22日の木曜日の晩、CurzonのVictoriaで見ました。 もう終わっちゃいそうだったし。
現代のモスクワで病気の母を抱えながらDominika (Jennifer Lawrence) はバレエ団で踊っているのだが、舞台の上で相手の男に脚をへし折られて輝けるキャリアは潰されて、これから母をどうしよう、になっていたところに叔父で諜報局にいるIvan (Matthias Schoenaerts)がスパイみたいなことをやってみないかと言われるままにホテルに行ったらレイプされかけて、そういうのを通して彼女は使えると踏んだ叔父は地の果ての養成施設に彼女を送りこんで、そこには女衒みたいなCharlotte Ramplingがいてターゲットの誘惑の仕方からなにから厳しい訓練を通り抜けてDominikaは”Sparrow”ていうコードネームのロシアスパイになる。
Sparrowは、前にモスクワで怪しい動きをしていて、今はブタペストにいるCIAのエージェントNate (Joel Edgerton) に接触して情報を引きだすように指示されて現地に飛ぶのだが、CIA側でも彼女は使える、となんでか思っていて、彼女はこんなふうに縛られてばかりのロシアなんてもう嫌、でアメリカが助けてくれるのであれば、とNateに近寄って仲良くなってCIAのダブルとして動こうとするのだが、当然その様子も当局からはモニターされているので、いろんなのがいっぱい降ってきて大変なの。
モスクワ側の思惑、CIA側の思惑、Dominikaの思惑、それぞれがそれぞれで勝手にとぐろを巻いて情念と共に燃えあがってて、更に最後のほうに登場するモグラ(途中でわかっちゃうけどね、なんとなく)とか、いろいろ錯綜してて結局がんじがらめな様子だけはわかって、それらが最後にぜんぶきれいにSweepされるのかというとそうはならないとこがなんともで、「姐さん、あんたはほんとにそれでええんか?」てなぜか関西弁とかで聞きたくなるようなー。
あとはみんなそれぞれに後ろめたいなんかを抱えているであろう男達がもう少し野蛮にドス黒くて陰険で非情だったらSparrowの怨みの紅が映えたのにねえ。みんな彼女に最初から負けてるのよね。負けているが故のみみっちいねちねち、に見えてしまうのは残念だった。個々のしがらみの群れと戦うゲーム大会ではなくて、絶対権力みたいのと戦う、そういうのにしてほしかった。
Dominikaだって、せっかくバレエからスパイに転向したのに訓練の成果を十分に見せることができていない気がする。
Charlotte Ramplingの仕込みはどこに? って思った。
監督は”Catching Fire”以降の”The Hunger Games”シリーズを撮ったFrancis Lawrenceで、あそこでやったみたいにJennifer Lawrenceにあらゆる試練と忍耐を与えて、立ちあがれ乗り越えるんだ、って言っているように思えてならないのだが、原作モノとは言え、まずはだらだら長時間になってしまう壁をなんとかしたら? 140分もたせるようなネタじゃないよね。
70年代の梶芽衣子とか杉本美樹がやったようなのを期待するのだけど、やっぱし難しいのかなあ? 難しいんだろうなー。 Jennifer Lawrenceが、ではなくて作れるひとがいないような。タランティーノだと3時間の物語にしちゃうし。でも欲しいのは物語じゃなくて、激しく綺麗な(だけの)花火なんだけど。
皮剥ぎマシーンてあんな面倒なの? じゃがいものピーラーじゃだめなの? とか少し思った。
もし続編やるのだったらAngelina Jolieと対決してほしいな。塩 vs. 雀
3.27.2018
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。