4日の水曜日は、早起きしてイタリア映画祭で1本だけ。
『もう一度キスを』。はいはい。 何度でもキスしてろや。
オッソ・ブーコのあとで猪のローストがごろごろ出てくるようなかんじ。
『最後のキス』から10年後、連中はどうなっていたのか。
30を前にした「いまやっておかないと」という焦りは、はっきりと「こんなはずじゃなかった、はず」というアラフォー男の別の焦りに置き換えられ、追加トッピングで老いだの病気だの、いろんなものが乗っかってくる。 煩悩の種は尽きまじ。 うん、そんなもんよ。
カルロとジュリアは離婚手続き中で、カルロは家を出て恋人のアンナ(20代)と暮らしている。娘とは送り迎えの時くらいしか会えない。ジュリアは売れない俳優と娘と3人で幸せそう、なかんじ。 一見みんな幸せになっているふう、なのにちがう。 ちがうんだ、波風立てたいんだ、という。
結婚して10年のマルコとヴェロニカもうまくいっていない。ヴェロニカは外出してばかりで、子供ができないのが気にくわないもよう。
アドリアーノはぼろぼろかすかすの前科者になってひとりイタリアに戻ってくる。残してきた妻と男の子は、相手にするわけなくて、元妻はパウロと付き合っているがパウロは相変わらず不安定で抗鬱剤とか飲んでて、だから一緒に暮らす許可は貰えてなくて、それで更に荒れてしまうのね。
アルベルトだけはあんまし変わらず、永遠の愛を求めて次から次へと女の子をひっかけまくっている。 あんたはえらい。
ジュリアのパパとママが出てこなかったのがちょっと寂しかった。
こういう出だしで、前作と同じようにあれこれこまこまぐしゃぐしゃ転がっていくのだが、やはりカルロとジュリアのやりとり(修羅場)が一番おもしろい。
情念ベースのわかるわかんないのじとじとした喧嘩ではなくて、とにかくどんな糞玉でもいいから相手に投げ返して、キャッチボールはする。とりあえず。
で、我慢できなくなるとドアをばん、て閉める、或いは電話を一方的に切る。
カルロとジュリアだけでなくて、みんなそればっかり繰り返している。
前作は、彼女の妊娠や赤ん坊の登場によって30男達が、もう俺の人生は終わりだ、て右往左往する話だった。
今作は、引き続き右往左往し続ける40男達が、「妊娠したの」の一言でトドメを刺されて、とりあえずおとなしくなる、そういうお話。でもあるの。
あとはパウロのとこで働き始めたアドリアーノに彼女ができるのだが、それがValeria Bruni Tedeschiさんで、ふーん、とか。
今回、新しくうまれるのが2、なくなるのが1、多少の出入りはあるが、とにかくそれぞれの人生は続いていく、その総括も際限もないばらばらアンサンブルはなんとかうまくまるく描かれてはいるのだが、カルロは最後のほうで、「いまがいちばんいい時」で「できないことなんてなにもない」みたいなことを言うんだよ。
観客ほぼ全員、あんたがいうことなんてだれが信じるかー、ってでっかいとんかち振りかざして突っこむよね。
更に「ひとは根無し草では生きられない」とかいうの。
しかしその直後に、たったひとりでブラジルの大地に降りたつアルベルトの姿が。
がんばれアルベルト、君こそが最後の希望だ、ってやっぱし全員が拳をつくって強く強くおもうはず。 このへんのセンス、すきだなー。
10年後は、「キスがとまらない」か「なんでもいいからキス」かなあ。
5.07.2011
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。