6月18日、金曜日の晩に神奈川芸術劇場で、『春の祭典』- “Le Sacre du Printem”を、6月29日、火曜日の晩に横浜市役所アトリウムで、『SOLO』を見ました。
リモートで仕事をしているときに、こういうの(ライブとか夕方早めので、かつ会場が遠いやつ)があるとなかなか便利だということに気づいた。(もちろん本来あるべきはー)
ダンスのライブ公演。ロックダウンが始まって以来、音楽のライブストリーミングも演劇のそれも見てきたけど、ダンスのだけは見なかった。Royal BalletもABTもボリショイも、よいプログラムのストリーミングをいっぱいリリースしてくれて、ぼけてて見逃してしまったのも沢山あるのだが、見ることでサポートしなきゃと思いつつも積極的に見にいく気にならなかったのは、この床板ぶちならしを生耳で感じたかったからなんだわ。 最後に見たライブ公演は、2020年2月、Tanztheater Wuppertal Pina Bauschの『青髭』だった。
Israel Galvánその人については、あまり知らなかった。ロンドンのSadler's Wells(ダンス専門のシアター)で公演があったのは知っていたもののそこまでのその程度で、でもチラシとかを見ると巨匠だというし、それにしてもこんな時期にわざわざこの国にやってくるなんてよほど変な人なんだろうな、と興味がわいた。 過去の動画とかは一切見ないで、床の打突音にかける。
『春の祭典』はこれまでMartha Graham (Dance Company)のとPina Bauscheのは生の舞台で見た。ベジャールのはビデオでみた。おおもとのバレエ・リュス = ニジンスキーのは見ていない(みとけ)。
今回の『春の祭典』はオーケストラではなく2台のピアノバージョンで、そもそものピアノバージョンでの実現を企画検討した音楽家とピアノ奏者 - Sylvie CourvoisierとCory Smythe - がコロナ禍で来日が不可となり、新たに日本側で2人のピアノ奏者が起用された、という。
トリオ編成のバンドでフロント以外のふたりが変更されて、全体のアンサンブルはどうなるのか。
冒頭、真っ暗な舞台の奥にむき出しになったピアノの弦板みたいのが床から直立で立ててあって、それを仰向けに寝転んだ状態で足(右足が赤い)でぴらぴらつま弾いたり叩いたり。地面から生えてきた何かが上でも横でも、なにか引っ掛かる先を探しているような。
そのあとで2人のピアニスト - 片山柊と増田達斗 - が入ってきて、あの有名な旋律を奏ではじめる。オーケストラ版の小刻みに揺れて震える空間の膨らみ厚みはなくて、4本の腕と脚による鍵盤と弦とペダルが互いの音の軌跡痕跡を消しあうような、強く猛々しい打弦の音を奏でると、その隣でGalvinが床(いろんな床とか桶とか)と脚 & 全身で打ち鳴らすけたたましい音はそれらを不敵に蹴散らすばかり。
春の祭典。照明はどこまでもダークで、衣装は後半のスカートまで覆い隠すようなのが多くで、春の何かが生まれだす明るさ華々しさ - 花吹雪とか - あるいは群舞によるマスの大波の勢いなどは微塵もなく、地の底からなにかが不穏に湧きあがるじゃりじゃりどかすかした生のノイズをGalvánの身体がアンプリファイしてこちらに投げ込んでくる。それを追ってピアノが更に混ぜ散らすカオス。
彼のベースであるフラメンコについては多くを知らないのだが、パンフレットにある彼のインタビューを読むと、フランケンシュタインとかウィルスとか散々言っていて、要は人為的に起動されて他を蝕んでいく強い生とか個体とか? あるいは、同じパンフレットで彼が影響を受けて研究したというマジンガーZと敵のロボット(機械獣?)たちのことを考える。 普通にイメージしそうな強く躍動する生、とは異なる特異かつ邪悪な何かに繋がることで自身を保とうとする、その怖さと切なさと。
『春の祭典』に続けてふたりの日本人作曲家の作品 - 武満徹の“Piano Distance“と(今回の奏者でもある)増田達斗のBallade”に合わせて踊る。『春の祭典』の「石」のイメージに対してこちらは「水」だという。石とか砂がぶつかり合うようだった前者に対して、でも水の流れに乗ったり打たれたり - ではなく、ここでも強く自分の音を鳴らして正面からぶつけようとする。ジャズのセッションのような感があった。
彼のダンスのやかましさは十分素敵なのだが、2台のピアノ演奏がすばらしくよくて、これだけでも別の機会に聴いてみたくなった。
ここから約10日後、市役所のパブリックスペースで演じられた”SOLO”は、そういう場所での演舞を想定して作られた、伴奏音楽もない、たったひとりの大道芸 or ドラムソロ のような作品。 マイムやタップの要素も入り、客席のひとりひとりを見ながらなにかを呟いたり置いてあるマイクに向かって喋ったり(けど届かない)とか、その中心にあるのは、絶えずフロアをキックしてやかましい音をたてて止まらない打楽器としての彼の身体の不可思議さむず痒さのようなやつで、そう、これはコメディなの。 途中で魚屋(or 肉屋)のエプロンに着替えてポケットからなにかを散らしたり猫耳みたいのを一瞬つけてみたり - とっても変なヒトのかんじが素敵。 ひとりで踊っているときのFred Astaireのイメージもあった。強引に場所を作ってとにかく見せてしまうようなところとか。
もちろんテーマありきなのだろうが、どんな音楽で踊ってほしいだろう? とかつい考えてしまう。
バイーアのバテリアとか(めちゃくちゃやかましいの)。こないだ亡くなられたFrederic Rzewskiとか。
もう7月だってさ。
7.02.2021
[dance] Israel Galván
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