7日、日曜日の夕方、新宿で見ました。
93年、アーカンソー州で起こった"West Memphis Three"と呼ばれる3人の男児惨殺事件の実話を元にしたドラマ。
この事件については既にいろんなドキュメンタリーとか証言録とかが出ていて、この映画の原作もそういう実録本のうちのひとつで、今更これが真相だ、とか、見えなかった闇をえぐりだす、みたいな「濃い」ものにはなっていない。 事件の発生から20年経って、あれはなんだったんだろう、と全容の不可思議さを振り返ってみるかんじが強い。
93年、5月の午後から夕方にかけて、自転車に乗った3人の男の子が森の奥に行って、夜になっても帰ってこなくて、やがて両手両足を縛られた全裸の状態で沼の底から見つかる。 やがて黒ずくめのメタル聴きを筆頭とする10代の青年3人が捕まって、陪審員裁判が始まるのだが、検察 - 警察側の証言や証拠には怪しいところが沢山でてきて、でも3人は有罪(死刑1, 終身刑2)となる。 このへんは"West Memphis Three"で検索するといくらでも出てくる。
映画は、事件が起こってから突然現れた証人とか証言の唐突感、その感覚を引きずりつつやはり突然容疑者として特定されてしょっぴかれた3人の青年の困惑した姿を捉えつつ、やがてこれは現代の魔女狩りではないか、と感じ始めた弁護士側の調査員(Colin Firth)、事件で息子を失って悲嘆に暮れる母親(Reese Witherspoon)のふたりの目を通して決して一筋縄ではいかない事件の、審議の様相を表にだす。
なんであんな陰惨な事件が起こったのか、でも、なにが犯人をそうさせたのか、でも、これら不可解な事件の謎謎あれこれを無責任にばらまく、のでもなく、なんで警察は軽々と犯人を特定できたのか? - 特定するためにはなにが必要だったのか? みたいなところを、なぜ? なぜ? なぜ? と掘っていく。
平気な顔でその証拠は失くした、残っていない、とかいう警察、思考停止して連中は悪魔だ、しか言わない被害者の親たち、事件が発生した時間帯にレストランに現れてどこかに消えた血まみれの男、などなど、こんなふうで容疑者をあげられたことのほうが不思議だし、捜査の過程で恣意的な誘導が行われたとしか思えなくて、もちろん、この映画も逆向きの誘導である可能性もないとは言えないものの、未だにこれだけの疑義や検証モノが立ち上がってくるところを見ると、やっぱし変だよね、と誰もが思う。
映画は、そういうどん詰まり感と不寛容、無念さ、全体としてそれらを許容してしまう生ぬるく気持ちわるい湿気をこちらに吹かせてくる。
んでね、言うまでもなくこれは今の、アメリカだけではなく日本のお話でもあるの。Another Knot of Devils.
あんな法案が施行されてしまった以上、対岸の火事でもなんでもなくなるし、もうなくなっている。
そんな暴挙を、腐れたじじばばの傲慢を許してしまったのは、間違いなく自分たちのせいでもあるのだから、投票には行け。 この先は絶望か亡命かしかないのかもしれなくて、最後っ屁かも知れないけど、それでも。
93年というと、丁度NYで暮らし始めたばかりの頃で、この騒動があったことはよく憶えている。既に何度も繰り返された、なんでいっつもメタル聴きとかSlayerとかばかりが悪者にされてしまうのか? 論争のリプレイで、またかよ、と思いつつも文化ってなんなの? を考えるよい機会にはなる。 どうやってあの連中と戦うべきなのか、とかね。
12.13.2014
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。