元旦(ああ、まだ元旦のを書いてる)は、映画2本だけ。
外は不気味にあったかくて新年ぽくなかったかも。
前の晩にどんなにやくざで穢れて地獄に堕ちろの音楽を浴びていようとも、毎年最初に見る映画は歴史ものか、クラシックなやつか、に決めていて、Film Foundationの特集で丁度よいのがあったの。
John Fordの"How Green Was My Valley" - 『わが谷は緑なりき』。
これ以上お正月にふさわしい映画があるだろうか。 あるんだったら教えてほしいもんだわ。
と思って今年最初のLincoln Centerに臨んだのだが、客席には20人くらいしかいなかった。
もうこんなのみんなとっくに見ているんだよね、と思うことにする。
自分にとって、のんだくれでがさつなIrishとWelshを憎めない理由の底には、まちがいなくこの映画があるの。
しかしこのフィルム、UCLAによるリストレーションがとてつもなくすばらしくて、冒頭に捲られる紙の質感とか、窓ガラス越しのMaureen O'Haraの表情とレースのカーテンとか、Huw Morganが歩けるようになるところの原っぱの光とか、すべてが芸術品の輝きに溢れていて改めてしびれた。
今ならどこでもDVDで簡単に見れるのでしょうけど、これを目の当たりにしてみ。
Walesの炭坑町の晴れの日、曇りの日、雨の日、雪の日、坑道のむこうの闇、人々の行く手に立ちはだかるいろんな闇が、こんなにも多彩で繊細な表情を見せることにしみじみびっくりするから。
んで、これも前の日の"Make Way for Tomorrow"とおなじように、泣けてしまうのだった。 みんなずっと一緒にいたいのに、わるいこなんていないのに、って。
あとは音楽が、歌が、いつでもどこでも鳴っている、なんでもかんでもすぐ歌になる、ていうとこね。 事故を知らせる警報とおなじように、それ以上に強く確かに、生を、大切なひとのありかを風と一緒に告げる歌。
これがあるからひとは生きていけるんだ、って、そういうことを強く、明確に言おうとしている映画なの。 ラストのMr. Gruffyddの演説は、リンカーンの演説の100倍重要なの。
あと、この映画のMaureen O'Haraの美しさはとんでもない。
90年代にマンハッタンに住みはじめた頃、仕事場のIrishのおじいさんに、彼女が住んでいるアパートを教えられて、今でもそこを通るとつい上を見上げてしまう。
1.04.2011
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