7.28.2021

[film] 噂の女(1954)

7月18日、日曜日の昼、シネマヴェーラの成澤昌茂特集で見ました。
監督は溝口健二、脚本は依田義賢と成澤昌茂の共同、撮影は宮川一夫。54年の溝口作品のなかでは『山椒大夫』と『近松物語』の間にあって、地味だけどなんか好きで何度も見ている。 これが『噂の娘』だと成瀬で、金井美恵子になるの。

京都のお茶屋兼置屋の井筒屋をひとりで背負ってきた初子(田中絹代)がいて、そこに東京でピアノの勉強をしていた一人娘の雪子(久我美子)が戻ってくる。彼女は恋人から婚約直前に縁談を破棄されて自殺をはかって、破棄の理由は家の商売が置屋だから、というものだったので彼女は自分ちの商売を汚らわしい、って母に対しても周囲の芸者たちにも心を閉ざしている。

そこにいつもやってくる若い医師の的場(大谷友右衛門)が現れる。初子は彼にずっとべったり貢いで彼を繋ぎとめるために医院を開くための資金提供までちらつかせるのだが、彼は彼でそこを駆け引きの材料にしたりずる賢くて、雪子の様子を見たりしながら話し合っていくうちにふたりは意気投合するようになる。

そのうち井筒屋の太夫の一人薄雲(橘公子)が病で倒れて、はじめはよくある胃痙攣だと思っていたら実はずっと悪くてあっという間に亡くなってしまい、雪子は彼女の看病をしているうちに他の太夫たちのケアもするようになり、更に的場とも親しくなっていくので母は見境がなく取り乱して、彼女にべったり言い寄ってくるお金持ちの原田(進藤英太郎)に頼んで病院開設の資金を用立てしてもらって…

みんなで能の舞台を見にきた時、雪子と的場がふたりだけいなくなり、ロビーに探しにいった初子がふたりの会話を聞いて衝撃を受けるシーンの構図とか表情がおもしろいのと、初子がいて太夫や娼妓たちがいて、酒や料理を用意する人たちもいて、お客が得意先を連れてきたり、酔っ払いが這うようにやってきたり、それらに絡んだ諍いがあったり、そういういろんな人々が往来のように絶えず行き来する井筒屋のセットがすばらしいの。西部劇に出てくるサルーンとかパリのムーラン・ルージュとか、人生のあらゆる吉凶ごとが行き来する場のような。

おそらく江戸の時代からずっとそんなふうにやってきたそんな場所 - 置屋(英語だとどう訳すの? - brothel?)にショートカットのシンプルな洋装で現れた雪子はひとりだけ異質な噂の女としか言いようがないのだが、置屋はそんな彼女も取り込んで、薄雲の妹も受け容れてまったく揺るがない。そして、田中絹代演じる初子は、自分の仕事に揺るぎない誇りと自信をもって、日々戦い続けているという..

おもては的場を追い払って母娘安泰円満のコメディのように見えるけど、実はものすごく残酷で過酷な溝口得意の逃れようのない格子模様を描いているのではないか。『赤線地帯』(1956) にもそういうかんじはあるけど。男子には見えにくいかもだけど。ラストで俯瞰される井筒屋なんて、まるで牢獄のようではないか。

今年のカンヌで田中絹代の監督作品が上映されたそうで、これってMark Cousinsの14時間のドキュメンタリー作品”Women Make Film” (2018)で紹介された成果だったのではないか、と思っている。この作品のなかで彼女の監督作品は全編通して10回も参照・紹介されていて、すごく見たくなった。どこかでやってくれないかしらー。


お片付けはだいたいつまんないのだが、たまにおもしろいこともあって、奥の方から巻いたままのポスターが発掘された。 1995年にセントラルパークでPatti Smithがポエトリーリーディングした時の(サイン入り)とか、agnès b. がJLGを取りあげたとき(『右側に気をつけろ』の頃?)のとか、Lunaが2005年にFarewellしたときのとか、Mission of Burmaとか、Neutral Milk Hotelが復活したときのとか、リトのきれいなのも多いのでちゃんと額装したいな、と思ったのだが、それやっても飾る壁がないのなー。


それにしても都知事とか首相とか、ひどいねえ。 もちろんわかっていたけど。

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