NYのをちょこっと中断してライブのを。
13日の金曜日、渋谷で当日券で見ました。 前座が終ったところで中にはいった。
Swansを逃し、NYでもライブに行けず、スニッカーズを食べてない泉ピン子みたいになっていた。
ご機嫌なおった。 いじょう。
ドラムスとベースが入った3人編成。
ブルース、ガレージ、グランジ、それらを通過した音、などなど、いろんな言い方はできるだろうが、とりあえず、アメリカの道端で鳴っているような音、といおう。(ジャケットアートにはAlan Lomaxの写真が使われている) ストリート、というとかっこつけすぎのごくふつうの道端の。
缶からでも段ボールでも、そこらに叩けるものがあったらなんでも叩き始めそうなつんのめりドラムスに、ぶっとい空気孔から風を送り続けるベース、ワイアーを束ねてじゃらじゃらエレキとジャンクをまぶして引っ掻かれるギター、豪放でも凶暴でもない、作為から遠く離れてまっすぐに耳を捕らえるギターノイズ。くっきりとした境界を持たないままある温度に湿度、光量でそこに流れこんでくる音の塊。 そしてそのやや擦れた、擦れて裂けた声帯を通過した複数の声が撚り合わされるかのように響く声。 こういうのが音の土管を伝って静脈にダイレクトに入ってくるかのようで、しみる。
エモーショナルでソウルフルな声とはちがう、捨て鉢のドラマチックな絶唱でもない、とりあえずKurt Cobainということもできるかもしれないが、Leadbellyくらいまで遡ってもよいかも。 ひとによっていろいろだろうけど、Tom Waits、ある時期のIggy Pop, PJ Harvey. などなどなど。
曲はキャッチーに飛びこんでくるタイプのではないが、よく聴けば3分間の玉手箱でChuck BerryにBo DiddleyにT.RexからBuzzcocksまで(あ、Nirvanaもね)、おっそろしく豊潤な男の子ロックンロールの歴史が一望できて、でも同時にすぐその場でくるくる踊れてしまう。
各曲の柔と剛、静と動の配置も絶妙で、でもどっちにしても音が鳴りだして5秒で、わあぁ、てなるはず。
あと、ブルースのひとからすればまったく別の眺望がうかがえるに違いない。
本編1時間きっかり、アンコール1回。 映画だと90分代に相当するパーフェクトな尺でした。
今年も、ひとつでも多くこういうライブに行けますようにー。(といいながらどんどん難しくなっているねえ)
2.14.2015
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