11.27.2018

[film] Suspiria (2018)

21日の水曜日の晩、CurzonのSOHOで見ました。

これもダンス・ホラー、というよりは1977年のDario Argentoの、あの鮮血のなんとか、のリメイクということで、怖いけどがんばって見てみよう、って行った。 昨年Dario Argentoのトーク付きの”Suspiria”上映会に行ったときも、今作についてはいろいろ聞かれるのでアドバイスしている、がんばっているようじゃの、って言っていたし。
見たかんじではオリジナルより数段いろいろ練りこまれたものすごいやつだった。 オリジナルから40年たって、魔物たちも程よく腐ってきたんだか発酵したんだか。

6 Acts + epilogueからなる152分びっちり。
77年、寒そうで天気のよくない秋のベルリン、RAFによるLufthansa機のハイジャック事件だのがラジオから流れてくる暗く荒んだ時世、何かに怯えて挙動がおかしくなっているPatricia (Chloë Grace Moretz)が精神科医のDr. Josef Klemperer (Lutz Ebersdorf) のところにやってきて、所持品を残して消えてしまう。同じ頃、アメリカ人(from Ohio)のSusie (Dakota Johnson)がダンスシアターを訪れて、Madame Blanc (Tilda Swinton)によるオーディションを受けてシアターの一員となりそこの寮で暮らし始める。ダンサーのOlgaはMadame Blancとぶつかって追い出されて、Susieがその後を継いで(そしてOlgaは…)。

他にアメリカと思われるだだっ広い農地の一軒家で死にそうな形相の女性がいたり、Dr. KlempererがPatriciaの残していった冊子の書き込みから何が起こっているのかを探り始めたり、東ドイツ側を訪問したり、シアターの代表人の選挙とか、いくつかのエピソードが並行していって、最後はSusieがリードに選ばれた演目”Volk” - 40年代に作られた作品のお披露目の日がきて、そこにはDr. Klempererもやってきて。

こわくないところを並べてみるとこんなふうで、あとはダンスシアターのからくり屋敷みたいな建物の内部で起こる禍々しいあれこれ、そこを支配している魔女みたいな(魔女なんだけど)女性たちと生徒たちのあれこれ、その中でMadame Blancに認められてのし上がっていくSusieのお話しとが重なって、あの時代のベルリンで、ダンス(Tanz)を軸に展開される集団劇として、それがぐしゃぐしゃのホラーに向かっていくしかないような暗黒の設定ができあがっている。

それはLuca Guadagnino が前作“Call Me by Your Name”で、80年代のイタリアの田舎の陽の下、古代彫刻や音楽を愛するブルジョワジーの家庭に彫刻みたいな身体のアメリカ人の男が現れたらあんなのふつうに起こることよね、というふうに描かれていたのにも似ている。 今度のはあれ以上に周到に過去も含めた情景がこまこま厚く深く描きこまれていて、なんかすごい。一冊本を書けそうなくらい。

ダンス(コレオグラフ: Damien Jalet)のところはコスチュームも含めて誰のマネだパクリだが既にいっぱい出ているようだが、ダンスの元なんて胴体ひとつに手足4本、頭と首しかないんだからパクリもくそもないじゃろ、とか思うもののMartha Graham, Mary Wigman, Pina Bausch, Sasha Waltzといった女性コレオグラファーの名前は簡単に出てくるし、演目の”Volk”からはLeni Riefenstahlの名前も浮かぶし、”Climax”にあったような何かに酔っぱらった集団の狂熱、みたいのもあると思うし。一番近いと思ったのはMadame Blancが所属していたというMartha Grahamかなあ。 Pina Bausch以降だとダンスを異化したりメタしたりする要素が入ってくるのでちょっと違うかんじがする。

77年のオリジナルのが即物的で血の色とかも含めて目で見てわかりやすい怖さがいっぱい、今回の方がダンスの身体とかフィジカルなとこにフォーカスしているのに観念的で頭をいっぱい使わせて、あとから怖さじんわり、ていうのはおもしろい。

映画だと冷戦時代のドイツの根っこ、のような観点からR.W. Fassbinder的なものは掘ればいっぱい出てきそう - 単に変な動きをする変な顔のひとたちが横並び、というだけでも、All Female Castの”The Bitter Tears of Petra von Kant” (1972)とか。(Fassbinderとの交流についてはDario Argentoも語っていた)
最近のホラーだと、”Hereditary” (2018)の宙に浮いて遠隔で飛んでくるやつもあると思った。

美術だとFrancesca Woodmanの他にいくらでも出てきそう。

これらはみな女性がその中心にいて、それってなぜ、どういうことなのか、というのが最後の方で明らかになると、そのエピソードはものすごく悲しくて辛くて、見ている間は怖さではらはらがたがたしていて泣くどころじゃなかったのだが、できればもう一回みてきちんと泣きたいところかも。

Tilda Swintonさんは”Orlando” (1992)のあたりから得意とする転生、転移、変態の(時代)劇で、こういうのを演じるときの石鹸とか大理石みたいな輝きと安定感ときたらものすごい。 他方でDakota Johnsonさんの(現代の女の子の)顔はどうかしら? これはこれで、なのかなあ。

Thom Yorke氏の音楽は、RadioheadでThe Merce Cunningham Dance Companyの伴奏(Sigur Rosとの共演、2003年のBAM)をやったこともあるくらいなので、一昔前(ここがポイント)のモダンとの相性はとてもよい。台詞の少ないドラマなので、サイレントにして音楽のみで、というのがあってもおかしくないかも。むしろそっちの方が盛りあがるかも。

これも3部作になるのだろうか。この調子で魔女みんなに付きあっていたら体がもたない。べつに戦うつもりないし勝てないし。

あと、こないだの“Widows”にもあったけど、針で中途半端にぐさぐさ突いたり、鉤爪で引っかけたりとかって、魚じゃないんだからやめてほしい。

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