JFKなう。 車に酔って、でもお腹へって、ねむい。
3日の2本目は、IFC CenterからHoustonを横移動して、"Rabbit Hole"を見る。
”Hedwig”のJohn Cameron MitchellがNicole Kidmanを主演に据えて、こんな普通のホームドラマ撮ってるよ、と世界の片隅で話題になっていたやつ。
これは元々舞台でやっていたやつで、David Lindsay-Abaire原作の台本を読んだNicoleが気に入って映画化権を買って、で、監督に彼を指名した、というものらしい。
ごくごく普通の幸せな家族だったのに一人息子を突然の事故で失ってから夫婦の仲が壊れはじめて、妻のほうは事故を起こした若者と会うようになって、さて。
あらすじだけだと成瀬の『乱れ雲』のようなかんじかと思っていたらちがった。
あれにあったような地獄に道連れ系の刹那は、あんましない。
Nicoleの、おうちでお菓子焼いたリ、はっぱ植えたりといったごく普通の主婦っぷりと、そうしているうちにだんだん不安とか焦りとかで不細工になっていって、更に不機嫌が加速していく、そのリアルなとこはやっぱしうまいなあ、って。
Nicloeって、女王様演技もできるけど、こういうぶうたれた顔も素敵なのよね。
特にグループのセッションセラピーにいって、めそめそしている他の夫婦に毒づくところとか、すごいわ。
加害者、というよりは誤って事故を起こしてしまった若者はごく普通の高校生で、最初はお互い当然すごくぎこちないものの、いろいろ話をして、彼の借りている本 - Parallel universeのとかを読んだりしているうちに、だんだん安らぎを覚えるようになってくる。
"Rabbit Hole"ていうのは、その若者が自分のスケッチブックに描いているコミックで、失踪した父親を追っていろんな兎穴に入っていくお話、これもParallel universeに関連しているテーマで、ひょっとしたら別のかたちでありえたかもしれない生活とか人生とか、そこでは幸せに暮らしている家族だったり、場合によってはひとりいなくなっていたり、そういうのを示唆しているの。
例えばこないだ見た"Blue Valentine"は、そういうパラレルにありえたかもしれないなにか、を一切想定したりしないところで、愛はどこまでいく or どこまで壊れる ことができるのか、というある種の極限状態を描いていたのだが、こっちはそうではない。 そうではないなにか、その可能性を示すことで変えられるかもしれないなにか、を示す。
兎穴を掘るのは誰か、それを探すのは誰か、というのはあるにせよ。
でも、例えば、舞台の上で語られるParallel universeと映画のなかで語られるParallel universeって、おなじものだろうか別のものだろうか、ひょっとしたら別のものなのかなあ、ってすこし。
夫役のAaron EckhartもNicoleの母役のDianne Wiestも、脇がすばらしくよくて、ドラマとしてはほんとによくできているとおもった。
音楽はむかしSuzanne VegaのバックにいたAnton Sankoさん。
こっちの予告では、Broken Bellsの"The High Road"ががんがん流れるのですが、映画のなかでは流れなかった。
残りのいっぽんは日本戻ってから。(かえりたくないよう)
では、飛行機のほうに。
1.05.2011
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。