9日の土曜日の夕方、新宿で見ました。
ストーリーはシンプルで、部屋で長いこと監禁されているらしい母Ma (Brie Larson)とそこで生まれて外に出ないまま5歳になった息子Jack (Jacob Tremblay)がなんとかそこから抜け出して家族の元に戻って、ああ世界って … になるの。 事件そのものの異様さや悲惨さについてはあまり触れられない。
登場人物も少なくて、監禁した悪いやつ - Old Nickを除けば、MaとJackとふたりを受け入れた家族と、の心の葛藤すり切れすれ違いあれこれも、どれもわかりやすくきっちりと、ドラマとしての想定の枠を外れてなにかが起こるようなことはあまりない。
だからここは俳優さんの演技がすべて、のようなところがあって、その意味で自身の葛藤だのなんだのできりきりしつつも私が守らなくてどうする、の気概で歯をくいしばるBrie Larsonさんは”Short Term 12” (2013) に続いて見事というほかなくて、あとは離れて暮らしているMaの実父のWilliam H. Macyの居場所も含めて複雑すぎるが故に滲みでてしまう苦悶の表情とか。
そんななか、唯一わからなくて見えないのがあの箱部屋とMaだけを「世界」として育ってしまったJackが移動する車の荷台から切れ目境目なく広がる圧倒的な空を見あげて(あのシーン、なんか好き)から先、屋根や壁がなくなった後の「世界」が彼の知覚にどう作用して、それにどう応えるのか、というあたりで、おそらく過去の発達心理学の事例症例も参照しているのだろうが、Jackの世界と魂のありようは誰にもわかるわけがなくて、それとMaの目線 - 彼のことをわかっているのはわたしだけ - とそれ以外の目線 - だいじょうぶかしら早く周囲に適応させないと - との交錯や摩擦がどんなふうにJackの屋根とか覆いを剥がしていくのかとっぱらうのか、あるいは取り上げてしまうのか、それが起こったときJackはどうなってしまうのか、とか。
Maにとって忌まわしくおぞましい記憶であり事物でしかない納屋も、Jackにとっては温かいゆりかごでありベビーカーであり守ってくれるなにかで、ふたりが納屋を再訪するラストはとてもスリリングで、ふたりのぎりぎりした攻防が目に見えるようだった。 ふたりとも必死で何かから遠ざかることと何かに近寄って頬ずりすることを同時にやろうとして同じところをぐるぐるえんえん回っていて、それが”Room”というもので、この映画の中心はここ - あの納屋にあった。
で、そういう”Room”っていうのは広いのでも狭いのでも、おそらく誰にでもある/あったもので(あんなふうにバイバイしたよね)、この映画が感動を煽ろうとする割に、ふつーに見えてしまうのはその辺もあったのかもしれない。
音楽(空が迫ってくるときのとか)は悪くなかったけど、音響はもうちょっとがんばってもよかったかもしれない。 圧倒的な音のドラマとして鼓膜を震わせることだってできたはず。
4.29.2016
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