2.01.2014

[film] Ender's Game (2013)

NYから戻った翌日の日曜日の夕方、眠気ざましに六本木で見ました。

原作を読んだのは何十年も昔で憶えてないくらいだったが、いっぱい賞を貰っているわりにはなんかシンプルなおはなしだねえ、て思ったのは憶えている。

米国でのレビューがめためただったので覚悟して見たけど、そーんなにひどくはなかったかも。
原作に思い入れしてた人たちがぶーぶーになった、ていうのは、なんとなくわかるけど。

選ばれし特別な子供であるエンダーが宇宙防衛軍に送りこまれて、過酷な訓練、敵上官、味方上官、すてきな仲間のガキ共等々に囲まれて成長し、模擬戦でめきめき実力をつけて、最終模擬戦で大勝利してバンザイしたら実はそれが実戦だったのよガーン、ていうふつーの戦争アクションものみたいな線と、いくら地球が襲われたからってむこうにはむこうの事情があったはずだし、相手が蟻だろうが蜂だろうがちゃんと対話して理解しようと思えばできたのではないか、てやっちゃってから反省する厭戦もの、みたいな線があって、このふたつの線は現実におけるそれと同じくまったく交わって噛みあうことはないはずなのに、でも映画のなかではすぐ目に涙を浮かべて佇んでしまうエンダーの姿のもと、なんとなくこのふたつが共存できてしまっている - なぜならそれはゲームの世界だからだもん、ていう、ひとによってはバカにすんじゃねえよ、な内容なのかもしれないねえ、といま書いてておもった。

前半の海軍でも空軍でもなんでもいいけど、ハードな軍事訓練のさまは、それを子供たちがやっている分、なんか変、のだが、そういう訓練の成果が実際の戦闘に効いてきているとは思えないのよね。 エンダーは両手をぶんぶんふりまわして複数のコンソールみながら、あれこれ指示するだけ、指示された子供たちも了解!とか言ってかちかちクリックしてるだけだし。 それを背後から大人たちがふんぞり返って偉そうに見ているだけなの。
こんな地球人たちなんて、やられちまえばいいんだ、て思った。

主題歌がThe Flaming Lips、ときいて、ひえー、だったが思っていたよかはまっていた。ユートピア/ディストピアと子供。 なるほどー

Harrison FordもViola Davisも、楽だっただろうなー。 軍服着てむずかしい顔してるだけで。

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