっていた小柄なおばあさんは、無事帰れたのかなあ。
写真はMOMAの中庭にいるピカソやぎ。 本日(12/27)のご様子。
[film] Seven Men from Now (1956)
26日から、Lincoln CenterのFilm Societyで"20 Years of Martin Scorsese’s Film Foundation"という特集がはじまった。
こないだ見た”Limite”(1931)の修復もこの団体がやったのだったが、世界中のいろんな名作を修復してアーカイブしているここの設立20周年で、これまでに関わってきたいろんな作品をお蔵だししてみましょう、と。
たぶん、暮れから正月はこれに通っておわるんだ。
んで、26日は、まるいちんち4本、ぜんぶ西部劇の日で、そのうち3本を見て、1本だけMOMAにいった。
Lincoln Centerでのだしものは、順番に"The Big Sky" (1952) → "Seven Men from Now" (1956) → "The Big Country" (1958) → "Once Upon a Time in the West" (1968)
で、このなかで、見なかった1本ていうのは、"The Big Country"ね。
会員じゃないひとは1本$12なのだが、3本パックというのがあって、これが$27なの。
雪吹雪の日にこういうのを見るのもなかなかいかった。
客はどの回もぜーんぜんいなくて、前の座席に足なげだしてだれだれになって見てた。
極楽でしたわ。
"The Big Sky" (1952) 邦題『果てしなき蒼空』 138m.
Howard Hawksなので、なんでも、なにみてもいいにきまってる。
19世紀のはじめ頃、流れもののKirk Douglasが旅の途中で若者(Dewey Martin)と出会って、若者のおじさんの船にのって毛皮の交易でミズーリ河をのぼっていくの。
船はSt.Louisから出てるのでフランス語話すやつとかいっぱいいるし、インディアンもいるし、旅の途中で当然、悪党とかインディアンとか、いろんなのが出てきていろいろあったりするの。
西部劇、というよりは群衆劇にちかくて、ひとりひとりのキャラクターの造型とかちゃんとしてて、明確なヒーローとかヒロインがいるわけでもなくて、強烈な悪人がいるわけでもなくて、全てが一件落着するわけでもなくて、今のダイバーシティの時代を200年先取りして、でっかい空の下、に実にでっかい、揺るぎない物語が展開していくの。
人々はこんなふうに集まってやりとりとかいざこざがあって、それでまたそれぞれのところに散っていく。
でもまたどっかで会えるさ(会えないだろうけど)、みたいなおおらかなかんじが、とってもよい。
肌の色とか赤とかテロとかわあわあ言いだす前のアメリカはこうだったはずなんだけど、って。
そう思ったときに、"The Big Sky"ていうタイトルがまたしみてくるのよね。
"Seven Men from Now" (1956) 邦題『七人の無頼漢』 78m.
そういえば、Budd BoetticherのBox、買ったけどぜんぜん見てないや。
冒頭の稲妻の轟音でみんなびっくりしてた。
無愛想なシェリフ(Randolph Scott)がなんかを追っかけているらしく、その途中で南に行くっていう夫婦と一緒になって、南のほうはあぶないからやめたほうがいい、と言ったのに彼らはどうしても行く、っていうのでついていくの。
そのうち悪そうな連中(Lee Marvin、すごし)も一緒になって、彼らの会話を通してだんだんいろんなことが明らかになっていくの。
ものすごくおもしろくて、Eastwoodが影響受けた、というのがよくわかるつくり。
ああいう原野のまんなかで、善悪とか法とか、そういうのっていったい誰が、いつ決めるのか、という話なの。
それって数(Seven Men from now)できまるのか、銃の扱いがうまいやつなのか、シェリフだったらなにしてもいいのか、復讐は許されるのか、アウトローは(Out-Lawだから)適用外なのか、とか、いろいろ。
そして、そういうゲームのルールとか規範とか、骨組みたいなのを外したり棚上げしたりしてみたときに、西部劇というドラマはどんな様相をみせるのか?
照りつける光と影と、そこに浮かぶ幽霊のような人の姿とか、それらの間をすりぬけるように冒頭の稲妻のように一瞬でカタがついてしまう銃のアクションとか、そういうのが焼きついてくるの。
純化された活劇、のようなものとしての西部劇。
それでじゅうぶんかっこいいから、いいの。 ...で、よいのか、な。
こないだ見た”Limite”(1931)の修復もこの団体がやったのだったが、世界中のいろんな名作を修復してアーカイブしているここの設立20周年で、これまでに関わってきたいろんな作品をお蔵だししてみましょう、と。
たぶん、暮れから正月はこれに通っておわるんだ。
んで、26日は、まるいちんち4本、ぜんぶ西部劇の日で、そのうち3本を見て、1本だけMOMAにいった。
Lincoln Centerでのだしものは、順番に"The Big Sky" (1952) → "Seven Men from Now" (1956) → "The Big Country" (1958) → "Once Upon a Time in the West" (1968)
で、このなかで、見なかった1本ていうのは、"The Big Country"ね。
会員じゃないひとは1本$12なのだが、3本パックというのがあって、これが$27なの。
雪吹雪の日にこういうのを見るのもなかなかいかった。
客はどの回もぜーんぜんいなくて、前の座席に足なげだしてだれだれになって見てた。
極楽でしたわ。
"The Big Sky" (1952) 邦題『果てしなき蒼空』 138m.
Howard Hawksなので、なんでも、なにみてもいいにきまってる。
19世紀のはじめ頃、流れもののKirk Douglasが旅の途中で若者(Dewey Martin)と出会って、若者のおじさんの船にのって毛皮の交易でミズーリ河をのぼっていくの。
船はSt.Louisから出てるのでフランス語話すやつとかいっぱいいるし、インディアンもいるし、旅の途中で当然、悪党とかインディアンとか、いろんなのが出てきていろいろあったりするの。
西部劇、というよりは群衆劇にちかくて、ひとりひとりのキャラクターの造型とかちゃんとしてて、明確なヒーローとかヒロインがいるわけでもなくて、強烈な悪人がいるわけでもなくて、全てが一件落着するわけでもなくて、今のダイバーシティの時代を200年先取りして、でっかい空の下、に実にでっかい、揺るぎない物語が展開していくの。
人々はこんなふうに集まってやりとりとかいざこざがあって、それでまたそれぞれのところに散っていく。
でもまたどっかで会えるさ(会えないだろうけど)、みたいなおおらかなかんじが、とってもよい。
肌の色とか赤とかテロとかわあわあ言いだす前のアメリカはこうだったはずなんだけど、って。
そう思ったときに、"The Big Sky"ていうタイトルがまたしみてくるのよね。
"Seven Men from Now" (1956) 邦題『七人の無頼漢』 78m.
そういえば、Budd BoetticherのBox、買ったけどぜんぜん見てないや。
冒頭の稲妻の轟音でみんなびっくりしてた。
無愛想なシェリフ(Randolph Scott)がなんかを追っかけているらしく、その途中で南に行くっていう夫婦と一緒になって、南のほうはあぶないからやめたほうがいい、と言ったのに彼らはどうしても行く、っていうのでついていくの。
そのうち悪そうな連中(Lee Marvin、すごし)も一緒になって、彼らの会話を通してだんだんいろんなことが明らかになっていくの。
ものすごくおもしろくて、Eastwoodが影響受けた、というのがよくわかるつくり。
ああいう原野のまんなかで、善悪とか法とか、そういうのっていったい誰が、いつ決めるのか、という話なの。
それって数(Seven Men from now)できまるのか、銃の扱いがうまいやつなのか、シェリフだったらなにしてもいいのか、復讐は許されるのか、アウトローは(Out-Lawだから)適用外なのか、とか、いろいろ。
そして、そういうゲームのルールとか規範とか、骨組みたいなのを外したり棚上げしたりしてみたときに、西部劇というドラマはどんな様相をみせるのか?
照りつける光と影と、そこに浮かぶ幽霊のような人の姿とか、それらの間をすりぬけるように冒頭の稲妻のように一瞬でカタがついてしまう銃のアクションとか、そういうのが焼きついてくるの。
純化された活劇、のようなものとしての西部劇。
それでじゅうぶんかっこいいから、いいの。 ...で、よいのか、な。
[film] It's a Wonderful Life (1946)
25日、”Little Fockers”の後で、IFC Centerにむかう。
この季節になると定期上映館では定番Christmasクラシック映画の特集を組んでくれたりするものなのだが、今年はなんでかあんましない。 BAMのCinematekはお休みしてるし、やってるのはFilm Forumのあれと、IFC Centerのこれ、くらい。
予告でかかったのがアニメの「サマー・ウォーズ」、英語題も"Summer Wars"と、Phil Ochsのドキュメンタリー!!! みたいよう。
”It's a Wonderful Life”は見たことなかった。
クリスマスにはTVでいっつもやっている(やるものなのだ)し、タイトルが"It's a Wonderful Life"で、邦題が『素晴らしき哉、人生!』で保険会社かよ、てかんじだし、旧パンクで育ってきた自分とは関係ない世界のおはなしだと思ってきた。
でもちょうどChristmasだし、ちゃんとしたスクリーンで見れるし、みんなふつうに誉めてるし、James Stewartだし、いっちょう見てみるか、と。
いかった。 元気をもらう、とか、生きる勇気がわく、とか、自殺をおもいとどまる、とか、そういう類のもんではないとおもうが、ドラマとしてとてもよくできているとおもった。
天使の住む天上があって下々の庶民が住む下界があって、主人公であるGeorge Baileyの生い立ちと人格と家族と職場と、があって、そんな上下縦横のいろんな網目が、後半の事件以降に一挙に俯瞰されたでっかい絵となって目の前に出てくる。
町中のひとりひとりの妙に変な挙動(みんながみんなをしってる)、妻Maryのこまこました変なとこ(ターンテーブルでロティスリーまわすとか)、職場でなんであんなにいっぱい動物飼ってるんだ、とか、あちこち変なところがいっぱいあるのだが、そういう変な要素をきちきちちゃんと描いているので、そういうのがラストの俯瞰図のところと、大円団のとこでたまらなく愛おしいなにかとなって噴出してくる。 その出しかたが、なんかよくて、"Wonderful Life"っていうのはそういう連中(てめーらってやつあ...)ぜんぶひっくるめて、なのね。
んで、悪いやつらは、それはそれで生き残って、世の中に住みにくい街をいっぱい作っているわけよね。 ふんとにWonderful、だよねえ。
そんなふうに、みんなで納得して揉み消しあうのが、Christmasなんだね。 ちがうか。
あと、「自分なんて生まれていなければよかった世界 → 自分が生まれてこなかった世界」のありようを眺める「自分」、これを眺める「自分」ていったいなんなの? 誰なの? というのはなかなかおもしろいテーマかも。
James Stewartは、最後のほうの、なりふりかまわず訳わかんなくなって崩れていくあたりが、すばらしい。
雪の町中をわあわあ言いながら走りまわるとことか。
天使がぼろいおっさんで、ほとんどあんま貢献しないとこもよいよね。
23日と24日の夜の上映のときには、Mary役のDonna Reedさんの娘さんが挨拶にきてお話していったの。 きっとよいお話が聞けたことでせう。
セサミストリートのBertとErnieの名前って、この映画の警官とCabドライバーの名前から取られたのかー。 それもなんかいいなー。
この季節になると定期上映館では定番Christmasクラシック映画の特集を組んでくれたりするものなのだが、今年はなんでかあんましない。 BAMのCinematekはお休みしてるし、やってるのはFilm Forumのあれと、IFC Centerのこれ、くらい。
予告でかかったのがアニメの「サマー・ウォーズ」、英語題も"Summer Wars"と、Phil Ochsのドキュメンタリー!!! みたいよう。
”It's a Wonderful Life”は見たことなかった。
クリスマスにはTVでいっつもやっている(やるものなのだ)し、タイトルが"It's a Wonderful Life"で、邦題が『素晴らしき哉、人生!』で保険会社かよ、てかんじだし、旧パンクで育ってきた自分とは関係ない世界のおはなしだと思ってきた。
でもちょうどChristmasだし、ちゃんとしたスクリーンで見れるし、みんなふつうに誉めてるし、James Stewartだし、いっちょう見てみるか、と。
いかった。 元気をもらう、とか、生きる勇気がわく、とか、自殺をおもいとどまる、とか、そういう類のもんではないとおもうが、ドラマとしてとてもよくできているとおもった。
天使の住む天上があって下々の庶民が住む下界があって、主人公であるGeorge Baileyの生い立ちと人格と家族と職場と、があって、そんな上下縦横のいろんな網目が、後半の事件以降に一挙に俯瞰されたでっかい絵となって目の前に出てくる。
町中のひとりひとりの妙に変な挙動(みんながみんなをしってる)、妻Maryのこまこました変なとこ(ターンテーブルでロティスリーまわすとか)、職場でなんであんなにいっぱい動物飼ってるんだ、とか、あちこち変なところがいっぱいあるのだが、そういう変な要素をきちきちちゃんと描いているので、そういうのがラストの俯瞰図のところと、大円団のとこでたまらなく愛おしいなにかとなって噴出してくる。 その出しかたが、なんかよくて、"Wonderful Life"っていうのはそういう連中(てめーらってやつあ...)ぜんぶひっくるめて、なのね。
んで、悪いやつらは、それはそれで生き残って、世の中に住みにくい街をいっぱい作っているわけよね。 ふんとにWonderful、だよねえ。
そんなふうに、みんなで納得して揉み消しあうのが、Christmasなんだね。 ちがうか。
あと、「自分なんて生まれていなければよかった世界 → 自分が生まれてこなかった世界」のありようを眺める「自分」、これを眺める「自分」ていったいなんなの? 誰なの? というのはなかなかおもしろいテーマかも。
James Stewartは、最後のほうの、なりふりかまわず訳わかんなくなって崩れていくあたりが、すばらしい。
雪の町中をわあわあ言いながら走りまわるとことか。
天使がぼろいおっさんで、ほとんどあんま貢献しないとこもよいよね。
23日と24日の夜の上映のときには、Mary役のDonna Reedさんの娘さんが挨拶にきてお話していったの。 きっとよいお話が聞けたことでせう。
セサミストリートのBertとErnieの名前って、この映画の警官とCabドライバーの名前から取られたのかー。 それもなんかいいなー。
[film] Little Fockers (2010)
25日のクリスマスの日。
こっちのクリスマスはお正月とおんなじで、映画館以外はほとんど閉まっちゃって行くとこなくなってしまうので、映画にいく。
で、なんとなくお正月ぽいホームドラマ、ということで "Little Fockers"を見る。
予告でかかった"Your Highness"、かの”Pineapple Express" (2008)の監督によるダンジョン(?)コメディで、Natalie PortmanにZooey DeschanelにJames FrancoにDanny McBride! ぜえったいおもしろいよこれ。
えー、"Little Fockers"は、”Meet the Parents”と"Meet the Fockers"に続く第3弾ね。
前2作はどっちもたしか飛行機のなかで見た。
1作目は婿側が義理の両親になる人たちと会う、2作目は婿側の家族と対面する、と一応それなりの儀礼とかしきたりに沿ったところで発生しがちなふつうの家族の惨劇を笑いとばす、という大筋(「xxxの巻」、みたいな)があったように思うが、もう各登場人物のキャラも定着してきた、ということで結構てきとうにやりたい放題やっているかんじ。
一応、双子の子供(孫)達の教育とかお受験とか浮気疑惑とか家系図、みたいなテーマもないことはないが、主軸はやっぱりBen StillerとRobert De Niroの確執とか騙し合いとか、面白いのはここだけかも、というくらいに両者の意固地なとっくみあいがたのしい。
De Niroが顔をぴき、てひきつらせてちょっとだけ青筋たててだんだん顔が赤くなっていって、それにBen Stillerがはいはいまたはじまったよこのじじいは、というかんじでてきぱき捌いていく、もうほとんど掛けあい漫才の域に行っているのではないか。
しかも、今回のDe Niroは"Cape Fear"と"Raging Bull"をやってくれたりする。
自分がこの映画のProducerでもあるし、たぶん自分でやりたくてやっているのだろうが、なんかすごいなあ、もう過去のじぶんとかどうでもいいのかなあ、って。
監督は”American Pie” (1999)と"About a Boy" (2002)のPaul Weitzさんで、だから、しょうもない下ネタ関係は、バイアグラねたとかJessica Albaとかをうまく使ってアメパイから、子供のゲロねたは"About a Boy"とかから、ちゃんともってきてうまくリサイクルしている。
それにしても、Jessica Albaってああいう頭のたらなそうなきゃうきゃう系の役やらせたらほんと天才かも。
しかし、”Love and Other Drugs”を見ても思ったが、製薬会社の営業って、みんなあんなかんじなのかなあ。 たいへんだよねえ。(ひとごと)
このシリーズ、年に一回くらいのペースでこんなふうに出していってくれたら楽しいのになー。
98分間、げらげら笑ってて、あとになんも残らない、ってなかなかできることではないとおもうの。
次回はそうだなー、De Niroのボケがはじまって大騒ぎ、とか。
こっちのクリスマスはお正月とおんなじで、映画館以外はほとんど閉まっちゃって行くとこなくなってしまうので、映画にいく。
で、なんとなくお正月ぽいホームドラマ、ということで "Little Fockers"を見る。
予告でかかった"Your Highness"、かの”Pineapple Express" (2008)の監督によるダンジョン(?)コメディで、Natalie PortmanにZooey DeschanelにJames FrancoにDanny McBride! ぜえったいおもしろいよこれ。
えー、"Little Fockers"は、”Meet the Parents”と"Meet the Fockers"に続く第3弾ね。
前2作はどっちもたしか飛行機のなかで見た。
1作目は婿側が義理の両親になる人たちと会う、2作目は婿側の家族と対面する、と一応それなりの儀礼とかしきたりに沿ったところで発生しがちなふつうの家族の惨劇を笑いとばす、という大筋(「xxxの巻」、みたいな)があったように思うが、もう各登場人物のキャラも定着してきた、ということで結構てきとうにやりたい放題やっているかんじ。
一応、双子の子供(孫)達の教育とかお受験とか浮気疑惑とか家系図、みたいなテーマもないことはないが、主軸はやっぱりBen StillerとRobert De Niroの確執とか騙し合いとか、面白いのはここだけかも、というくらいに両者の意固地なとっくみあいがたのしい。
De Niroが顔をぴき、てひきつらせてちょっとだけ青筋たててだんだん顔が赤くなっていって、それにBen Stillerがはいはいまたはじまったよこのじじいは、というかんじでてきぱき捌いていく、もうほとんど掛けあい漫才の域に行っているのではないか。
しかも、今回のDe Niroは"Cape Fear"と"Raging Bull"をやってくれたりする。
自分がこの映画のProducerでもあるし、たぶん自分でやりたくてやっているのだろうが、なんかすごいなあ、もう過去のじぶんとかどうでもいいのかなあ、って。
監督は”American Pie” (1999)と"About a Boy" (2002)のPaul Weitzさんで、だから、しょうもない下ネタ関係は、バイアグラねたとかJessica Albaとかをうまく使ってアメパイから、子供のゲロねたは"About a Boy"とかから、ちゃんともってきてうまくリサイクルしている。
それにしても、Jessica Albaってああいう頭のたらなそうなきゃうきゃう系の役やらせたらほんと天才かも。
しかし、”Love and Other Drugs”を見ても思ったが、製薬会社の営業って、みんなあんなかんじなのかなあ。 たいへんだよねえ。(ひとごと)
このシリーズ、年に一回くらいのペースでこんなふうに出していってくれたら楽しいのになー。
98分間、げらげら笑ってて、あとになんも残らない、ってなかなかできることではないとおもうの。
次回はそうだなー、De Niroのボケがはじまって大騒ぎ、とか。
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