4.29.2016

[film] The Decline of Western Civilization Part III (1998)

8日の金曜日の晩、新宿の最終上映になんとかまにあった。
Part I (1981) も Part II: The Metal Years (1988)も見れなくて、最後の最後でなんとか。
“The Metal Years”は昔に見ていた気がしていたが、”Metal: A Headbanger's Journey” (2005)と混同していた。
すまん。

81年のPart Iで描かれたLA Punksの約20年後を描いたものとなるはず、だったのが、メルローズ近辺のGutter Punksの若者たちを撮り始めたら止まらなくなってしまった。というわけで特定の音楽スタイルやバンドの成り立ちやミュージシャンの世界観を追ったものにはなっていないの。

バンドはモッシュのバックグラウンドとして出てくる程度 -  Final ConflictとかLitmus GreenとかNaked Aggressionとか、コメントするのもKeith MorrisとかFleaとかその程度で、とっても地味で、でもおもしろかった。

Gutter Punksていうのは自らをPunkだ、ていうホームレスの若者たちで、無一文なので町で物乞いしたりしながら一緒に廃屋とかビルとかをねぐらにしながら風の向くまま気の向くままでふらふらしている。(極右のスキンヘッズとは映画のなかでも明確に線引きされている)

映画は彼らへのインタビューを通して、なんでそういう生活をしているのか、なんでそうなっちゃったのか - 家族から虐待されたり友達いなかったり除け者にされて居場所がなくなって - を追うのだが、外見はぼろぼろの彼らに寄り添って言葉を引き出す、コミュニティを描きだすかんじがとてもよくて、生活の糧として音楽をやっているミュージシャンの言葉よりもそもそもの生活が空っぽな彼らのほうがよっぽどPunkのその後と現在、を正しく伝えているかんじがした。 映画の終りでは彼らのひとりがボヤで焼死しちゃったりするのだが、そういうところも含めて。

わたしはDon Letts師が”Punk: Attitude” (2005)あたりで定義したようなPunkとしてずっと生きてきて、革ジャンもないしピアスもしてないし髪の毛逆立ててもいないけど、でもきほんは”No Future”で”Pretty Vacant”で、社会も組織も国もGivenなものに異議と疑義と中指の立てまくりけつまくりで、でもやっぱしここまで行かないといけないのだろうか、とか。 でも集団生活はむりだわ、とか。

どっかの道端で彼らを見かけたりしたら、かっこばっかしのエセパンクやろう! とか思っちゃうんだろうなー。  この映画が撮られてから20年経って、彼らはいまどこでなにしているのだろう。 元気で笑っていてほしい。

あと、タイトルの”The Decline”て、誰が誰に言っているのか、っていうこと。

監督のPenelope Spheerisさんて、”Wayne's World” (1992)と”Black Sheep” (1996)のひとなのね。
(途端に親近感が)

映画の日本語サイトにある「伝説」ていうとこの日本語が、ところどころたまんなくおかしい。

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