LFFからの1本、10月15日、月曜日の昼間にBFIで見ました。
チケットを取っていなくてSold Outしてて、でもStand-byに並べばなんとか、と勝手に思って行ったらシアターが小さいせいかぜんぜん戻りチケットがなくて、ぎりぎり直前で中に入れた。
Trojan Recordsを中心に据えた音楽ドキュメンタリーで、このレーベルの生み出したスカやレゲエがなぜ、どうやって英国の音楽シーンに浸透していったのか。 個人的には、これらの音はなんであんなふうにパンクとくっついてポストパンクのあれらを生み出したのか、とかその辺。
映画は50年代、まだイギリスの植民地だったジャマイカから始まって、関係者証言や資料映像だけでなく、ところどころ役者さんによる再現ドラマも交えながらなにが起こっていったのかを追っていく。まずは倉庫にサウンドシステムを構えて工場や農場での労働の後に歌って踊れる場所をつくって、それが当たってヒット曲とかが生まれたのが始まり。62年にジャマイカが独立すると、ジャマイカから労働力として大量の移民が英国に渡るようになり、そこで、故郷を懐かしむ人々が同様のサウンドシステムを組んで、あそこでやっていたのと同じようなダンスミュージックを作って流していこう、と68年に始まったのがTrojanで、それは単にレーベルを作って音楽を「流通」させよう、とかいうのではなく、移民たちマイノリティの置かれた社会や文化的な状況を反映した生活に不可欠ななにか、メディアとして立ちあがっていったのだと。 その音楽もジャマイカ本国でスカやロック・ステディが流行ればそのまま取り入れられて、やがてそれは同様に社会の隅っこにいた白人の労働者階級の若者たちを取りこんで、スキンヘッドでかっこよく踊る子供たちが現れて、Chris BlackwellのIsland Recordsを経由した音楽シーンへも拡がりを見せるのだが、レーベル自身は7inchや廉価盤の量産の繰り返しで膨張して、経営が悪化して潰れてしまう。
最初のほうに出てくるミュージシャンはほぼ知らなくて、Lee "Scratch" PerryとかDesmond Dekker, Jimmy Cliff, The Maytalsあたりから知ってるかんじになるのだが、そういうのよりおもしろいのは週末に向かう酔っ払いのための音楽として白人の子達を取りこんで、ちと洒落たRudeboyの音楽としてでっかくなっていった、という辺り。この辺て、パブロックがパンクの下地を作っていったのと同じような流れを感じる。酔っ払いの憂さ晴らし、週末に向けたひと暴れのためのBGMがこれら「革命」の音楽を準備していったって、なんかね、金曜の昼からパブでうだうだしているロンドンの人達を見ると納得するし、いいなって。 ああいうのを見ると生産性を巡る議論なんてブロイラーの鶏(鶏ごめん)のための妄想だわくそったれ、って改めて思う。
60年代にジャマイカから渡ってきたスカ、レゲエ、70年代にNYから飛び火してきたパンク、これら外からやって来た音楽が英国でどうやって内在化 - 肉化していったのか。 ダンスでよってたかってフロアを踏み鳴らす、っていうのはあったんだろうなー。パンクがレゲエやダブにくっついていったのも、まず音としてかっこよかった、ていうのもあるのだろうが、辺境コミュニティの芯を貫いて鳴るその強さと太さと雑多さ、ていうのもあったのではないか。
そこのところ - 音楽が流行り歌からぶっとい本流に練りあがっていくところ – って、音楽メディアが7inch – 12inch – CDを経て、ヴァイナルとストリーミングにまで来た今もあまり変わっていないのではないかしら。むしろストリーミングでいろんな音を簡単に摂取できる今の方がそれらの流れをより俯瞰しやすくなっていて、こういう音楽ドキュメンタリーが沢山作られるようになったのもその辺の事情と関係あったりするのかしら。
関係ないけどむかーし、”Rude Boy” (1980)っていうThe Clashが出てくるドキュメンタリーとフィクション半々みたいな映画があったのだが、あれ、今みたらどんな印象もつだろうか? 当時見たときはさあ…
11.10.2018
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