BAMの150周年、そしてNext Wave Festivalの30th Season記念としてリバイバルされたこの公演(BAMとしては1984, 1992のリバイバルに続くもの)。
Robert Wilsonと Philip Glassによるモダン・オペラ - というだけではなくその後のパフォーミングアートのコンセプトやスタイル全般に影響を与えた大作の一挙上演。 こんなのDVDとかで見たって寝てしまうに決まっている。
日曜日の3時の回が最終で、ここを逃したら次の機会がくるまでにしんじゃうかもしれないからなんとしても見たかったのだが、渡米前からチケットはLimited AvailabilityでCall Usのステイタスになっていて、だから毎日のように窓口に電話していたのだが、「売り切れだけど、こまめに電話くれればあるかもしれないから」と言われるばかりで、直前の木曜日まで来たところで今度は、開演前に来ればリターンされたのが手に入るかも、というのに変わった。 うそつき、と思いつつも並ぶしかないので当日の1時くらいから並んだ。 前方には10名ほど。
そのうち開場時間になって、それでもぜんぜん列がはける気配はなく、たまに$181のチケットがx枚あるけどいるひとー? とか声が掛かって(これはダフ屋さんではなくて正規のやつ。チケットが余ったから買わないと言ってくるひとのも横で全部買いあげていた。よいシステムよね)、手を挙げたひとから抜けていく。 そうするとだんだん金に糸目はつけねえ状態になってくるもので、次の$181が来たところで手を挙げて買ってしまった。 円高だし。 お手洗いに行って席(G列だった)についたところで3:03。 すばらしい。
席についた時点で既にはじまっていて、前方右前に2人の白塗り女性がロボットのようにオペレータのしぐさをしてて、その前方のピットのなかに10名程、やはり白塗り直立でコーラスとマイムをしているグループがいる。 音楽は静かでクリーンな電子音。 このパートが"Knee Play"という幕間劇で、全長4時間半、休憩なしのこのオペラのなかでこれは5回あって(それぞれバリエーションは異なる)、照明が少し明るくなるのでお手洗いに行きたいひとはこの時にいくようになっている。
"Knee Play"から最初の幕に突入する瞬間のエレクトロニクスの奔流がすさまじく、ここから全4幕、音の気持ちよさとかっこよさ、その底流で凶暴にのたくる闇の音響があって、とにかくすごい。
この音が76年(音楽の製作は75年)にデザインされていたのかと思うと、あきれる。 「オペラ」なんてラベル貼るから。饒舌なNeu! みたいなかんじ。
誰もが知っている著名人であるところのアインシュタインの生涯、幼少期、研究者生活、恋愛、結婚から離婚、などなどを世界文明(史)のランドスケープにマップしつつ、「浜辺」のアインシュタインが「世界」に遍在していった様を、「アインシュタイン」が「あなた」や「彼・彼女」でもありうるような個人の成型の過程を提示しようとする。
ある時間の、ある空間の乗り物に乗ってトンネルとかレールの上で旅を続ける我々のありよう(時空に関する認識のありよう)を、ある部分ひっくり返した相対性理論の登場、それはやがて核の恐怖と脅威を世界にもたらすことになる。 乗り物生活そのものはあんま変わらないのに、なんでこんなことになってしまったのか。 それは浜辺でヴァイオリンを弾いている白髪のアインシュタインがやったことなの?
ライティング、反復される詩的なフレーズ(by Christopher Knowles)、コーラス、ダンス、マイム的な動き、表情等、いろんな記号に溢れていて(70年代の香り)、故に極めて抽象度の高い舞台ではあるのだが、ぜんぜん退屈はしなかった。
むしろ後半に向かうにつれて渦に巻きこまれるようになっていって、特に第4幕の電飾グリッド内でオペレーターが動まわり(楽器奏者もグリッド内で演奏する)、その縦横軸上で時計を抱えたひととコンパスを抱えたひとが流れていく、そのスペクタクルときたら半端ではないの。
4時間半あっというま。 お手洗いに行く気にもならず。
できれば、もう一回見てきちんと反芻したいのだが、もう終わってしまったのだった。
今回のこの舞台は世界ツアーをしていくようで、最後は2013年の香港、そこを狙うかー。
次は"The Civil Wars" (1984)をなんとしても。
9.27.2012
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