11.13.2016

[film] Kubo and the Two Strings (2016)

飛行機が成田に着いたらLeonard Cohenが天に召されていた。 そしてLeon Russellまで …

9日の晩の9時、シアトルのダウンタウンのシネコンで見ました。客は最後まで自分ひとり。
ほんとは8日 - 火曜日の晩に見るはずだったのだが、大統領選でとてもそんな気分ではなくなり、ほんとはAustinで見たかったあれにしたかったのだが、やっている場所がちょっと遠かったので諦めた。

“Coraline” (2009) ~ “ParaNorman” (2012) -見れてない ~ “The Boxtrolls” (2014) -見れてない - ときたLaikaのアニメーションの4作目。 監督はこれらでLead AnimatorをしていたTravis Knight。

Laika特有の紙片をストップモーション動画にした風合い(だいすき)はそのままなのだが、キャラクターとかお話しの土台は日本の昔話のようで、最初に予告を見た時はその作画とか造型が、土曜の朝に米国の民放でやってるアニメみたいに安っぽくしかも紋切型のアジアっぽくて、どうしたもんかー、だったのだが、なんか評判よいので見てみたら、びっくりするくらいによかった。

Kubo(名前なのか苗字なのか)は男の子で片目を失った状態で母親とふたりで何かから逃げて海岸にうちあげられて、彼らを追って殺そうとしているのは、彼の片目を奪ったのは祖父だと言われる。 Kuboは弾くと紙や折り紙を自在に操ることができる不思議の三味線を持っていて、賢く優しい白い猿とやや間抜けなクワガタ侍が加勢してくれて、彼は襲いかかる悪の手先と戦いながら黄金の鎧を探して自分の出生の謎を追っていって、やがて。 
そして”Two Strings”とはなにか?

基本は“Coraline”と同じく子供が歯をくいしばりたったひとりで邪念に満ちた世界に立ち向かう”Kubo vs. the World”なのだが、最後の対決を経てあんなとこにいっちゃうとは思わなかった。泣けるの。
ポートランドをはじめ西海岸の日本人会が協力しているようだけど、外国のアニメにあそこまでやられちゃったら、だめじゃん日本。 髑髏の怪物は日本の餓者髑髏を元にしている、とかIMDbにはあったけど、餓者髑髏なんてみんなしってる?

声優はやたら豪華で白猿がCharlize Theron、クワガタ侍がMatthew McConaughey、悪の仮面シスターズにRooney Mara、大悪の月の王にRalph Fiennes。 Charlize TheronはFuriosaとしか言いようがなく沸騰するし、Matthew McConaugheyはMatthew McConaugheyとしか言いようがないし、Rooney MaraはとにかくおっかなくてドS全開だし。

エンディングは”While My Guitar Gently Weeps”が流れるの。
でもギターじゃなくて三味線で、歌うのはRegina Spektorさんなの ...

機会があったら見てみてね。

11.10.2016

[log] November 10 2016

帰りのTACOMA空港まで来ました。

やれやれ。 あーあー。 あー。 あ。(深呼吸)
まさかこんな気持ちで帰りの便に乗ることになろうとは。(飛ぶのかしら。どっちでもいいけど)

月曜の晩、ホテルの部屋に戻ったらSNLの選挙特集をやっていて、これまで個々の動画は見ていたのだが、まとめて見てみると強烈にバカらしくて、どっち陣営もひどいのだが、トランプのしょうもなさは際だって強烈で、それをげらげら笑ってあー明日以降はこのバカツラを見なくて済むんだわ、と思ったものだった。

ところが。 火曜日の昼頃からなんかみんなそわそわし始めて、そんな面白くもない会議だったこともあって、みんなWebとかスマホを分刻みで追っかけだして、夕方に某巨大企業のオフィスを見にいったときは、そこのロビーのばかでかいディスプレイにライブで進捗が流れていて、それを階段状になった待ち合わせエリアで見ているそこの社員の人たちはみんな呆然としてて、ホテルに戻ってTVをつけても気持ちわるくなるばかり、朝になってもまだ悪夢の只中にいるようで、目が醒めてくるにつれてひたすら怖く恐ろしく、悲しくなっていった。

119とはよく言ったもので、心象の動きは911の時とほんとうによく似ている。
この日を起点にアメリカだけでなくいろんな国で起こりうるであろう暴力沙汰、罵りあい、憎悪の連鎖を思うと、ただただ恐ろしい。

なにが/なんで怖いのか。 他者を傷つけることを公の場で平気でいう人(←「悪人」の定義)、かつそれに伴う他者の痛みや苦しみをまったく想像することができない人(←「バカ」の定義)、つまりこのどうしようもない「バカ」の「悪人」が世界一強大なパワーをもつ国のなんでもできる権力者のてっぺんの座についてしまった。
そしてこいつ(とその取り巻き、その支持者)は、今回の勝利を彼のこれまでの行いや言動に対する国レベルでの承認、と受け取るだろう。 シンプルにバカだから。バカとはそういうものだから。

そしてこれはぜったい向こう岸の、他の国の話ではないの。 トランプが米国で「承認」されたことを受けてただでさえ米国追従でヘイトの下地たっぷりの、バカで幼稚なこの国の政治家も御用メディアもますます調子に乗ってへらへらと弱者を傷つけ痛めつけて、そのことに対して鈍感になっていくに違いない。 劣化と腐敗の連鎖と加速がおこる。

英国に続いてまたも予期しない結果、とかポピュリズム云々はもはやどうでもいい。
メディアも含めてみんなの頭が悪くて鈍くていろんなソーシャルの煽りに浮かれていただけ、としか言いようがない。 頭を切り替えて今回の結果に怯えている人たち/傷つく可能性のある人たちを助けてあげないといけない。

かつて911の光景をハリウッドの映画のようだ、と言ったひとがいたが、119もそうで、米国(成金バカ)/ロシア(筋肉バカ)/日本(真性バカ)の腐れたトライアングル・バカ(でも最高権力者)が手を取りあうところを想像しただけで虫酸が走る。どんな悪党野郎のヴィジュアルよりひどいわ。

でもこれは映画の話ではないの。 現実なんだ。
まず守れるひとを守って、助けてあげよう。 間違ったことを間違っている、といえる視座と知識と行動に移す勇気を持とう。そして悪いやつを倒す。

9日の夕方4時頃、別の建物に向かう途中で広場に何人かの若者がわらわら集まってプラカードを掲げて騒いでいた。それが5時半に帰るころにはデモのうねりになって大通りを埋めていた。ちょっと増えた程度かと思ったらどこまでも途切れなく列は続いて、警察がいっぱいいてヘリも飛んでいる。
メッセージはそれぞればらばらの手書きで、紙のひともいれば旗を作ったひとも、シャツに直に書いているひともいて、みんな大声でなんか怒鳴るのだが、各自てんでばらばらに叫びたいことを叫んでいる。コールを合わせるのももどかしいくらい切羽詰まって怒ったり泣いたりしているかんじ。
方角が一緒だったのでしばらく一緒に歩いて声をあげたら、すこしだけ気が晴れた。
みんなそれぞれに傷ついたり泣いたり頭にきたりしたのだね、ていうのがようくわかった。

気晴らしに近所に映画を見にいって深夜に戻ってきたらなんか警察のひとたちがいて、なんじゃろ、と思ったらホテルの傍で発砲があったんだって。 そうらきたぜ、て思ったわよ。

ふん。まけるもんか。

戻ったらJimmy FallonでMartha Wainwrightさんが歌っていた。
おかえりなさい。ありがとう。

今回、映画は1本だけ。本は少し、雑誌ゼロ、レコードいっぱい、そんなもんか。

ではまた。

11.06.2016

[log] November 06 2016

10月22日にオースティンから戻ってきたところで、いつものように熱が出て風邪になって、思っていた以上にあっという間だった翌日には上海に飛んで、頭がぼおっとしてなんだかよくわからないまま2日間打ち合わせにでて25日火曜日の夜中に(飛行機2時間遅れ)戻ってきて、風邪さんにはその翌週くらいまでずるずる引き摺られられて、ようやく文化の秋だわ走り回るぜ、のよい天気になったと思ったら今は成田で、これからアメリカに飛ぶの。

出張から戻るたびに熱だして風邪ひいて体調を崩すということはよっぽどこの国に帰りたくないようって体が訴えているのか、嫌だからって逃げてばかりいるバチじゃ反省しろ、と神様が仰っているのかどちらか、と考えてしまったりするのだが、でもこんな国にずっといるのってどっちみち体にはよくないんだわ。

こんどのはシアトルで、割と急に決まったので大統領選とかなにも準備してないし(←関係ないだろ)。
ほんのちょっとしかいないし、月曜の朝から秋鮭みたいな団体行動 - オースティンのとどっちがましか - なので勝負をかけるとしたら着いた日曜の午後だけで、そうなるともう行くところはだいたい決まってしまうのだった。

こないだのオースティンでレコードはじゅうぶん、たくさん買ったでしょう、というのはあるし、あらゆる言い訳が封じられているのは承知の上で、でもせっかくシアトルに行くのだし、TADの再発盤をどうすべきか、とかいろいろ悩ましいことはあるし、じゃあどれくらい我慢したら次を買ってもよいのか、とか子供みたいな問いで返してみたり。 本屋なんて、日本にいたって頻繁に通っているのだからべつにいいじゃんか。

向こうに着くのは午前10時。 夏時間さいごの日、一時間だけ一日の長さが延びる日。
秋のシアトル、晴れてるといいな。 ほんとに素敵だからー。

ではまた。

11.05.2016

[film] In Jackson Heights (2015)

10日の晩、新宿に移動してラテンビート映画祭で見ました。 まあ一般公開は難しいだろうしな。

Frederick Wisemanがクイーンズのジャクソン・ハイツにカメラを持ちこんだドキュメンタリー。
これの前に見た“The Beatles: Eight Days a Week”からだとShea Stadium(クイーンズだよ)でつながっている。

なんでクイーンズなのかというと、いろんな移民がいっぱい生活しているから。でもそういう町なら他にもありそうだし、もう少し突っ込むと、移民がいっぱいいるのにあんまざわざわしていなくて、町の佇まいとしてはなんか落ち着いてある、それってなんだろうか、ていうあたりではないかしら。

もう少し分解すると、Make the Road NYていう支援団体やDaniel Dromm市会議員の人を中心に据えた地道な活動とか、BID - Business Improvement Districtとしての全体の開発の話とか、そういうのが引き起こすさざ波の波間にユダヤ教のお寺があってイスラムのお寺があってイスラム文字の塾があって、ハラルの鷄食肉工場、人の爪切り、犬の爪切り、タトゥー彫り、顔剃り、タクシー教習所が東西南北を教えるとこ(なんかすごい)とか、編み物しながら無縁墓地の話をするおばさんたちとか、ふつうのストリートフェアにアイスクリーム売りに、ようするに人種もジェンダーも生活も家業も多様であたりまえで、問題があったらそれをみんなで露わにして話しあうのもあたりまえで、で? それがどうした? だからどうした? な穏やかさがある。

そもそもその穏やかさが尋常ではないのだ、と言うことも可能なのだろうし、確かに変てこで怪しげな建物とかお店はいっぱいあっていろんな人がいるけど、お散歩してみればなんかゆったり落ち着いてご機嫌になるんだよね。 

わたしにとってのクイーンズはまずアストリアで、Museum of the Moving Imageがあるし、隣にはカウフマン・アストリア・スタジオがあるし、素敵な地下鉄の高架があるし、よいところなんだようー。 老人になったらMuseum of the Moving Imageの特集上映に毎日通うのが理想なの。
(今日 - 11/5なんか『大菩薩峠』 (1966)の50周年記念上映で仲代達矢が登場するんだよ)

それにしても面白いのはBrooklynとの違いだねえ。どっちも移民が多いけど歩いてみるとかんじがぜんぜん違う。 それこそCaptain AmericaとSpider-Manくらい違うの。

なんかねえ、Frederick Wisemanの映画って、自分の半径とあまりに違う世界のが割と多くて感心するばかりなのだが、この映画に関しては少しだけ自分にもわかるところに触れていて、そうするとどうなるかというと、更にいろいろ足元を見て考えてしまうのだった。あ、”National Gallery” (2014)もそうだったけど。

でもここんとこ、映画の中でも少しあったけど、Brooklynもそうだけど、高層ビルがいっぱい建ち始めているのが不安かも。 目に見える風景が変わると人たちの目とか姿勢も変わっていくでしょ。

そうそう、香川京子さんも結婚して夫の海外赴任についていって暮らしたのがクイーンズで素敵だったって。

[film] The Beatles: Eight Days a Week - The Touring Years (2016)

10月10日、連休最終日の昼、有楽町でみました。

Ron Howardによる、Beatles初期 - 欧米のチャートを席巻し世界中をツアーして前代未聞のスケールのバンドに膨れあがっていった時期のドキュメンタリー。
残されているライブフィルムやTV出演時のクリップを音質も含めてものすごい肌理細かさで(たっぷりお金かけて)復元して画と音を同期させて、決定版の、誰も文句の付けようがないであろうクオリティのライブフィルムを作っている。

わたしはBeatlesはふつーに好き、程度のものなので、日本にうじゃうじゃいるマニアのおっさん達の目から見てどんなレベルのものなのかはわからないし興味もないのだが、このフィルムはあの頃のBeatlesはこんなにすごかったんだねえ、さいこーだねえ、ていうだけのものとはちょっと違うのではないか、と思った。

Beatlesがすごいこと、彼らがものすごい努力をして苦労を経てその結果当然のように有名になって、それだけじゃなくて音楽的にも革新的なことを成し遂げていって渋谷陽一観点でだんとつの申し分のない存在である/になったことは言うまでもないのだが、この映画のまんなかにいるのは彼らをその熱狂と共に世界に放った女の子たちだ、というかんじがとってもした。

とにかく彼女たちの絶叫、失神(寸前)も含めたいろんな、ものすごい表情と笑顔に泣き顔、その迫力とヴォリュームがものすごくて、The Beatlesは彼らの楽曲にのせてこれら少女たちのすべてを全世界に思いっきり解き放ったのだ、と改めておもう。 その、60年代初めに世界中で起こった痛快としかいいようのない事態がしっかりと記録されていて、このフィルムは彼女たちのものなのだと思った。
おまけで上映されたShea Stadiumのライブなんて、女の子たちの面白さにばかり目がいっちゃうし。

その観点からすると、このフィルムはこれの少し前に見た”Teenage”とおなじようにある時代が発明した特定の世代・年代の話なのかもしれない、と思ったらJon Savageさんが出てきてなんか言っていたり。

なので、コメントとしては当時あの群れのど真ん中にいた熱狂的ファン - Whoopi GoldbergとかElvis Costelloのがやっぱりしみじみとおもしろいの。
これに対して日本の写真家のコメントとかって、いっつもそうだけど半端に文化人しようとしててつまんないのよね。オレは黒船を見たんだ、とか、そもそもThe Beatlesというのは…  とかそんなオヤジの自慢話にしかなっていない。そんなのどうでもいいのに - なんでストレートに自分の熱狂を、頭に血がのぼった様を語らないのかしらん。

最後のほうでは”Let It Be”のときのビルの屋上セッションが出てきて嬉しかった。
小学生のとき、映画の”Let It Be”がTV放映されて、買ってもらったばかりのラジカセのマイクをTVのスピーカーにくっつけて(ケーブルなんてあるのさえ知らなかった)懸命に録音して、これを繰り返し何百回も聴いてた。これが最初のBeatlesで、あとでレコード買って聴いたらなんかがっかりした。

しかしまあ若い人たち、見事に見にきていないよねえ。 なんとかならないものか。

11.04.2016

[film] Jason Bourne (2016)

10月9日、日曜日の夕方、新宿でみました。

前のBourne三部作(?)ていうのは見てない。けどぜんぜんだいじょうぶだった。

Jason Bourne (Matt Damon)は闇ボクシングとかでいろんなとこを渡り歩く野良犬の生活をしていて、そこにかつてのCIAの同僚Nicky (Julia Stiles)が声をかけてくる。

彼女はアイスランドのハッカーの巣からマルウェア使ってCIAのサーバーに攻撃を仕掛けて(ぷぷ)、そこで盗ってきたファイル(盗れるんかい)にBourneの過去に関わるものがあると。 そうして機密を彼に渡すとNickyは目の前で死んじゃって、盗まれて頭から湯気だして怒ってるCIA長官(Tommy Lee Jones)と彼の差し向けた殺し屋工作員(Vincent Cassel)と、CIA内でこの件の指揮をとるHeather Lee (Alicia Vikander)がBourneを追っかけまわすことになる。

盗んだ機密にはBourneの過去だけじゃなくてCIAが今やろうとしている闇の陰謀 - メガITベンダーのクラウドから個人情報をそのまま横流し(ぷぷ)- もあって、始めはBourneを追っかけていたLeeも彼の味方をするようになって - そりゃTommy LeeとVincent Casselが並んでたら悪顔すぎて働くの嫌になるよね - 国の平和とかなんかよりも30年前の父ちゃんの仇、とか、殺るか殺られるかのどつき合いになっていくの。

Jason Bourneは誰だとか、彼の記憶がどこでどうしてどうなったとかは割とどーでもよかったので、今回みたいに敵味方くっきり分かれてぼかすかやりあうのは悪くなかった。のだけどいろんなアクション - 特に取っ組みあいが早過ぎて目がついていかない。あれってパワーありすぎるので豪速球みたいになっちゃうってこと? あと、あんなさくさく蝿みたいに蟻みたいに人を殺していってよいのか、とか。 ベガスでのカーアクションだって技術もなんもないまま勢いでぶつかって潰して壊してがーがー走っていくだけなの。 あんな車をお粗末に壊しまくるのって”The Blues Brothers”以来ではないか、とか(誉めてる)。

最近の情報機関の悪企みって、たいてい個人の情報をぜんぶ持っていって可視化しようとするのね。Captain America然りX-Men然り。 でもその前に立ちはだかる圧倒的にすごくて強い個(たち)- 彼らはだいたい自分がなんなのかよくわかっていない - に叩き潰される、ていう構図ってどういうことなんじゃろか。 あれだけ車壊して大騒ぎ起こしてみんなに顔見られてて、個人情報だなんだ言う前にこんなやつ野放ししといていいの?
べつにいいけど。

あと、最後に流れるMobyによる主題歌の字幕があまりにださいので吹きだす。
歌詞の訳として正しい正しくない以前のところで、なにかが決定的にズレているとしか思えないかんじ。

11.03.2016

[film] The Sisterhood of Night (2014)

9日の青春映画学園祭、”Teenage”に続けてみました。 このお祭りの最後の1本。
『シスターフッド・オブ・ナイト 夜の姉妹団』
スティーヴン・ミルハウザー の原作短編は読んでいない。

これも“Tanner Hall”とおなじ女の子4人のお話しで、でも女子寮ではなくてみんな自宅で家族と住んでいて、でも姉妹団ていう目に見えない夜の秘密の絆で結ばれていて、それを繋いだのはSNSで、彼女たちは闇夜にこっそり集まるので謎だらけで、ある事件があったことから学校を含むコミュニティ全体の大騒ぎに転がっていく。

Mary (Georgie Henley)はなんでもできそうなカリスマ性もある番長格で、Emily(Kara Hayward - “Moonrise Kingdom”の彼女ね)はそんな彼女に憧れたり妬んだりで、わたしを見て!かまって! てBlogやSNSでわーわー言うしかなくて、この二人の散らす(というかEmilyが勝手に火をつけまくる)火花を軸に、アジア系でちょっと謎めいたCatherine (Willa Cuthrell)と素直なふつーのお嬢さんのLavinia (Olivia DeJonge)が加わって、エキセントリックなようでいて実はふつーにそこらにいる女の子たちだった - わかんないけどほんとのとこは - みたいな描き方をしている。

SNSとかネット系に寄ったりしているものの、NY州Kingstonという小さな町で起こった魔女狩りのような事件の顛末を追っていて、それがネットに起因するものなのかコミュニティの捩れによるものなのか、そこらへんがややぼやけてはいるもののポイントはたぶんそこにはなくて、女の子たちはやっぱり女の子たちだった。ていうあたりなのか。 男の子だったら秘密基地をつくってぜったいの誓いみたいのをやるようなやつ。 それがどれだけ特別なものだったのかは彼女たちにしかわからない。 誰もその跡を追うことはできない。 そういうもんでしょ、と。

冒頭の語りからある事件をきっかけに彼女たちの関係が暴かれてしまうことはわかっていて、だから見ているのはややきついところもあるのだが、終りのほうの展開は素敵で、更生しましただいじょうぶになりましたー。 たぶんな…  のような突っぱねた描きかたをしていて、だってあたしら夜の姉妹団なんだから、という。

彼女たちの夜の逢瀬や彷徨いがPVみたいな撮られ方をしているのはちょっと普通すぎて残念だったかも。 もっと野良猫みたいなふてぶてしさと闇に寄り添う姿があっても。
他方でこれは家族のお話し - ファミリーアルバムとしてもあろうとしていて、それもわかるの。
Catherineのママとかおじいちゃんとか。

巻きこまれてえらい目にあう教師役でKumarが。