ここ1年くらい、ここに書く感想は1エントリーでMS Word換算で1500文字以上、を自分で勝手に目標として課していたのだが、その長さでやっていくのが面倒になってきたので、もっと短いのでもよいことにした。異議なし。
12月24日、日曜日の昼、シネマカリテで見ました。 邦題は『神の道化師 フランチェスコ』、英語題は”The Flowers of St. Francis”。デジタルリマスター版での公開。監督はRoberto Rossellini、脚本はRoberto RosselliniとFederico Felliniの共同、音楽はRenzo Rossellini。
この映画は、おおおお昔に三百人劇場で見た時に衝撃を受けて、90年代のNY、Kim’s Videoでどこかのシネマテークが作った怪しげなVHSを高い値段で買ったり、日本でDVD化された時にもすぐに買ったり、自分が生涯ベストのようなものを選ぶ時には必ず入ってくると思われるやつなので、当然みる。
14世紀前半に書かれた名詩選、逸話集をベースにしたエピソードが10あって、ウンブリア地方のフランシスコ会修道士の(ほんもんの)人たちがフランチェスコとその兄弟たちを演じている。
1210年に、ひどい雨のなかの泥道をフランチェスコと11人の信徒たちが向こうからずぶ濡れの小走りでやってきて、農民の小屋に入れて貰おうとするのだが農民とロバに占拠されていて追い出されて、でも彼らの役に立ったのだからよかったではないか、とか言うのが冒頭。
すべてがこんな調子で、フランチェスコたちがいかに聖人で奇跡とかすごいことを為した人々だったか、その教義や秘義がどんなだったか、を描くのではなく、向こうからわらわらやってきてなんか与えたりやられたり、向こうからやってくる誰かを迎えたり受けいれたり、お許しください、って泣いてしまったりそういう姿ばかりが描かれていく。 夜中にハンセン病の人がひとりとぼとぼと通り過ぎた時も、フランチェスコは泣いて抱擁してあげることしかできない。
どんな状況にあっても隣の人に向かって布教をする、お祈りをする - そうして神の近くにあろうとすることがすべてで、そのために周りの人々からどんな苦難を侮辱を迫害を受けてもへっちゃらでにこにこしているの、そんな、どちらかと言えばいけてない姿が描かれるだけで、宗教劇にありそうな感動的な、啓示をもたらすその瞬間とか輝けるなにかとかを見せてくれることはちっともない。ただ向こうからやってきて一緒に暮らして、最後のエピソードでみんながみんなに別れを告げて、別々の方角に散っていく。本当にそれだけで、それなのにいつも半泣きのようになってしまう。
べつにキリスト教者である必要なんてない、それでも隣のひとにやさしくあろうとすることはこんなふうにして可能なのだ、と、それは隣のひとを貶したり暴力をふるったりするのと同様に、あなたにもできることなのだ、そこに完全なる歓びはあるのだよ、ってフランチェスコたちは映像でおもしろおかしく語りかけてくる。どっかの宗教法人のいんちき啓蒙動画の1000000倍くらいは見る価値があって、いま、この世界でもっとも必要とされる目線をもたらしてくれるなにかだと思う。
とにかく、どうかみなさん、ご無事で、しかない…
1.02.2024
[film] Francesco, giullare di Dio (1950)
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