7.29.2021

[film] 花札渡世 (1967)

7月22日、木曜日の昼、シネマヴェーラの成澤昌茂特集で見ました。
花札のことなんてこれぽっちもわからないのだが、なんとなくどこかに渡って行きたいかんじがずっとあり。いまはどこにでも行けそうでちっとも行けやしないし。

監督・脚本は成澤昌茂。最初のタイトルは『花札賭博』だったらしい。ものすごくよかった。
昭和の初め頃、花札の賭博をやっているところで、北川(梅宮辰夫)が向かいに座る素めくらの石(伴淳三郎)とすぐ横にきた石の相方の梅子(鰐淵晴子)のいかさまを見抜いて警察を入れた捕り物になる。

北川は四谷のあたりの親分 - 春日井(遠藤辰雄)のところに仕えていて、春日井の養女の久江(小林千登勢)も彼に気があるのだが、実際には春日井 – 鬼畜野郎 - にべたべたされていたり子分の木村(安部徹)に一緒になろうって言い寄られていたりいろいろ悪賢く立ち回ろうとしている。

やがて組の業績をあげるため & その他の思惑で素めくらの石を客分に迎えいれることになり、それを機に北川と梅子はなんとなく一緒にいるようになっていく – はじめ石と梅子は夫婦だと思っていたのがそうでなかった - のだがそれがおもしろくない春日井は梅子の体を賭けて北川と石を勝負させて、ここはなんとか石が勝つのだがわりいな、ってそのまま石を殺してしまう。ここまででいい加減あたまきた北川は、春日井をぶった斬ったあと梅子とホテルで一晩を過ごして出所した5年後に会おう、って約束をして別れて刑務所に。

で、出所した北川を待っていたのは…
憲兵がのしてきて世の中が息苦しくなってくる少し前の頃のおはなし。1967年。

タイトルが「花札渡世」なので、花札でこの世を渡っていく、というのはわかるのだが、ふだんこの人たちはみんな何をしているのかしら? 花札だけで食べていけるのであればいいけど.. 食べていけてるんだろうな、それで殺されちゃったりするわけだし、トランプでギャングは殺し合いをしたりするわけだから、そういう世界なのだろうけど、なんか骰子とかと比べると花札の「ぺしっ」、みたいな質感ってなんか軽いかんじがして、それらに翻弄される、ほどではないけど、巻き込まれてしまってややしんどい青春もの、のような。

そのちっちゃな札とその絵柄の出た張ったで命とか運命がころころ変わっていく、その儚くてやってらんねーの空虚さが北川と梅子の仏頂面にはよく現れていて、これら抗いようのない非情さと理不尽さ(ついてねえや.. )ってノワールとしか言いようがない。特にラストの梅子の態度なんて北川から見れば惨いかもだけどあんなもんよね。やはりああこなくちゃ。

血しぶきが飛んできそうなぎんぎんした東映のやくざもの - 高倉健とか鶴田浩二とかの – って苦手で見てこなかったのだが、ここでの梅宮辰夫の無力で透明でどっちに行くのかあまり見渡せない無表情ってすばらしいと思うし、どこまでも寄り添うことを拒否して目を合わせようとしない鰐淵晴子の意固地なふうとか。それらが淡いモノクロのコントラストに溶けていくようでたまんなかった。



たまにニュースをつけてみれば絶望しかない。
オリンピックと感染状況の関連なんてあるに決まっているけど、ぜったいに連中は認めないだろう。
それよりもロックダウンしてお金を配ること、接種を各自の予約じゃなくて強制日時指定にすること、どうしてそっちの方に議論が向かないのか、まったく理解できない。 「お願い」が効かないのに「共感」なんて方に向かうわけねーだろ、生活かかってるんだから。小学生でもわかるわボケ。

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