2日の午後のお仕事が終わって、みんな寒いし、着いたばかりで眠いよね? と勝手にまるめこんで早めにご飯を取って散らして、そのあとで町に出て、みました。
MOMAの映画部門でこの日から始まった"Carte Blanche: Women’s Film Preservation Fund?Women Writing the Language of Cinema"ていう特集で上映された。
Women’s Film Preservation Fund (WFPF)ていうのは、映画における、映画産業における女性の分化的価値向上に貢献すべくそれに関わる映画資産の保護保全継承うんたら... という団体でその設立20周年を記念して古今のいろんな「女性」映画を上映する、というもの。 よい特集よね。
http://www.moma.org/visit/calendar/films/1551
最初にWFPFの会長の挨拶があって、続いて今日の"Desperately Seeking Susan"の監督 - Susan Seidelmanの挨拶もある。 Susanさんは、前にBAMから自分がインディー時代に撮った"Smithereens" (1982)のフィルムを貸してほしい、て言われて自宅のクロゼットの奥に押し込んであったフィルム缶を開けてみたらピクルスみたいになっててびっくりしちゃってさあー、ていうおばさんトークから始まり、要するにフィルムの保存てだいじよねー、ということなのだった。
"Desperately Seeking Susan"については、2010年9月、Lincoln Centerで開催されたこれの25周年Reunion & 記念上映会のとき、わたしはたまたまNYにいてキャンセル待ちの列に1時間並んで最前列かぶりつきで見て、それはそれは楽しく幸せなReunionだった。 製作スタッフの殆どが女性で初めて成功した商業映画 - 製作中にマドンナがブレークした、というのはあったにせよ - でもあり、作った人たちみんながこの作品をとっても愛していたことがようくわかって、ああ自分が愛した映画は正解だったんだわ、としみじみした。 で、今回は30周年である、と...
監督が他に語っていたのは、俳優さんがみんな若くて新鮮でやるきいっぱいだった、と。
Rosanna Arquetteはまだ"Baby It's You" (1983)に出ていた程度、Aidan QuinnもJohn Turturroもまだ端役でしかなかった時代で、MadonnaとSt. Marks Pl.でふつーにロケしてても誰も見向きもしなかったのに、それが撮影が終わるころには見事なスターになっちゃっていた、と。
あとは当時のNYのアンダーグラウンドシーンがほぼまるごと。 Richard Hell, Richard Edson, John Lurie, Arto Lindsay, Rockets Redglareにー。 Susanが担いでいた丸いバッグに絵を描いたのはKeith Haringで、バッグはいまも消息不明で、見つけたら数億かも、ていうのは前のトークで言われていたことだったが、映画のなかに出てくる車にも同じ模様があるのを見つけた。車と鞄セットだったらおいくら…
映画のはなしは、いいよね。 公開時、嬉しくて楽しくていちんち映画館にいた。(上映前に”Material Girl”のPVが上映されてた)
最強の女の子映画で、NY映画で、ソーシャルネットワーク映画で、はらはらどきどきで爽快で。
40周年上映のときにも来るからね。
あと、本編の上映前にAlice Guy-Blacheの14分の短編 - ”Matrimony's Speed Limit” (1913) も上映された。 かつてオーディトリウム渋谷でも特集上映が組まれた女性監督の。
御婦人が自分の資金援助を受けようとしない男に対して、正午前に結婚しないと伯母の財産相続はないんだからね、て吹きこんだら、そいつは大慌てで相手を探し始めて、それを御婦人が追っかける、ていうこれもDesperately Seekingな物語で、おもしろかった。
これだけのためにピアノ弾きのおじさんが現れてがーっと弾いてさーっと消えて、かっこいかった。
2.12.2015
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