1.22.2019

[film] L'avventura (1960)

12日土曜日の夕方、BFIのAntonioni特集で見ました。英語題は”The Adventure”で、邦題は『情事』(あーあー …)。 
60年のカンヌでJury Prizeを受賞している。

彼の「愛の不毛3部作」ていうのの最初ので、ただこれまでの特集で最後の”L'eclisse” (1962)とか50年代の短編も含めた作品を見てしまっているので、この作品であんまりに突飛な、ブレークスルーしたかんじはしなかったかも。

Anna (Lea Massari)が友達のClaudia (Monica Vitti)とヨットで島にいく計画を立てて、その前に男友達のSandro (Gabriele Ferzetti)のとこに寄って、ふたりの様子はすごく熱くて親密なのだか冷めたり腐ったりし始めているのか微妙でよくわからないのだがとにかく海に出て、移動している時にAnnaは突然海に飛び込んだりして元気いっぱいで、なのに島について暫くすると姿を消してしまい、足取りがまったく掴めなくなる。父親のところにフィッツジェラルドの『夜はやさし』と聖書を遺して。

彼女がなにか事件に巻き込まれたのか海に落ちたのか自殺したのか計画的に失踪したのかまったくわからないままClaudiaとSandroはAnnaを探していろんな町、いろんな土地を旅していくうちにだんだん親密になっていって寝ちゃったりして、もしこの状態を戻ってきたAnnaが見たら..  とか思ってもどうすることもできないままずるずる旅と関係を続ける。 筋としてはそんなもの。

タイトルの”The Adventure”について、AntonioniはEmotionのAdventure、ということを言っていて - 配布されたノートによる -  その点からするとここには女性がひとりいなくなってその男友達と女友達が彼女を探すうちに関係を持って、という単純な行方不明者を探すお話し、というよりは、行方不明になった彼女の声が内面で反射・反響する中、人はどんな地図を頼りに人にたどり着いたり出会ったりすることができるのか – 人は自身を行方不明者ではないと言い切れるのだろうか、みたいなところに行きつくのかも、って。 あるいは、人はAdventureを求めて新たな土地や空間に行きつくのではなく、新たな土地や空間、空気のありようがひとをその状態に持っていく、ということは言えないだろうか、って。

でもそんなこと言ったらなんでもかんでも”The Adventure”になっちゃうのではないか? については、それでもいいのだ、と返している気がする。 この心象のありように50-60年代のイタリアの都市と田舎の境界にあるような場所とか海岸線がどうしてあんなにはまるのか、はちょっと不思議だが、50年代に撮った短編ドキュメンタリーを見ると、それらの撮影を通して彼はなにかを見つけたのではないかしら、と。

こうして彼らの旅はどこに行ってもなにをしても未開の地の異様な建物とか光景に遭遇することになって、恐ろしいといえば恐ろしいかもしれないし、何を見ても既視感まみれなのかもしれないし、どこに行っても異邦の地の異邦人だらけなのかもしれない。でもEmotionの揺れとか旅とかって、性別年齢関係なくやってくるものだし、どうしようもない。そこで絶望するかとりあえず歩いていっちゃうのか、人それぞれだろうけど、Antonioniの映画では、女性(なぜ女性なのか?)はいつもひとり、群れてくる男共を振りきって向こうにすたすた歩いていってしまう(のは素敵)。 そしてこの考えのパスは直截的ではないものの(ぜったい言わないだろうけど)、その彼方にある「自由」というのを照らしだしてはいないだろうか。

ラスト、夜明けのホテルでSandroがそこらの女といるのを見つけたClaudiaが涙を流すのは彼を別の女にとられたからではなく、彼がAdventureを降りたことがわかったからで、そこでClaudiaはAnnaになったのだと思った。 さよならSandro、かわいそうな男、って。

残りはまんなかの”La notte” (1961)だが、見る時間あるかしら…

TVはなんでこんな時間に”Ferris Bueller's Day Off” (1986)をやっているのか。 見ちゃうじゃないか。

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