1月5日、金曜日の晩、Curzon Soho で見ました。
身の回りがいろいろ落ち着くまで、映画館・美術館などに通うのは絶って、仕事と家探しに集中すべきでは、という天の声が聞こえないでもなかったのだが、目も耳も遠くなってしまったのと今年に入って最初の金曜日だしー、等から簡単に崩れた。
原作はPriscilla Presleyそのひと(とSandra Harmon)による” Elvis and Me: The True Story of the Love Between Priscilla Presley and the King of Rock N' Roll” (1985)、それを監督のSofia Coppolaをはじめ3人で脚色している。こわくて辛い内容だったらやだなー、だったが、Priscilla本人がヴェネツィアに登場していたようにそこまできついものではなかったのかも - 時間が経ってしまったらだけなのか、わかんないけど。
ここを含むいくつかのシアターでは35mmフィルムでも上映していて、その回で見たのだが、これがまた時代とかテーマとかあの時代の色味などを計算していたかのような - もちろん計算したのだろうが - 見事な調和と落ち着きをみせる。フィルム上映だとこんなにも、というその違いとか段差を示すよいサンプルにもなっているような。撮影は Philippe Le Sourd。
冒頭、ふかふかのカーペットの上をペディキュアをした小さな足(の甲)が歩いていって、そこにRamonesの”Baby, I Love You”が被さって、これだけでやられて、PhoenixとSons of RaphaelによるサウンドトラックはいつもながらのSofia Coppolaとしか言いようのないオーケストレーションをもたらして、すばらしいったら。
ストーリーはシンプルで、家族で50年代初の西ドイツに駐留していた15歳 (!) のPriscilla (Cailee Spaeny)が軍にいた父の知り合いの大人に誘われ、同じく徴兵されて現地にいたElvis Presley (Jacob Elordi)の家のパーティーに行って彼と出会って、彼は既に大スターだったのでぼーっとしていたらまた会いたいって呼ばれて会っているうちにどうしようもなく好きになり、両親から相手も相手だけどおまえは未成年なんだからせめて学校を出るまではだめ、と強く言われ、でもElvisから声が掛かり続け、誘われるごとに彼女の想いも募って、卒業試験もずるして通ってとにかく彼と一緒になる。
中心にいるのはPriscillaなので、ぎんぎんのロックスターとしてのElvisは広告とかTVとか固定された華やかなイメージの数ショットにしか現れなくて、でも彼女の目の前に現れるリアルElvisは時計をくれたり車をくれたり犬をくれたりクスリ(錠剤)をくれたり、なに言ってるかわかんないとこもあるけど彼女にはどこまでも優しくて、でも時折不安定になってぶちきれてモノを投げてきたりするのでとても怖い。そういうやさしさとおそろしさの間に囚われて固まって、どこまでも彼にすがって、彼しか見えなくなってしまう少女の姿と、その結果として孤島での孤立した夫婦生活が - いまであれば誰でも容易に想像できるしそこらじゅうに転がっている典型的なスターシステムとDVのありようがあって、でも後半に向かってPriscillaがその恐怖と洗脳に立ち向かい、どうにか自分を取り戻そうとする方へと向かう。
ここにはBaz Luhrmannの”Elvis“ (2022)に出てきたTom Parkerを中心にした彼を取り巻く男たちの病理、彼の周りにあったかもしれない別の地獄、みたいのはほぼ出てこない。 そんなの知るかよ、でよいと思った。 あと、日本だと変な勘違いをする大量のバカ(男)が湧いて出そうなので、上映前に注意書きとか啓蒙映像を加えたほうがよいかも。
偶然なのだろうが、まだやっている”Maestro” (2023)も、50-60年代のアメリカでカリスマ的な才能を持った人気男に惚れて惚れられて結婚した女性の、どちらかというと女性映画だった。 こちらのタイトルも”Felicia”にすればよかったのにね。
1.09.2024
[film] Priscilla (2023)
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