7.04.2022

[film] 四季の愛欲 (1958)

6月26日、日曜日の午後にシネマヴェーラの中平康特集で見ました。
丹羽文雄の『四季の演技』(1957) を、長谷部慶次が脚色したもの。冒頭に丹羽自身による「なぜ愛欲について書くのか」を説明したような文章がでる。おもしろいから、しかないわ。衣裳デザインは森英恵(山田五十鈴のを除く)、音楽は黛敏郎。

真面目で評判もよい現代作家の清水谷暁(安井昌二)の家に近所に住む母親浦子(山田五十鈴)がちょっと熱海に行くからお金ちょうだいって現れて、彼女はそのお金で布地問屋の主人平川(永井智雄)と温泉で遊んでいる。

そんなふうにしょっちゅう息子の金目当てでやってくる浦子を見て暁の妻でファッションモデルの吟子(楠侑子)はおもしろくなくて、あの女は自分の欲望のためにあなたを幼い頃に捨てたのだし、暁の妹の桃子(桂木洋子)だって宇都宮のうんと歳上の男- 建部(宇野重吉)のところに嫁にやったのだし、ひどいと思わない? って。引っ越しもしないでこのままなら、もう嫌だからとっとと別れましょう、って別れるの。

こうして吟子は自分がでたいミス・ユニバース出場に向けたコネづくり - 写真家とか業界とか - に励んで - その先には浦子の愛人の平川も - 桃子は投資などをやってばりばりで維新の政治家みたいな経営者赤星(小高雄二)に惚れて逢瀬を重ねて抜けられなくなり、暁は末妹の春枝(中原早苗)に紹介してもらった店員品子(峯品子)と会ったり、那須の観光旅館のバーで働く未亡人百合子(渡辺美佐子)と水虫薬の話をしたりしつつ近くなっていく。

やがて浦子は誰もが想像していた通り平川にあっさり捨てられて泣いて、でも立ち直りも早くて中華料理店のフロア頭になってばりばり働き始め、同様に屈辱的にあっさり捨てられた桃子は自殺まで考えるもののなんとか思いとどまって宇都宮の自宅に戻り、そんな彼女を建部は静かに受けいれて、吟子は日頃の素行がたたってミス・ユニバースの件はなくなり、それならパリに行くぞ、ってガイジンのBFと荒れた翌朝のホテルで百合子の側にいる暁と鉢合わせてしまい、吟子からこれ元夫なのよ、とか言われてしまう。

どいつもこいつも正気か? って愛欲と激情の修羅場第三ステージに突入かー ってなった一触即発の駅のホームに滑りこんできた列車の客席には平川とヨリを戻したらしい浦子が女王のように寛いで羽を広げて笑っていて、あぜんとして立ち尽くす(ほかになにができよう..)下々の一同を残し、蒸気機関はすべてをなぎ倒して地の果てに去っていくのだった。

方々で湧きでる愛欲をわかりやすく示すベッドシーンなんてほぼなく - 桃子が抱き合いながら呪文のように唱える「離さないわ」くらい - 俳優同士の会話とか表情の連なりのなか(のみ)で示される「愛欲」のありよう。それは四季さながらに移ろって何度も何度も回り続けるものなのだって。そんな泣いたり泣かれたりの会話劇ばかりのなかでわかるのかしら? って思うのだが、俳優がみんなうまいので無理なくすんなり - どろどろもやもやも含めて - 入ってくる。愛欲ってなに? の反対側にいそうなのが桃子の旦那の枯れた宇野重吉とか。

とにかく山田五十鈴がはりだすとてつもない磁場というか。これと同じ年の『悪女の季節』 (1958)でもぜんぶ彼女が持っていった感があったが、これもそうで、目を合わせたり会話をしなくたって、そこにいるだけで有り金ぜんぶそこに置いて裸になって壁に向かって立て、って言われてぐるぐる巻きにされてしまうかのようなパワーがあって、なんなのかしら? って。このパワーがある限り愛だの欲だのなんて小賢しいもんで満たされてしまうことなんて永遠になく、吸い取られっぱなしのすっからかんのまま。あまりに突出しているのでバランスが.. ていう話もラストのあれでそういうことよね、って納得するしかないの。

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