1.06.2025

[theatre] The Tempest

12月30日、月曜日の晩、Theatre Royal Drury Lane で見ました。

2024年最後に見た演劇で、ここんとこ自分の中で続いているシェイクスピア劇を見ていこう、のシリーズ、でもある。

Sigourney WeaverのWest Endデビューで演出はJamie Lloyd。 男性役のProsperoを女優が演じる、という点では、偶然だけど2日前に見た「ベニスの商人」のShylockをTracy-Ann Obermanが演じたのに続く。こういうジェンダー逆転シェイクスピアって昔からふつうにあったものなのだろうか?

上演前から宇宙っぽいダークでスペーシーな音が渦を巻くように埋めていて、幕が開くとどこかの星の上のような黒い崖のような岩が寒々しくでっかく横たわっていて、それらを覆ったり吹き飛ばしたりするようにでっかいシルク布が渦を巻いたり嵐を巻き起こしたり、ライティングはところどころで雷のように瞬いて強い残像を残す。シアターが大きいのでしょうがないのかもだが、ヘッドマイクを通した俳優の声はすべて均質に仰々しく響き渡ってしまうので、先の舞台セットも含めて「大規模プロダクション/アトラクション」の仕様がずっとあって、この辺の違和感は最後まで。(こういうセットでやってもよいスケールの劇である、というのはわかるけど)

Prospero (Sigourney Weaver)は最後の方を除いて大きな動きはせず見せず、裃(かみしも)のような衣装を纏って最後の場面でそれを変えるまでずっと舞台上にいて、ひとり呟いたり、登場人物たちとの個々のやりとりは十分に力強く真ん中にいるのだが、大枠では静かに全体を眺めつつ統御しているかんじ。

怪物Caliban (Forbes Masson)は傷だらけのお相撲さんかプロレスラーとしか思えない格好で舞台下の水中から顔をだしてやくざな酔っ払いとして暴れ、妖精Ariel (Mason Alexander Park)はマリリン・マンソンのメイクで空から降りてきて - この人が一番かっこよくて素敵だったかも 、Calibanと結託するTrinculo (Mathew Horne)とStephano (Jason Barnett)は漫才ピエロで、Prosperoの娘Miranda (Mara Huf)とナポリ王子Ferdinand (James Phoon)の恋は、立ち居振る舞いも含めてディズニー映画のようにきらきらしていて、要は各キャラクターが好きなように暴れたりそこらをうろつくばかり(ただし境界は守りつつ)で、宇宙の真ん中でこれか… みたいな纏まりのなさすぎる感があって、本来であれば、大嵐 - Tempestの荒ぶるなにかが力技でごたごたを収めたりどうにかしてくれるのだと思うが、ここでの女性Prosperoはなにかを静かに待っているようになにもしないふうで座っているのがほとんど。それを母性的な大らかさで包みこもうとするなにか、と見るのがよいのか、彼女の当たり役であるRipleyのように最後にとてつもないパワーを発揮するものとして置いておくべきなのか、おそらく後者なのかも。

魔界と人間界の間に立つ、って映画“Alien”のテーマにも通じるなにかのようにも思えて、せっかくSFぽい舞台セットにしたのだから、転移や寄生に近いところで、あるいは呪いや魔法を解くというところでなんかでるかも(でてきて)、と思ったのだが、割とストレートでふつうだったのはやや残念だったか。(Sigourney Weaverのふたつの顔がぼんやりと結ばれているポスターはそれっぽかったのに)

でもやっぱりSigourney Weaverはものすごく素敵な人ではないか、と思ったり。

1.05.2025

[log] Vienna Dec 26-27

12月26日から27日にかけて(のはずだったが戻ってこれたのは28日)、ウィーンに行ってきた。以下、簡単な備忘。
 
Rembrandt – Hoogstraten: Colour and Illusion

 
着いて、ホテルに荷物を置いてからKunsthistorischesMuseum Vienna(美術史美術館)に向かって、まずこれを見ることは決めていた。
Rembrandt van Rijn (1606-1669)と弟子のSamuel van Hoogstraten (1627-1678)のふたりの画家(当然、Rembrandt多め)が何を目指そうとしていたか、等についての美術史観点での考察。

2019年、アムステルダムのThe RijksmuseumでRembrandtの全版画展があった時に見に行った辺りかその前から展示の中にRembrandtの名前があればとりあえず、なんとなく見ようか、になっている。
 
サブタイトルに”Colour and Illusion”とあるように、色が微細できれいで写実性の高い – 騙し絵のように見えるくらい精巧な作品たちを世界中から集めてきていて(見たことあるのも結構あった)、それがRembrandt個人の才能による、というよりは工房のなかでもきちんと受け継がれる手法のような何かとして確立され伝授されていたのだ、というのがHoogstratenの作品から窺うことができる。描かれた人が絵画のフレームに手をかけている、絵のなかの木枠が実際の額縁に引き延ばされていて、絵画に描かれたものとこちらの見ている、見ようとする世界と連なっているようなイメージの見せ方。

あと、Rembrandtの宗教画に現れる聖性、とシンプルに呼びたくなる光の美しさ、あれはいったい何なのか。あの光の籠ったような眩さって彼独特のものだと思う。
 
美術史美術館は常設もほんとにすばらしくておもしろくて、ギリシャ彫刻のとこも含めて久々にぐるぐるだらだら回って見てまわる。
 

Medardo Rosso: Inventing Modern Sculpture @ museum moderner kunst stiftung ludwig wien (mumok)
 
美術史美術館の前の通りの向こう側にポスターがあって、おもしろそうだったので入ってみたら当たった。
イタリア系フランス人の彫刻家 - Medardo Rosso(1858-1928)のレトロスペクティブ。
同時代のロダンの滑っていく滑らかさとは別の、崩れて溶けていく、或いは固化していくような近代の身体や顔相を更に溶かそうとしたのか固めようとしたのか。

彼の作品と共に、ドガやブランクーシ、ジャコメッティ、モランディ、ベーコンなどなどの二次元作品も並べて、なんだか知らないうちに身体や顔が瓦解融解して、手の施しようがなくなっていくさまをいろんな角度から写真も含めて並べていって、彫刻における美とは何で、いかにしてありうるのか、を強く、何度でも問う。

今年、圧巻だったルーブルの展覧会 - ”Torlonia Collection”の、あの漲るかんじからここまで来る、来れてしまうものなのかー - 同じ固体でも塊りでも - って。

カタログ、分厚かったので諦めてしまったのだが、買っておけばよかった…

 
Alfred Kubin @ Albertina modern

27日の朝一に美術館の前に行って、見た。
今回は、Rembrandt展とこれがあったのでウィーンに来ることにしたの。高校くらいのとき、Slapp HappyのPeter BlegvadがAlfred Kubin (1877-1959)からの影響を切々と語っているのをどこかで読んで、画集があれば手に入れたりしてきたのだが、大きめの規模の展示でようやくじっくり見ることができた。いろんな頭のなかの、捩れた肉の奥の、実際の地獄、チャコールの、砂の地続き、で決してその動きを停めることも完結することもない呪いや懺悔の歌とか像とか。

絵の合間に彼自身の言葉などが貼ってある。

- Maybe this is what life is: a dream and a fear.

彼のだけじゃなくて次のようなムンクの言葉も。

- My path has led along an abyss, a bottomless depth. I have been forced to jump from stone to stone. The fear of life has accompanied me for as long as I can remember

Edvard Munch (1863-1944) はやはり近いのかも。

カタログは売り切れていて悲しかったのだが、翌々日、ブリュッセルの書店Tropismesに行ったらあった。


Listening to Love with Schönberg


Kubinを見たらSchönbergも、ということで近くにあったArnold Schönberg Centre も行ってみる。年末だからかもう誰もいない暗いオフィスビルのようなとこの2階で、人も殆どいない状態だったが、かれの描いた絵画作品や、ブーレーズやラトルが彼の曲を指揮するビデオを見たりしてちょっと休む。


Modernではない方のAlbertinaでは、Robert Longo, Jim Dine, Chagall、あとは常設も。Chagallは、前にCentre Pompidouで見たときより、ちょっと感動したかも。動物たちがより迫ってきた。

他には”Before Sunrise” (1995) にでてきた Kleines Caféでお茶をしてお菓子を食べる。 すんごくよい雰囲気の茶店。

最後にはやはり食材屋に、ということでJulius Meinl am Grabenに向かって少しだけ食べものを買い、Demelでどうしようか、ってやっているところにロンドン行きの飛行機キャンセル、の報がきてBAと徒労まみれのぐだぐだ交渉にー。


1.03.2025

[theatre] The Merchant of Venice 1936

12月28日、土曜日の晩、Trafalgar Theatreで見ました。

英国各地をツアーしてきた舞台の、ロンドン公演(再演?)の初日。この日、本当は朝から日帰りでベルギーに行っているはずだったのだが、ウィーンからの戻りの便がテクニカルなんたらで突然キャンセルになり、交渉して直行便がなかったので深夜にマドリードに向かい、そこから28日の朝にロンドンに戻ってきて、ベルギー行きはどうにか翌日に移すことができたものの、なんかつまんないので当日にチケットを取った。

原作はシェイクスピア、演出はBrigid Larmour。タイトルにもある通り、1936年、舞台は英国・ロンドン、その東側に暮らすユダヤ人の金貸しShylockを女性のTracy-Ann Obermanが演じており(これに合わせてLauncelot も女性に置き換えられている)、いくつかのエピソードは彼女のGreat grandmother(曽祖母)のものだという。(Obermanは舞台のAssociate Directorでもある)

第二次大戦に向かうなか、英国でもイギリス・ファシスト連合を率いるOswald Mosleyを中心にユダヤ人排斥の動きが出てきて、貿易商のAntonio (Raymond Coulthard)も、黒服短髪のそれに倣ったいかにもの挙動と傲慢さで金貸しのShylockのところにお金を借りにきて、彼にとっては屈辱ぽい取引条件 - 返せなかったらお前の肉を1ポンド - をのんで出ていく。

キャストがざわざわと舞台に出入りしていくのは客席の右左からで、昔の他人事として静観することを許さない。いろんな取り引き/駆け引きの浮ついて根拠のないこと、でもそこに嵌って縛られてしまうこと、など。

そんなAntonioとPortia (Hannah Morrish)を中心とした上の階層の人々(ロンドンの西側)の恋の駆け引き、というより、その裏側で裕福だった家や居場所を奪われ投石され、Shylockに至っては裁判を経てキリスト教に改宗させられ、それでも誇りを失わずに踏みとどまって戦ったユダヤ人、が前面にでていて、最後には1936年のBattle of Cable Street - “They shall not pass!”まで描かれる。 (Cable Streetの戦いは昨年サザークの劇場でミュージカルになっていたが、いまだにヴィヴィッドなテーマらしい) こういう終わり方と繋げ方でよいのか、はあると思うが、シェイクスピアの風呂敷はここまで広げてしまうことだってできるのだな、と。

ちょっとだけ言うと、Shylock 役のTracy-Ann Oberman以外のキャラクターがやや浅くて中身があまりなさそうに見えてしまうのがなー、くらい。

あの有名な台詞 - “If you prick us, do we not bleed? If you tickle us, do we not laugh? If you poison us, do we not die?” は当然でてくるのだが、思い出したのはルビッチのコメディ - “To Be or Not to Be” (1942)でシェイクスピア劇団の役者Greenberg (Felix Bressart)がこの台詞で切々と訴える忘れがたいシーンで、そういえばこの映画もポーランドに侵攻してきたナチスのファシズムと戦う(というか、おちょくってやる)やつだったなー、って。

Shylockのような人々がこうやって生き延びてきた、はわかるのだが、Antonioのような極右の連中もしぶとくいまだにヘイトを撒き散らし続けて100年くらい、そこらじゅうの世界で平気な顔をしているわけで、そっちの方が根深くて興味深いかも。社会史学方面など、いろいろ言えるのはわかるけど、ごくふつうになんなの? って。

1.01.2025

[log] Best before 2024

新年あけましておめでとうございます。
昨年の今頃は1月3日の英国出発に向けたパッキングでお正月も含めてそれどころじゃなかったのと比べるとだいぶ穏やかな気がする。

元旦の朝、起きたら珍しく10時を過ぎていて(ふだんは寝れなくて8時前に起きる)、前の滞在時のお正月がそうだったようにBBCのウィーンの新年コンサート(いつか行きたい)を聴きながら日本で買ってきたチーかま等を頬張って、冷たい小雨の降るなかBFI Southbankに向かい、今日から始まるLuchino Visconti特集の最初の一本 - “Ossessione” (1943)と、同じく今日からのSidney Poitier特集から”No Way Out” (1950)を見た、だけ。いつもの週末と1ミリも変わらないの。

今年もよい旅をしてよい作品を見ることができれば、なのだが治療とかありそうで今年ほど好き勝手できないかも。

以下、順位はなくてすべて見た順。10本とか絞れないので、適当に。

[film]

2024年は中短編含めて411本見ていた。なんと配信は1本も見ていない。うちBFI Southbankで219本…

映画は、Sight and Sound誌のベスト50のうち36本を、Guardian紙のUKベスト50のうち40本を見ていた。この本数、日本にいると本当に減ってしまうのよね...
 
[新しいの]

▪️ The End We Start From (2023)
▪️ All of Us Strangers (2023)
▪️ Anyone But You (2023)
▪️ Love Lies Bleeding (2024)
▪️ Baltimore (2023)
▪️ Cerrar los ojos (2023) - Close Your Eyes
▪️ The Sweet East (2023)
▪️ Hoard (2023)
▪️ La chimera (2023)
▪️ Here (2023)
▪️ Crossing (2024)
▪️ Kuru Otlar Üstüne (2023)  - About Dry Grasses
▪️ Janet Planet (2023)
▪️ Kneecap (2024)
▪️ His Three Daughters (2023)
▪️ Megalopolis (2024)
▪️ Grand Tour (2024)
▪️ The Room Next Door (2024)
▪️ Blitz (2024)
▪️ Christmas Eve in Miller's Point (2024)
▪️ Bird (2024)
▪️ ナミビアの砂漠 (2024)
▪️ The Brutalist (2024)
▪️ All We Imagine as Light (2024)

[ドキュメンタリー]
 
▪️ The Disappearance of Shere Hite (2023)
▪️ Your Fat Friend (2023)
▪️ Occupied City (2023)
▪️ Copa 71 (2023)
▪️ Merchant Ivory (2024)
▪️ Sex is Comedy: la révolution des coordinatrices d'intimité (2024)
▪️ Strike: An Uncivil War (2024)
▪️ Bye Bye Tibériade (2023)
▪️ Dahomey (2024)
▪️ A Sudden Glimpse to Deeper Things (2024)
▪️ No Other Land (2024)

[ふるいの]

▪️ “A League of Her Own: The Cinema of Dorothy Arzner” - でかかったの全て
▪️ Kaos (1984)
▪️ La notte di San Lorenzo (1982)  - The Night of the Shooting Stars
▪️ Leave Her to Heaven (1945)
▪️ The Sugarland Express (1974)
▪️ “Martin Scorsese Selects Hidden Gems of British Cinema” - でかかったの全て
▪️ The Talk of the Town (1942)
▪️ Silent Sherlock (1921-1923)
▪️ The Train (1964)
▪️ Point Break (1991)
▪️ The Bishop's Wife (1947)


[art]

やけくそのようにいっぱい見た。何を見ても楽しい。
セザンヌのアトリエやアッシジのサン・フランチェスコ大聖堂とか、ずっと行きたかったところにも行けた。

▪️ Impressionists on Paper : Degas to Toulouse-Lautrec  @ Royal Academy of Arts
▪️ Nicolas de Staël  @ Musée d'Art Moderne de Paris
▪️ Viva Varda ! @ La Cinémathèque française
▪️ Sargent and Fashion @ Tate Britain
▪️ Women in Revolt !  Art and Activism in the UK 1970-1990 @ Tate Britain
▪️ Yoko Ono: Music of the Mind  @ Tate Modern
▪️ Isabel Quintanilla's intimate realism @ Thyssen-Bornemisza Museo Nacional
▪️ Frank Auerbach. The Charcoal Heads @ The Courtauld Gallery
▪️ Klimt Landscapes @Neue Galerie NY
▪️ Francesca Woodman and Julia Margaret Cameron: Portraits to Dream In @ National Portrait Gallery
▪️ Expressionists: Kandinsky, Münter and The Blue Rider @ Tate Modern
▪️ Now You See Us : Women Artists in Britain 1520–1920. @ Tate Britain
▪️ Preraffaelliti - Rinascimento Moderno @Musei di San Domenico
▪️ Paris 1874. Inventing Impressionism @ musée d'Orsay
▪️ Chefs-d'œuvre de la collection Torlonia @ Musée du Louvre
▪️ Francis Bacon: Human Presence @ National Portrait Gallery
▪️ Deborah Turbeville: Photocollage @ The Photographers' Gallery
▪️ Medieval Women: In Their Own Words @ British Library
▪️ Surrealism @ Centre Pompidou
▪️ Chantal Akerman: Traveling @ Jeu de Paume
▪️ 志村ふくみ 100 歳記念 ―《秋霞》から《野の果て》まで― @ 大倉集古館
▪️ Olga de Amaral @ Fondation Cartier pour l'art contemporain
▪️ Pierre Bonnard - Bonnard au Cannet @ Musée d'Art Moderne de Paris
▪️ Ribera - Shadows and Light @ Petit Palais
▪️ Mon ours en peluche @ Musée des Arts Décoratifs
▪️ Vanessa Bell - A World of Form and Colour @ MK Gallery
▪️ Rembrandt – Hoogstraten : Colour and Illusion @ Kunsthistorisches Museum
▪️ Medardo Rosso: Inventing Modern Sculpture @ museum moderner kunst stiftung ludwig wien
▪️ Alfred Kubin @ Albertina modern
▪️ Ghent Altarpiece @ St Bavo's Cathedral, Ghent


[theatre]

44本見ていた。今年は演劇のおもしろさに目覚めてしまった年かも知れない。音楽のライブに近い位置づけなのかも。

▪️ Dear Octopus (24. Feb) @ National Theatre
▪️ The Motive and The Cue (21. Mar) @ Noël Coward Theatre
▪️ London Tide (24. April) @ National Theatre
▪️ The Cherry Orchard (18.May) @ Donmar Warehouse
▪️ Skelton Crew (16. July) @ Donmar Warehouse
▪️ Illinoise (31.July) @ St. James Theatre
▪️ Slave Play (13. Aug) @ Noël Coward Theatre
▪️ The Other Place (12.Oct) @ National Theare
▪️ Macbeth (26. Oct) @ Harold Pinter Theatre
▪️ The Fear of 13 (02.Nov) @ Donmar Warehouse
▪️ All’s Well That Ends Well (05.Dec) @ Sam Wanamaker Playhouse
▪️ The Importance of Being Earnest (14. Dec) @ National Theatre


[music]

CDもレコードも買わなくなり(その分が本に流れ)、ライブは体力的に無理なく、チケットが取れる範囲で、になった。見たのは43本。 でも音楽はずっと変わらず、とても大切。

▪️ Caetano Veloso (4. April) @ Brooklyn Academy of Music
▪️ The Magnetic Fields: 69 Love Songs 25th Anniversary (5-6. April) @Town Hall
▪️ Cat Power Sings Dylan: The 1966 Royal Albert Hall Concert (1. May) @ London Palladium
▪️ Primavera Sound Barcelona 2024 (30.May - 1.June)
▪️ Anohni and the Johnsons (2.July) @ Barbican Centre
▪️ I Want Absolute Beauty (24.Aug) @ Jahrhunderthalle
▪️ Elvis Costello & Steve Nieve + the Brodsky Quartet (22.Sep) @ London Palladium
▪️ The The (01. Oct) @ O2 Academy Brixton
▪️ Laura Marling (29. Oct) @ Hackney Church
▪️ 50th Anniversary of Radio City (31. Oct) @ Hackney Church
▪️ Víkingur Ólafsson & Yuja Wang: Two Pianos (01.Nov) @ Royal Festival Hall


そして帰宅したら冷蔵庫が動かなくなっている…
今年もよい作品に出会うことがらできますようにー。

12.31.2024

[log] 年の終わりに

もう日本は2025年を穏やかに迎えられていますようー。

こちらの大晦日は期待通りの見事にどんよりぼんやりロンドン - 川縁の花火はやるかどうか微妙、と朝のニュースは言ってて、夕方風がでてた - けどなんか鳴りだしたぞ  - で、クリスマスの時と同様、バゲットとチーズを少しだけ買って、ハロッズの〆さばのウワサを聞いたので買ってきて、少し色がほしい.. と思ったので同じハロッズの飲茶コーナーで白・赤・緑の餃子とシウマイを買った。それくらい。年越しそばはこないだ日本に行った帰りの便に乗る前に羽田のコンビニで買ったどん兵衛がある。

今年最後に見た映画は、今日の夕方 - BFI IMAXでのF.W. Murnauの”Nosferatu, eine Symphonie des Grauens” (1922) - 明日から公開されるRobert Eggersのにあわせたやつ - で、今年最初に見た映画はイメージ・フォーラムでのC.T. Dreyer の”Vampyr” (1932)だったので、見事に吸血鬼が挟んでくれた。

あいかわらずぜんぜんよくない、暗くて辛い1年だった。
ガザもウクライナも状況は変わらず、ということは人々も子供たちもずっと権力者の思惑のまま理不尽に殺され続けている。シリアの独裁が終わったのはよいことだが、独裁者を倒すまで13年掛かったこととか、この並びにトランプが入ってくることなどを思うと先には絶望 - 自分のだけじゃない、現地の人たちの - しかない。

日本も変わらずにひどいまま、海外に来たのであのやーな湿気に丸めこまれずに済んでいるのはラッキーなのかも知れないが、兵庫も大阪も司法も報道も、近寄りたくないやばいヒトが勘違いしたまま成熟に向かっているのを見ているようで、とにかく近寄りたくなくなる。だって誰ひとり逮捕されずに野放しなんだから。なんなのあれ?

地球も、どうなっちゃうんだろう… とか、要は明るいことなんてずっと、何ひとつない。その閉塞のなか、沢山の亡くなってしまった、先を絶たれてしまった人たち、ごめんね。

などを考えるのにちょうどよい気候だねえって、でもこの時期にもう一件、考えるべきは足下のお片づけ&お掃除でもあるはずなのだが、周辺数メートルのチリ・ホコリをクイックルなんとかでぱたぱたしたり、チケットの半券とか半端なサイズのチラシとかを隅に寄せれば十分な気がして、なにしろ部屋の真ん中に積みあがった本の大きな山がいくつかあり、本棚を入れるなどしてこれらをどうにかしないことには、どーにもならないんだわ。本棚は重いので考え始めた次の引越し先でどうにかしたい、とすると結局のところどうにもならんー。約1年間、あまり深く考えずに本を買い続けていくとこういうことになるのか、ということを学んだ、のはよいこととしようか。

だれも見る人がいないので、部屋とかクローゼットのなかとか、これまでの自分史上相当にしょうもない状態であることは確かだな、と思う反対側で、これでじゅうぶん、とか判断するのってどこのどいつなのか? じぶんしかいないんだから.. (←こいつはだめだ) 年が明けて、2日くらいからちゃんとやります。

明けてから2024のベストにかかりますが今年のは大変かもー

みなさまよいお正月をー

[film] The Polar Express (2004) (3D)

12月24日、クリスマスイブの昼、BFI IMAXで見ました。
これもBFIのクリスマス映画特集のからの1本で、IMAXで何度か上映されていて、この日のこの回が最後の上映。家族連れいっぱい。
これまで何度も見たいと思いながら機会がなかった。

原作はChris Van Allsburg、監督はRobert Zemeckis、タイトルの横に大きく名前があるようにTom Hanksが制作と複数役の声までこなす形で深く関わっている。

クリスマスなんてみんなでお食事してプレゼント貰うだけのイベントだろ、と思い始めた頃の子供たちに、いやいやその裏ではこれだけのことが起こっているのだよ、って神とか宗教を持ちだすことなく説明する。北極も特急列車も存在する、でも行ったことはない、そこに誘うのはリアルな距離を測ることのできる実写ではなく、感覚ごと持って行かれる3Dのアニメーションがふさわしいことを”Back to The Future”で時間旅行を試していたRobert Zemeckisはわかっていた - というくらいに堂々と揺るがない決定版、のタイム感。

50年代のアメリカの田舎、クリスマスイブの晩、どうにも寝つけない少年がいて、サンタクロースなんてどうせ親がやるのだろうし、それなら欲しいものなんてくれるわけないし、と思えば思うほど寝れなくなってきたところに轟音が響いて、見れば庭に巨大な列車が止まっていて、乗るのか乗らないのか、車掌が聞いてくる。

少し悩んであまりよくわからない状態で乗り込んでみると自分と同年代の少年少女たちがいっぱいいて…. ここから先はいいか。

この列車が本当にサンタのいる北極まで連れて行ってくれるのか、半信半疑の彼を試すかのようにいろんなことが起こり、いろんな人が出てきて、見ている我々はそれを少年の目をと体験していく。人さらいや監禁もののホラーになるわけがないからものすごく安心して見てしまうのだが、止まらない抜けられないゴースト・トレインになりそうな紙一重のところをうまく抜けつつ不思議の国に運んでいく、そのめくるめくなかんじがよいの。

列車自身がずっと高速で動いているのと、少年の学びと成長がテーマであることもあるのだろう、各アクションがいろんなうねりを作って連鎖していくふうにならないのはしょうがないか。

とにかく北極点にたどり着くと大量のサンタがうようよびっしり湧いて群れてて、えらいこったねえー、となる前にこいつら一匹残らず全員♂でやっぱりおかしくない? になった。20年前は気にならなかったのかも知れんが、いまは絶対確実におかしいわ、って。


Kraven: The Hunter (2024)


↑の清らかなのに続けてよいのかしらんが、12月23日、月曜日の夕方、Leicester SquareのVueっていうシネコンで見ました。ここは客のマナーがものすごい - 予約指定した席に座れたことがない等 - ので滅多にいかないのであるが、それくらいもう他ではやっていなかったの。

Sergei (Aaron Taylor-Johnson)は、男は男らしくなきゃいかん、ってうるさい父 (Russell Crowe)に無理やり連れてこられた狩りでライオンががぶーってやられて血がどくどく死にかけたところにアフリカ産の謎の液体をかけられて、気がついたら身体がぶりぶりのハンター(でも獣は味方)になっていた、と。

で、いろんな悪い奴らを引っ掻いたり噛みついたりでやっつけていって最後にはやはり父が立ちはだかってくるのであるが、ややストーリーラインがあっさりしすぎていたかも。

大コケした”Madame Web” (2024)などと同じ、スパイダーマンのフランチャイズらしいのだが、当たらなさすぎてもうやらなくなってしまうかも、って。もったいないー。みんなせっかく噛まれて強くなってきたのにー。妖怪大戦争でもよい(しかない)ので見たかったのにー。

みなさまよい年の瀬をー。

12.29.2024

[film] Grand Theft Hamlet (2024)

12月22日、日曜日の晩、Picturehouse Centralで見ました。

LFFの上映時にも話題になって、IMAXでの上映回もあったりしたのだが、オンラインゲームというものを見たことも触ったこともないので、と少し躊躇して、でも車やバイクを運転したことなくても、山登りやダイビングをしたことなくても、それらの映画は見るじゃん? と。他方でオンライン・ゲームというのはそれ自体まるごとがひとつの世界としてあって、そこで過ごす感覚や判断思考も含めて没入させるものである、という点において、その「没入」を踏みとどまらせるなにか、がないこともないのよ、など。

画面は最初からGrand Theft Auto (GTA) というonlineゲームの中にあって、その外側に出ることはない(最後のパートを除いて)。このゲームに関する説明がまったくないので最初はなにがなんだかわからず、ここに入ってくる人は自分のアバターを作ってやってきて、赤の他人を殺しあいをしたりする.. の? .. というレベルの老人でも、映画のなかで起こることを通してここがどういう場所なのかが見えてくる - 映画のテーマとは別に - という楽しさがあったりする。それを楽しいと思うかどうか、個人差はありそうだけど。

コロナ禍のロックダウン中、ゲーム以外に特にすることがなかった役者のSam CraneとMark Oosterveenは、毎日やってくるこの場所でシェイクスピアのハムレットを上演してみてはどうか、と思いたつ。ここはゲームの世界なので、ゲームのルールにないことはやったらいけないのでは? と思うのだが、ゲームのルールとして特に書いてなければ、やってはいけないことなんて特にないみたい。まあ、人をばりばり殺したって許されてしまう世界であるから、演劇くらい当然やってもよいのだろう。

こうしてゲーム内の掲示板に告知を出して役者のオーディションから始めるのだが、演劇をしたくてここに来る人なんてそんなにいないから変な連中ばかり現れて、しかもいきなり殺しにきたりして、SamとMarkも何回も殺されるし、殺してしまったり、その突拍子もない、誰が演出しているわけでもない、なすすべもないアナーキーな驚き - 制作している側でも - がたまらなくおかしい。そしてそのうち、実世界での演劇が構築しようとしている世界も、これと同じような荒唐無稽な物語だったり強引極まりない世界 - 例えばあまりに簡単に人が死んだり狂ったりしていく - だったり、なのかもしれないな、と。我々が生きて、生きるためにコントロールしたりされたりの世界があり、そのなかでコントロールのありようを悲劇だったり喜劇だったりのドラマとして組成する演劇の世界があり、それらをまるごとバーチャルに再構成した(はずの)GTAのゲームの世界があり、この「ハムレット」は3つの世界を跨いだ何かとして訴えてくるものがあったりするのかどうか。

想定外のことばかり起こることのおもしろさ - それがなんでこんなにおもしろいのか? を考えるのもおもしろいし、これら想定外のことを除いたときに、ここで上演されたものは果たして「ハムレット」と言えるのか? を考えるのもよいし - など、ものすごくいろんなことを吹き出しのようにわらわら掻き回してくれる作品で、こんなシンプルな暇つぶし思いつき企画が掘り下げてくれたことって思っていた以上に収穫だったのではないか。

すでに誰かがどこかでやっているのかも知れないが、ここにAIを介入させたらどんなことが起こるのか? 想定外のようで実は薄っすらわかっていた、ようなことが起こるだけでおもしろいおもしろくないでいうと、あんまし、になってしまう気が…

この「ハムレット」はおもしろくなったけど、例えば、”Avengers: Endgame”をやります! と言ったらどんなことが起こるだろうか? とか。 あれこれ考えてみるだけで十分におもしろいかもー。

SONYがスポンサーになってGTA内でのシェイクスピア全作上演とかやってみればよいのに。歴史に名を残せると思うよ。

あと、じゃあGTAでもひとつやってみるか、になるかと言うとそこまではいかなかったかも。