1.03.2011

[film] Bonjour Tristesse (1958)

まだ30日の続き。

Cluny Brownを見たあとで、一旦部屋に戻って少しだけお昼寝してから、Lincoln CenterのFilm Foundation特集に行った。

Otto Preminger - Jean Sebergによる"Bonjour Tristesse"。
サガンの「悲しみよこんにちは」ですね。 偶然女の子映画が続いた。

上映前に併映されたのが、Kenneth Angerの65年の短編"Kustom Kar Kommandos" (1965)、3分間。
The Paris Sisters - Bobby Darinの"Dream Lover"にのって、ぴかぴかの車メカを羽根でなでなでしてかっこいいだろーぐへへ、ていう作品。 まあ、いつもの。

そして、"Bonjour Tristesse"、タイトルデザインのSaul Bassは有名ですね。
カラーはすばらしくよい発色。リストレーションはMOMAがやったのね。

主人公のCecileは当然、断然、問答無用のJean Sebergで、Cecile CutのCecileで、モノクロで映しだされる彼女の現在から、彼女がなにかを失って悲しみにこんにちはしてしまったある夏のリヴィエラの出来事をカラーで追っていく、という形式。

彼女も、Deborah KerrによるAnneも、基本はなにも説明しないので、彼女達の突然の動きやリアクションをカメラが追う、その動きのなか、或いはモノクロとカラーの反復のなかでしか、起こったこと、彼女達の頭に訪れたかもしれない悲しみ、等は明らかにされない。 だから、ずうっとJean Sebergのすんばらしい頭部の形とかそんなのばっかり眺めていた。 
そして、それで十分だったの。

それにしても、なんてー頭のかたちだろう、あれ。

そしてこのすぐ後、モノクロの現在を引きずって、その悲しみを背負いこんで、名前をPatriciaに変えた彼女はちんぴらの世界に戻ってくる。 
それが『勝手にしやがれ』ね。

父親役のDavid Nivenもいいよねえ、あのちゃらちゃら愚鈍でなんも考えていないふうの。

せめて"Somewhere"もさあ、Elle Fanningがあの夏を振り返るかたちにすれば、もうちょっと違うふうになったとおもうのになあ。 ま、やんないだろうけどさ。

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