6日の土曜日、京橋の千葉泰樹特集で見ました。 ひとつくらいは見ておきたくて。
Webの解説文によると「1939年、映画国策を提唱した代議士・岩瀬亮により南旺映画が設立され、その第1回作品として本作が製作された」ということで、国策、とかいわれると引いてしまうのだが、その「国策」の「第1回作品」という割にはなんかほんわか気の抜けたやつだった。
原作は新聞の夕刊に連載された尾崎士郎の同名小説。
馬込文士村と呼ばれた村に暮らしていた作家たち - 尾崎士郎本人の他に、宇野千代、川端康成、萩原朔太郎をモデルにした人物も出てくるらしい。 読んでみたいかも。
きれいな月夜の晩に5人くらいのべろんべろんの酔っ払いが与太話をしながら歩いて自分たちの村に帰ろうとしているようで、村長を呼び出せとか、誰それを呼べとか言って、みんなでわあわあ集まっておまえの文学はなってない、とか取っ組み合いしたりして、そこで名指しされた横川太助(千田是也)のところに怪しげな女が訪ねてきて、しばらく姿を消したと思って再会したら立派な格好してアジアのどっかにある安南国の独立運動に関わっていたとか言って、べらべら顛末をしゃべるのだが怪しくて、またどっか消えて、こんどは豪邸にみんなを招待して御馳走くれて、でも結局ぜーんぶ法螺なのよねー、ていう。
そういうのが起こってしまうのが馬込文士村で、時の経過と共に村は町へと大きくなって、各自もそれぞれ一見立派な人物になっているように見えて、でも肝心なところになると、法螺を言うほうも聞くほうもふらふら浮ついているので、すげえなあ、とか、あいつらしいよなあ、とかで終わってしまう。 誰も傷ついていないみたいだし、妄想のなかで遊んで幸せそうだからいいんじゃないの? くらいの。
でもさあ、なんのためにそこまでやるの? が最後まで引っかかってきて、結局「空想部落」なんだからいいのだ、とか断言されてしまいそうで、ぐだぐだになってしまうのだった。
やっぱし酔っぱらいにはかなわん、とか。
12.08.2014
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