10日の日曜日の午後、CurzonのSOHOで見ました。
Lynne Ramsayの新作。 予告編で上半身裸のJoaquin Phoenixが鏡に向かってにーってやるところだけで十分おっかなくて助けて、になるのだった。
Joe (Joaquin Phoenix)は湾岸とかに従軍していた元兵士で元FBI AgentでPTSDで苦しんでいて(これらは頻繁なフラッシュバックでそうらしい、ということがわかる程度)、今は誘拐されて虐待されたりしている子供の救出(闇の現金商売、当然手段を択ばない)をやっているようで、冒頭でひと仕事終えて自宅に戻ると、病気の母がいて細目に介護をしていたりする。
次の仕事の依頼は週末から戻ってこなくなった政治家の娘を救いだしてほしいというやつで、映画の前半はこれの綿密な準備(サウナとか)と実行で、実行のほうは銃ではなくて原始人みたいにハンマーでぼこぼこにしたりするやつで、ちっともスマートではなくて震えあがるしかないの。 廊下のつきあたりにハンマーもったJoaquinが立っているの見ただけでもうおれは死ぬ、って思うよね。
で、その救出はなんとかやれたのだが、やはり相当にきな臭い案件だったらしく、彼の雇い主とかみんな殺されていってやがて母にも手が及んで…
筋の流れはシンプルで、誰もが”Taxi Driver”をイメージするかもしれないが、Joeはあそこまで明確に狂ってはいない(どちらかというと苦しんでいる)仕事人で、親の面倒もちゃんと見ているし、でも、だから恐ろしいったらないの。そして、恐ろしいのは彼の頭のなかにある狂気だけでは勿論なくて、ここで描かれるような子供の虐待が平気で行われている今の世界のこと、でもある。
Joeが救出する女の子が常におまじないのようにカウントダウンを唱えているところがずっと残って、タイトルの”You Were Never Really Here”は、誰が誰に言っていることなのかを考えると胸が痛くなる。あなたはここにいるべきじゃなかった - そんな「あなた」とか「ここ」とかが世界中に多すぎる。
では、あなたはいるべき場所は、あなたにここにいてほしい、という場所はいったいどこに?
そして、NYの外れ(Brooklyn? Queens?)のアパートの萎びたかんじ、そこに遠くから聞こえてくる甘いポップスと最後に出てくる郊外の豪邸の澱んだかんじの対比、それらを突き崩して包みこむ水と下降(浮かないで沈む)のイメージ。これらの連鎖がとめどなくいろんなことを想起させてくるのだが、唐突に鳴る音と音楽が強烈に揺さぶってくるので常に考えは中断させられて、それはそれで別の不快、不安、恐怖を呼びこんでくる。そしてそもそも、これら一連の出来事は誰かが誰かの快楽を満たすために始めたことなのだ、という気持ちの悪さも。
音楽は誰かと思ったらJonny Greenwood。”Phantom Thread”とこれの音楽作家が同じなんて信じられない、というくらいに違っていて、なんか器用貧乏さん手前かも。
Joaquin Phoenixのぶにょぶにょした、傷だらけの熊みたいな体躯の言いようのない迫力についてはめろめろにされた人々がそれぞれいろんなふうに語るであろう。
Adam Driver氏がこの領域に到達するにはまだ時間がかかる気がする。
こわいけど見た方がいい。血がどばどば出るやつでもないからそういうの苦手なひとでもだいじょうぶ。
でもハンマーがだめなひとはやめといたほうがいいかも。
3.16.2018
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