7月2日、土曜日の昼、”Elvis”の後に有楽町に移動して見ました。ぎんぎらのあとにじみじみ。
同一日に公開されたホン・サンスのもう一本のほう。モノクロ、3パートからなる66分。2021年のベルリン国際映画祭でプレミアされ、銀熊 - 最優秀脚本賞を受賞している。2本一遍に見たほうがよかったのかどうか - どうとでもーって言う声が。
冒頭、白衣を着た中年の男がなにやらお祈りのようなことをしてから部屋を出ていく。若者ヨンホ(Seok-ho Shin)はこの治療院に先の医師である父親を訪ねていくが、父は久々に訪ねてきた有名俳優(男)(Ju-bong Gi)の治療で部屋に篭って話をしているようで会うことができない。昔から彼を知っているらしい治療院の看護士の女性が彼と少し話をしてハグする。
ベルリンにファッションの勉強にきたジュウォン(Mi-so Park)はかっこいい憧れのアーティストのキム・ミンヒのアパートに滞在することになり、そこに訪ねてきたジュウォンの母とか、やはりそこに訪ねてきた恋人のヨンホとハグをして、タバコを吸って話をしてそこに雪が舞ってくる。
海辺の居酒屋で有名俳優とヨンホの母とヨンホたちが呑んでて、ヨンホは俳優の仕事に自信を持てなくなった - 恋人だったジュウォンはベルリンでドイツ人と結婚しちゃうし愛なんて信じられないのに演技の世界で愛するなんてできるだろうか.. って言うと有名俳優がざけんじゃねえ、って力強く説教して、わかんなくはないけどいろいろ辛くなったヨンホは冬の海に入ってみたりする。
3つのエピソードに3つのハグ - 最後のはもういなくなってしまったジュウォンとの夢の中なのか遠くの過去なのかはっきりしない。ここだけじゃなく全体がモノトーンの夢の中で起こるあれこれのようで、夢で起こったことを追認する/せざるを得ないような語り口の中にあり、過去も未来も因果も動機も場所と場所を結ぶ線も、すべてどうとでもとれるようにてきとーに接合されていて、誰の見ている夢なのか、なにかの予兆なのか反映なのか、どうすることもできずに途方に暮れるしかない。
でもこの途方に暮れたかんじこそがホン・サンス映画のだらだら呑んでくどいて男女があんなふうにもこんなふうにもなっちゃう一部始終あれこれの核心であって、すべてはそんな夢から醒めたあと or その直後から始まるのだ(始まるだろ?) - だからこれが「イントロダクション」で、その原理原則みたいなのを今作では恋人同士、あるいはその親子同士の線と緩い塊り、彼らの始まりで終わりのようなぎこちないハグのなかに示そうとしたのではなかろうか。
映画が終わって現実が始まる - ごもっともで、その現実がどうにもなんないどうしようもないのと同じように映画も絶えず不安定な揺れのなかで生起するなにかを捕まえようとする、それだけの、ただのイントロダクションなんだからあとはよろしく、ってエンドロールなんて一枚きりで「じゃん♪」。て終わるの。そんなもんよ、って言われている気がする。
『あなたの顔の前に』とあえて比較すると、時間の経過と共に死に向かう存在、としての人、っていうのは自在に生起したり追認されたりする夢とは切り離された、それとは別の囲い - 異なる切実さの中を生きている気がして、だからこちらのカラーの肌理はクレーの絵画のそれ、そのなかで生きることを求められる。 だから『あなたの顔の前に』でサンオクが甥っ子役のSeok-ho Shinを愛おしそうに抱きしめる一瞬はしんみりとよいの。 儚い夢のなかを泳ぐように生きるのか、死へと向かう生を祈るように生きるかないのか - そのどっちか、という選択の問題ではない気がするのだが、その問いもまた宙に浮かんでいて答えはないかんじなの。
選挙戦が始まってからいやな発言ばかり目にしてほんとうにいやになって、会社を休んでコジコジを見にいって、あああっちの世界はいいなー、って思ったとたんに奈良であんな酷いことが。もうこの国は終わりだわ、って日曜日の晩にぜったい確実にやってくる絶望が少しだけ早めにやってきた。
7.08.2022
[film] Introduction (2021)
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