7月4日、日曜日の午前、日比谷シャンテ(ではないのかもう?)で見ました。
東京ではもうここともう一箇所くらいでしかやっていないの。地味だけど、とってもよい映画なのに。
関係ないけど、日比谷の地下から地上に出たらBuvetteがあったのでびっくりした。外観だけはNYのともパリのともぜんぜんちがう。日本に来るとそうなっちゃうのは諦めているけど、行きたいよう戻りたいよう、の最中だったのであーあ、って。
昨年のLFFで見逃していたやつはこれが最後かも。 冒頭にBBC FilmsとBFIのロゴが出てくるだけで泣きそうになる。 いっぱいの星空が広がって、真ん中あたりに強く瞬くひとつの星があって、すぐ後に消えるのが見える - これがSupernova。
英国の湖水地方の方で、ぼろいキャンピングカーで旅に出ようと車を走らせ始めるSam (Colin Firth)とTusker (Stanley Tucci)のふたりと犬のRubyがいて、Samが運転してTuskerが横でボヤいたり文句を言ったりしている。 SamはTuskerのやや棘のある言葉にイラついて返したりもするが、黙々と運転を続けて、ふたりのやりとりからこの旅はSamが無理やりTuskerを連れ出しているようなのだが、大喧嘩するような元気はどちらにもなさそうな。
途中でデリの脇に車を止めてSamが買い物をして戻ると、Tuskerがいなくなっていて、慌てて車で探しにいくと彼は道の真ん中で途方に暮れて突っ立っていて、そこでのやりとりからTuskerは早期の痴呆症を患っていることがわかる。更に、今回の旅に医師から処方された薬を持ってきていないこと、Samはピアノの演奏家で、Tuskerは作家で、ふたりはずっと恋人であることも。そして、これがふたりにとっての最後の旅になりそうな予感も。
やがて車はSamの姉の家に着いて、姉夫婦とその子供たち、地元の友人たちはふたりを暖かく迎えて、ふたりもSamの子供の頃のベッドに横になったり星をみたり寛いだ時間を過ごすのだが、SamはTuskerのノートと手紙を読んでしまい、その内容についてふたりは話し合う。
Tuskerは、自分で自分のコントロールができなくなる前 - 自分が自分でなくなる前に、どうしても自分であることを止めたいのだ、と言い(Samが読んでしまったノートには文章を書こうとして書けずに線のぐじゃぐじゃになってしまうその痕が痛々しく)、Samは君がなんと言おうとどうあろうと僕にとっての君は君だ、そんなこと言わないでくれ、って泣く。この静かな衝突の、でも互いにぜったい譲れないそれぞれにとってのあなたの像。
こないだ見た“The Father” (2020)の、どんなに症状が進んで自分がどこかに行ってしまおうが、自分が見る自分も他人が見る自分も”The Father”として圧倒的にそこにあるのだ、と言い切ったあの強さと比べると、このふたりが互いに曝け出して覆い被さろうとする弱さは、それぞれにどこまでも弱く、というかやさしくて、でもそれ故に揺るがないものとして迫ってくる。 “Still Alice” (2014)が最後に見せようとしたそれに近い、というか。いや、でもそんなのわかんないか - これはやっぱり彼らの、彼らだけのSupernovaのお話で、でもその光と闇は周囲の我々のところにも届くの。
Colin Firthのきりっと真一文字に結ばれた口元が少し歪んでから一挙に崩壊する瞬間が昔から好きで、Stanley Tucciの穏やかな笑顔がそのまま夢を見るそれに溶けていく瞬間が昔から好きで、そんなふたりの極上の演技を思いっきり浴びることができる至福。 最初はSamの役をTucciが、Tusker役をFirthがやる予定だった、というのはちょっと信じ難いけど。
音楽は最初にDonovanの“Catch The Wind”が軽快に流れ、Karen Daitonの“Little Bit of Rain”もよいかんじで、でも最後にColin Firthが(最初のほうは本当に)演奏するElgarの“Salut d'Amour”が沁みる。 昔から“Supernova”といったらLiz Phairさまの同名曲なのだが、やっぱり流れなかったわ..
久々に陽の光を浴びたせいか、すごく眠い。ので寝る。
7.10.2021
[film] Supernova (2020)
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