1.31.2015

[art] 岡崎京子展 ー 戦場のガールズ・ライフ

25日日曜日の午前、世田谷文学館で見ました。
世田谷文学館、これまでなんども行こう行かねばと思いつつ、世田谷線~京王線の旅が面倒でこわくて不安で踏み出せなかったやつを、ついに。

岡崎京子さんのイラストを最初に見たのは雑誌「ポンプ」の頃(展示されていた号もよく憶えてる。実家にはまだ残ってるかしら)で、それは当時のどんなNWやポストパンクのアイコンと比べても圧倒的に女の子としてかっこよくて素敵でぼんくらはみんなぽーっとなるやつだった。  「彼女の描く女の子みたいな女の子」がいつかどこかに現れることを信じたぼんくらども - 「東京ガールズブラボー」の犬山のび太は自分だ、と思ったぼんくらども - でもそんなのどこにもいない -  は決して少なくないはず。 ツバキでも間違いなくすれ違っていたはずなのだが、当時の自分は誰とも目を合わせようとしない糞野郎だった(ツバキで憶えているのはかかっていた音楽だけ)ので勿論面識なんてなくて、漫画は「バージン」くらいまでしか読んでも買ってもいなくて、それってなんだったのか、というあたりを書いてみたい。

読むまでもないことだ、というのがあった。絶対安全剃刀で、彼女が描いているものに関してはきれいなものでもきたないものでもしょうもないものでも、そういうもんよね、という地続きの安心感が常にあって、そのくせ同時代/同世代的な共感、みたいなものを極度に嫌う傾向があった。 世代論を語ること、世代論の肥やしにしてしまうこと、そういうふうにして80年代を語ってしまうことへの嫌悪、というか、そういうのを語りだしたらにんげんおわりだ、みたいのが常にあった。
いくら80年代を(or 90年代を)よかったすばらしかったと言おうが、今がこんなにクズでさいてーならどうしようもないじゃん? とか。 80年代が今の世界のこのひどい腐れようと無関係だなんてぜったい言えない。

とにかく、けっか、岡崎京子を読むことでそういうサークルに括られてしまうことが嫌だったのだろう。「根拠レス」とか言いながらなーんで文化や時代の後ろ盾を共感だのつながりだのを求めるのよ、と。 寄りかかってんじゃないわよ。 そういうおしゃべりに加わるくらいなら、他に見るべきもの読むべきもの聴くべきもの、お勉強することは山ほどあって、歯向かうべき敵は確実にむこう側にいるじゃないか、と。

だから90年代以降に「みんな」とか「リアル」とかいう言葉でべちゃべちゃした囲い込みだの馴れ合いだのが始まったときはほーんとうんざりで、でも、そんななかでも、岡崎京子はだんぜん岡崎京子だった。(はずだ。読んでないけど)(「みなさん」「みんな」については展覧会カタログの小沢健二のテキストがおみごと - 「みなさん」に対峙する戦術として現れた最近のフェミニズム、とか)

その圧倒的な軽さと女の子っぽさ - “ザマアミロ” と ”ざけんじゃねえよ” - をもって、”言っちゃった”と”やっちゃった”の原理主義で、ケツをまくって駆け抜ける線のしなやかさとかっこよさを存分に堪能できる展示だった。
だからこその「戦場のガールズ・ライフ」であり「あたしは、あたしがつくったのよ」宣言なのだった。

時代が岡崎京子を作ったわけではないし、岡崎京子が時代を作ったわけではないの。
あたしをつくったあたしがいるとこ、その場所や時間をどう名付けようが、そんなのどうでもいい。
(だから「時代」に対置されがちな「日常」ていうのもあんまし、ね)
そして男どもは、どこまでいっても蠅のように汚くてうざくて、更にどうでもいい。

それにしても「新作」の、 “To Be Continued”の彼方に聞こえる高笑いの痛快さときたら。

音楽もがんがん流しとけばよかったのにな。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。