28日の日曜日、「白夜のタンゴ」の後、渋谷を横移動して見ました。 「毛皮のヴィーナス」
これもダンスの映画、と言えないこともないかも。
ザッヘル=マゾッホの”Venus im Pelz”をベースにしたDavid Ivesの戯曲"Venus in Fur”が原作。
原作の戯曲は読んでいない。
大雨嵐の夕方、オーディションに遅れてきたワンダ(Emmanuelle Seigner)が劇場に入ると演出家のトマ(Mathieu Amalric)しか残っていなくて、オーディションはもう終ったからと追い返そうとするのだが、折角来たんだからやってくれたっていいじゃん、てワンダは捩じこんできて勝手に着替えて照明をいじってトマを相手に演技を始めてしまう。
この日のオーディションにろくなのが来なかったり婚約者との約束があったりであれこれげんなり、居残りもうんざりだったのだが、しぶしぶ始めてみたらガラが悪いわりには本をきちんと読み込んでいるとしか思えないワンダに目を見張って、彼女のペースに - つまりは彼を劇中そのままに「奴隷」として扱うその眼差しや態度にずぶずぶとはまっていくの。
隔絶された空間、時間は夜に向かっていて、そのなかで演出家と(まだ採用されていない)女優の使役関係が、芝居のなかの主従関係にシーソーがばったりと倒れるように変容・反転していく。 それは誰かが仕向けたものなのか、芝居そのものの引力なのか、自らが望んだものなのか、それともワンダは神が仕わせた夢の女なのか、そんなことよりも、ふたりの一筋縄ではいかない一進一退の、芝居と現実が混淆となったやりとりと、それがわかっちゃいる方角にじりじりと向かっていくアンストッパブルの快楽、がなんだかとってもおもしろいの。 それは前作の “Carnage” (2011)(おとなのけんか)にもあったアパートでの小爆発にも似た絶妙さで気がつくと間に挟まれて固唾を呑んで見守るしかない。
んで、最後にふたりはダンスをするの。変な鳥のつがいみたいに。嵐の晩に。
虐められるにつれてだんだん虚ろに瞳孔が開いていくMathieu Amalricは「見て! 虐めて!」てずっと言っているし、Emmanuelle Seignerのおらおらのガラの悪さもたまんない方にはたまんないはず。(個人的にはもう少し冷たく締まったかんじのひとのがよかったけど) でもこのひとって、Polanskiの奥さんなのね。 やるねえ、Romanたら。
Alexandre Desplatさんの音楽もいつものように素敵で。
1.08.2015
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