12.27.2014

[film] 女に強くなる工夫の数々 (1963)

年末休みなのに風邪ひいた。

20日土曜日の昼間、京橋の千葉泰樹特集で2本続けて見ました。
ネオ・フェミニズム勃発の2014年、改めて胸に刻んでおくべき昭和ニッポンのサブリミナル男根映画。 いや、映画としてはとってもおもしろいんだけど、ね。

女給 (1955)

真面目な会社員の順子(杉葉子)は恋人との結婚を控えてお金を貯めなきゃいけないのだが、なかなか貯まんないし、一緒に暮らしている母(旧華族の栄華に埋もれてなんもしない)の面倒もみなきゃいけないので、銀座のバー「クエール」(... うずら?)で夜のバイトを始める。 始めはただのバイトだから、て割り切れると思っていたし、割り切ろうとするのだが、根がまじめでがんばりやさんなのでついはまりこんで抜けられなくなっていくわかりやすい転落の件と、同じバーで、夫に先立たれ、ぼろアパートで一人息子を育てながら美容学校に通ってがんばっている先輩ホステス(越路吹雪)の淡い恋のおはなしと。

順子はまじめな役人を落とすために上から枕営業(溝口の「祇園囃子」とおなじような)を強要され処女を失って人工妊娠中絶、婚約は破棄となって全てがおじゃん、そこまでしたのに相手が逮捕されて稼いだお金も没収、結局なんだったのよ!!(怒)、になり、越路吹雪は亡夫の戦友だった上原謙(妻子あり)と再会してよいかんじに盛りあがるのだが、こちらもお金絡みですべて立ち消えて、最後はみんなで大喧嘩してこんな店しね! て飛びだすのだが、結局別のお店で働いていくことになるラスト。

「女給なのに」涙を拭ってたくましく生きる女性たち、を描きたかったのかもしれないし、ドラマとしてよくできているとは思うものの、やっぱしこんなのを基層に置いて「できあがっている」世界 - 21世紀になってもぜんぜん変わっていないよね - には中指を突き立ててやるべきなんだ。 

女に強くなる工夫の数々 (1963)

七光電器の宣伝部に勤める宝田明とそこの専属モデルの司葉子は恋人同士で、そこの部長が加東大介で、彼らがスポンサーになったTV番組「男性飼育コンテスト」ていうのの一回目。 エントリーした夫婦のうち夫の方が料理、洗濯、アイロンがけを時間内で並行してどこまでできるか、の出来映えを競うゲームで、結果だめだめだった男性陣 - 高島忠夫(こいつが優勝)、フランキー堺、有島一郎、加東大介(欠員が出て強制参加) - が慰労会をやっているとどこからか突然植木等が現れて、各自の夫としての、男性としての問題点を神のようにてきぱき叱って指導して、ついでに置いてあったお酒もぜんぶ戴いてすーだらすちゃらか消えて一同唖然、だったのだが、そこで指導されたことを家庭で実践してみるとあーら不思議、いろんなことが当たっていたり改善されたりびっくりで、そういうのを横で見ていた宝田くんは今後のことを考えてしまうのだった。

んでも結局、無責任やろう植木等の提言は有効だったように見えて、そんなでもなかった - つまりは妻のがいちまい上手だったり、愛っていうのはどっちかの上に立つことで成り立つようなもんではないことに気づいたり(そこに巧みに誘導したのは女性のほう)、だったりするの。

ほのぼの平穏に終っているように見えるけど、これにしたって、男は女より強くなければならないのにそうなれないのは何故じゃ? ていうオトコの鬱憤憤懣から始まっているのは問題で、やっぱしこんなのを基層に置いてできあがっている世界には(... 以下同)。

それにしても植木等が圧倒的にすごい。 ここだけでもじゅうぶん見る価値あるわ。

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