8日の火曜日の晩、Picturehouse Centralで見ました。
平日の晩なのに中くらいのサイズの部屋が前列まで埋まっていた。結構人っているみたい。
岩登りする人のドキュメンタリーで、最初に予告見たときはこんなの見ないわ、だったのだが何度か予告見ているうちに、ここにはものすごくバカバカしいなにかが横たわっているような気がしてきたので見てみようか、と。
基本的にスポーツは見ないしやらないし、なにが嫌かってスポーツを共通言語だか神話だかみたいに押しつけて酔いしれてみんなその輪に入ってきて当然、みたいな態度で押し売りに寄ってくる人たち(もっぱらじじい)で、だから自分からは一切近寄らない。 そもそも「自分との戦い」とか言うんなら黙ってりゃいいのに、なんでごちゃごちゃ感動を擦りつけてこようとするのか。 きもちわるい。
予告見て思ったのはそもそもこれってスポーツ競技じゃないよね、登って笑うか落っこちて死ぬか、それだけで、その高揚感とかも共有できるとは思えないし。サーフィンとかスキーのジャンプとか、そういうひとりで勝手にやってろ(そして失敗したらしね)系のやつ。 本をいっぱい床から積みあげて一瞬の気の緩みで崩れたら埋もれてしね、とかそういうのに近いと言えなくもないし(殴らないで)。
岩登り - 命綱とかを一切つけないで指と腕と脚だけで垂直以上のとこを登って天辺まで行くやつ –をするAlex Honnold氏が2017年にヨセミテのEl Capitanていう岩登りにとっては極上のヤマらしい - にひとり臨んだときの記録。National Geographicの製作でもあるので、自然とか風景の描写もとってもきれい。
この世界のことはまったくわからないのだがAlex Honnoldさんは既にスターで、本も出しているし雑誌の表紙にもなっているしスポンサーもいるし十分に実績があるひとで、それでもこの岩は難しくて、事前の念入りな準備とか練習が不可避なのだと、でもその練習ときたら、登りのルート(ポイントやパスにぜんぶ名前がついてる)のこの岩のここの窪みに指をこう引っかけてとか脚を空手キックの要領で踏みだして、とかぜんぶメモに書きだしてて、それって虫とかX-Menとかになったほうが早くないですか、みたいなやつなの。 岩からすればお肌の皺とか毛穴のひとつひとつに注意を払ってくれてありがとう、としか言いようがないような。
ひょっとしたら普段の我々の人生もこういうちょっとした目に見えないほどの窪みや凸凹を意識的に感知して対処できるかどうかでその後のいろんなことや後に見えてくる風景も違ってくるに違いないのです、とか自己啓発好きなうざい人たちは言ってきそうな。
いや、そうではなくて、それくらいの精度でコントロールしないと重力にやられて死ぬ、という、ただそれだけの。 実際に彼の仲間は次々と落下して亡くなっているし。
たぶん、Alex Honnoldさんの人柄がよすぎるのか、そもそもなにかが根本的に欠落しているのか、いつも淡々と朗らかで泣き言みたいなのを(少なくともカメラの前では)吐かないのもよくて、それはパートナーの女性との関係もそうで、出かけるときのさばさば具合ときたらいいなー(彼女、裏では散々泣いているのかもだけど)。
ヤマ場のとこの撮影はやっぱり近くで撮らないでほしい、となってカメラの人たちのはらはらした涙目がよくて、でも全体にあっさり軽く仕上げていて気持ちよかった。
あとさー、やっぱりキートンとかロイドって、とんでもなく偉大だよね。あんなことしながら自分で撮っていて、みんなを笑わせたりしているわけだし。
やらない – やれるわけないことを前提に、それでも岩登りをやらなければならない、ということになったら、自分にいちばん欠けているのはなんだろうか? とか考えてみる。筋力も体力も平衡感覚もまったくないけど、たぶんいちばんだめなのは集中力、だよね。 あんなとこにひとりでいて、岩の表面だけ見て触っているなんてありえないわ。 木登りくらいならまだ…
そういう点で、場内がいちばんどよめいたのは挑戦の日の朝、緊張感たっぷりの岩場に貼りついてた変な着ぐるみ着た人。あれなに?
1.15.2019
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。