NYのにもどる。
5日の木曜日の晩、しぬほどつまんない事情で会議室に缶詰にされてリリースされたのが8時過ぎ、ものすごく殺伐としてしまったので少しでも和まねば明日はない、ということで9時くらいにUnion SquareのRegalで見ました。
もちろん、頭のなかで事前の審議・激論はたっぷりあって延々悩んでいた。
なんであのPaddingtonを実写にする必要があるのか? くまのPoohを、いぬのSnoopyを、実写で見たい奴なんているだろうか? 実写熊ならあのくだんない”Ted”でじゅうぶんではないか? などなど。
特に熊が耳掘り歯磨きする予告を見たとき、その不安は頂点に達して、これはやっぱしちがう、見るべきではないのではないか、とおもった。
世界中の熊ファンも同じことを思っているに決まってるし。でもそうやって悩んでいたらNew York Magazineかなんかは「あんま悪くなくてびっくり」とか言っていたりして、結局負けた。どっちみち見るんだろ。見たいんだろ。熊を。
ペルーの山奥で育った子熊が、おじさんを失い、おばさんに別れを告げて船でロンドンに渡り、Brown家と出会ってPaddingtonと名付けられ、家族の一員となる。 それだけ、なんだけど。
ものすごく愛嬌たっぷりでかわいい熊でも、嫌味臭み存在感たっぷりの熊でもない。
ごくふつうに英国だいすきで、そこに流れてきてしまった熊が家族を見つけて英国熊になる、それだけでほっこりするのは、相手が熊だからか。
ピタゴラスイッチに”Home Alone”の世界、そしてHarry Potterシリーズに見られた、ありえないはずの魑魅魍魎をごく普通に紅茶ワールドに溶かしこんで落ち着かせてしまう魔法があって、そこから家族は大切なんだしそこにやってきた熊も大切なんだよね、というごくごくあたりまえのとこにすとんと落ちて、なんの違和感もなくて、(自分でもびっくりしたのだが)じーんとしてしまったりもするの。 青のダッフルに赤のペルー帽をかぶった熊がいる家族の風景がいいなあ素敵だなあ、と思えてしまったのだから、この映画は当たり、なんだと思った。 家族ばんざいとか絆が肝心とか騒ぐこともなくて、なにひとつ過剰なところはないの。熊以外は。
あとは悪剥製屋となってPaddingtonを追いまわすNicole Kidmanが久々にNicole全開で楽しそうなので、よいの。 彼女独特の吐き出すような呻きが聞けるのがたまんない。
Paddingtonの声、当初アナウンスされていたColin Firthから替わったBen Whishawはとても繊細に孤独な熊の吐息と(英国)英語を伝えていて、こんなの吹き替えなんてありえないんだから、ね。
ラストに流れるGwen Stefani & Pharrell Williamsの主題歌もよくてー。
あ、でもPaddingtonはじゅうぶんに幸せになったのだから無理にシリーズ化とかしなくていいのよ。
とにかくご機嫌なおった。こんなのばっかし。
2.15.2015
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