1.23.2024

[film] Aguirre, der Zorn Gottes (1972)

1月14日、日曜日の午後、BFI SouthbankのWerner Herzog特集で見ました。

どうにかなんとかアパートも見つかって、それまで待てずに買ってしまってできた小さな本の山とか寒くて買ってしまった服などを束ねて小引越しに臨まなければならないこのタイミングでHerzogがやってきて頭の奥とか芯とかをかき回す - これもまた神の試練と思えばよいのかどうか - どうでもええわ。  

英語題は“Aguirre, Wrath of God”。邦題は『アギーレ/神の怒り』。音楽はPopol Vuh - ぽぽる・ゔふ。

16世紀、実在した歴史上の人物(だとは知らなんだ)Lope de Aguirreが伝説の黄金都市エルドラドを求めて南米アマゾン川を下った破滅的な旅を綴る。作はWerner Herzogで、史実には基づいてはいないらしいが、山を越えた軍の一部が筏で川をくだっていく、これだけなので史実もくそもないかも。

数十人のスペイン人と大量の現地住民奴隷がアンデスの山を越えて川の辺りにたどり着く。冒頭の山越えから既にぐちゃぐちゃで大砲とか籠に乗せた貴族とかを上げたり下げたり、見ているだけでぐったりしてくるのだが、川まで来たところで物資が底をついてしまったので先行隊としてAguirreたちに川を下ってこの先を見てこい、と命令し、1週間で戻ってこれなかったらさようなら、と。危険な旅なのに指揮官の愛人とかAguirre(彼は副指揮官)の10代の娘などもこの旅に同行する。

旅をはじめてすぐに一隻の筏が渦にはまって動けなくなり、気がつけばそこの全員が死んでいたり、ジャングル周辺は敵ばかりであることが明らかになって、その時点で引き返せばよかったのになんだか沸騰してしまったAguirreは命令に背いて少人数でメキシコの帝国を征服したHernán Cortésの名前をあげて指揮官に刃向かい、手近にいたぼんくらを皇帝に仕立てて遠征を強行する - 女性ふたりもそのまま。

こうして飢えと恐怖でジャングル川下りをしていって、部下も奴隷もみんな端から殺されていくばかりなのだが、奇跡もなんも起こらずに最後は大量の猿が湧いてくるの。これらがろくな台詞も議論もなく、ずっと怖い顔をして燻ぶってて不機嫌で、口を開けばここで引き返してどうする、みたいなことしか言わないAguirreを中心に静かに展開して、そりゃこうなるよね、なのだが、その「自然」に対する向きあい方はとてもありそうでよくて、しかも画面としては整っていて美しいとしか言いようがない。

たぶん探せばどこかにあるのだろうが『地獄の黙示録』への影響はぜったいにある。

Aguirreと同じことをやった and/or やろうとしているのが戦前・戦中・戦後・いま、の日本であることは言うまでもない。死んでも自分の非を認めようとしない人たちとそれでもそいつらに従順な奴隷たちと。


Herz aus Glas (1976)

1月19日の晩、BFI Southbankで見ました。これもWerner Herzog特集で、この前に隣のBFI IMAXで”Queen Rock Montreal” - 1981年のライブ映像が4日間だけIMAXで! - というのを見て、やや食べ合わせ悪くないか? だったのだが、寝ちゃったっていいや金曜日だし、と。  

英語題は”Heart of Glass”、邦題は - 公開されていたんだ… - 『ガラスの心』。Blondieの同名シングル曲(1978)とは関係ないよね.. と思っていたらMike Chapmanはこの映画からタイトルを取ったって…

18世紀、ドイツのバイエルンの山の上で羊(?)に囲まれて予言者ぽい男Hias (Joseph Bierbichler) - 現地の予言者Mühlhiaslにならっていると - が予言のようなことを呟くと、山の上から白い風がぼうぼうと吹き流れていく。

ガラス工場のガラス生産で生計をたてている村で、ガラス職人の大家であり工場主でもあったMuhlbeckが亡くなり、彼のみが製法を知っていたルビー色のガラスを生産できなくなってしまった。さて、これから村はどうしよう、というのが残されたなんも考えていない村人たちの魂のない幽霊のような人形劇のような演技 - 一部を除いて俳優たちは催眠術をかけられて台詞を言わされているのだという、本当なのかどうか、そんなこと許されるのかもしらんが – と共に綴られていく。

催眠術で操られた人物たちの会話はかみ合っておらず、いろんなエピソードはあっても絡んだり関連したりしているようないないような、結末もよくわからない。のだが、とにかく画面は異様に美しく山や谷はCaspar David Friedrichだし、室内の光が浮かびあがらせるのはGeorges de La Tourとしか言いようがない。そこに向かって彼方から吹いてくるPopol Vuhの音楽もすさまじく、話の筋だけ聞くとわけわかんなくて眠そうだったのに画面があんなふうなのでちっとも眠気がやってこないのだった。これもまた催眠術か。

ラストは何故だか突然海の方に飛んであのSkellig Islandsの空撮が。”The Last Jedi” (2017)より40年も早い。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。